第74話 ダンクルト伯爵邸
ダンクルト伯爵が暮らす領主館は、旧市街から少し離れた場所にあった。経済発展とともに城塞都市から自由都市へと変貌していく時代に新たな宮殿として建築されたものである。それまで街の中心であったザイオン城は、いまでもその威容を誇っているが、騎士の叙任などの儀式に使われるだけとなり、伯爵一家はこの邸宅で居住していた。
フィンは初めて見るその堅牢な豪邸の姿に圧倒されていた。よくメディアで描かれるヨーロッパの城とは違う。どちらかといえば修道院や教会などに近いのであろう。だが、それだけではない。領主の命を預かる場として、宗教施設にはない虚飾を廃した武骨さを漂わせていた。
それはまるで華麗なドレスの下に堅固な鎧を着込んでいるかのような、静かな威圧感を漂わせていた。
いつもならば屋敷への入り口を守る門番も含め、多くの兵士が行き交っているはずの領主館も、いまは誰の姿も見かけない。
それもそのはずだ。避難のためザイオンの外までノーマが護衛したのだから。
その領主に裏切られ、市壁内に閉じ込められたあげく火までつけられたとあって、ノーマも怒りを隠さずにいた。
「あのクソ領主、覚えてろよ」
ぶつぶつと不平をこぼしながら、ノーマは立派な門の向こうに見える領主館を睨みつけた。
「さて、これからどうしようか?」
ナタリアは大きくあくびをしながら、誰かに尋ねるでもなく気だるそうに言う。
その言葉にノーマが生真面目に反応した。
「ルーファスの野郎を見つけなきゃいけねぇけど、あいつ、どこにいんだろうな。……なあ、魔法で探せないのか?」
「そういう魔法はあるにはあるけど、あたしは使えないよ」
「……だよなぁ」
取りつく島もないナタリアの返答に、ノーマは肩をすくめながらため息をもらした。
行方不明のルーファスを探すといっても、レティシアから伝え聞いたのは「領主館の周辺にいる可能性が高い」ということだけであった。
伯爵の邸宅があるだけあって、このあたりはザイオンでも最も格式の高い住宅街となっている。隣接する建造物もすべて目を見張るような豪華な大邸宅となっており、その広大な敷地や屋敷内に用意されているであろう膨大な部屋の数を想像し、フィンはげんなりした表情を浮かべた。
「……なんか、とてつもなく大変そうだね」
ため息とともに発せられたフィンのつぶやきに、ノーマはニヤリと笑う。
「まあ、なんとかなんだろ。知ってるか? あいつ、隠れるのだけは苦手なんだぜ」
ノーマは、まだ駆け出しだった時代に、ルーファスがそのたくましい巨躯を必死に縮こませながら物陰に隠れようとしていた姿を思い出していた。追っ手には一瞬でバレていたが、もともと隠れるなんて柄ではなかったのだろう。
英雄ルーファスは、堂々としている方がお似合いだ。
いまも身を隠してはいるが、臆病風に吹かれ逃げ出したのではなく、なにかしらの理由があってのことに違いない。
きっと、またすぐに見つかるような場所にいるはずだ。
ルーファスがまだあどけなさの残る少年だった時代をただひとり知る者として、ノーマは強くそう信じていた。
「領主館にはいないかな?」
ナタリアがそう言いながら、目の前にある巨大な門扉に手をかける。
「いや、さすがにいないだろ? 門だって開いてないぜ?」
ノーマが呆れながら答えるが、そのときナタリアに押された扉がギイっと軋みながら動いた。
「……あれ、開いてるな」
「えー、嘘だろ? 伯爵たちを避難させた後に、オレが施錠したんだぜ? 鍵かかってないのかよ?」
ノーマ、そしてフィンも扉の前へと駆け寄り、三人はいぶかしげな目つきで門を見つめた。
「……どう思う?」
「誰かが侵入してるってことですよね? 黒躯?」
「あいつらは鍵とか開けないだろ」
ノーマはそう言うと、腰に佩ていた小剣を抜いた。それを見たフィンも小剣を構え、ナタリアはそんな二人の様子を見て、無言で頷いた。
なにも言わず、ナタリアはゆっくりと扉を開いていく。重厚な扉にふさわしく、どれだけゆっくり動かしても蝶番の軋む音を完全に抑えることはできない。ただ、その音が目立たぬようにナタリアは慎重に扉を開いていった。
やがて、人がひとり通れるだけの幅が開き、三人は素早く領主館の敷地内に侵入する。
相変わらず人っ子ひとり見当たらない。
同じ市内で黒躯が市民を襲い、いたるところで火災に見舞われているのが、まるで嘘かのように敷地内は静寂に包まれていた。
ノーマは無言で合図を送り、三人は建物の夕陽に赤く染まった外壁をたどりながら、敷地の奥へと進んでいく。屋敷のなかに踏み込む前に周囲の様子を確かめるつもりらしい。
鍵を開けたのが、何者かはわからない。
単なる火事場泥棒かもしれないが、それが底意地の悪いアカメのような危険な相手である可能性も否定できなかった。
いつ襲われるのかわからない緊張に意識を研ぎ澄ませながら、一行は慎重に歩みを進め、屋敷の裏手へと回る。
角を曲がった瞬間、先頭に立っていたノーマが唐突に立ち止まった。キョロキョロと周囲を眺めながら歩いていたナタリアが、それに気づかず大弓を背負ったノーマの背中にぶつかってしまう。反射的に非難の声を上げそうになったナタリアに向かって、ノーマは振り返り、唇に人差し指を当てた。
その真剣な形相に思わずナタリアは唇に指を当てる動作を真似て、吐き出そうとした言葉を飲み込んでしまう。
最後尾を歩いていたフィンはノーマの肩越しに前方を覗き込んだ。
それほど離れてはいないところに、一人こちらに背を向けて歩く青年の姿があった。
ほっそりとした華奢な背格好から、彼が肉体労働とは無縁の生活を送っていることがわかった。体型からも年齢はかなり若いように見える。
フードをかぶっているため髪型や身につけた装飾品などはわからないが、身にまとう服装とその洗練された身のこなしから、それなりに地位の高い家系の子弟だということが察せられた。
フィンたち一行が背後から覗いていることなど夢にも思わぬ様子で、なにかを大事そうに抱えながら、どこかへと歩いていくようである。
ノーマとナタリア、そしてフィンは顔を見合わせる。
一言も発することなく、少し怖い表情でノーマが小剣を掲げ、ナタリアがそれを見てうなずく。
ノーマは、フィンに対して身振り手振りでついてくるように指示すると、フィンがうなずいたのを見届けた瞬間、一気に駆け出した。不意を突かれたフィンもあわててその背中を追って走り出す。
激しく身体を揺らす振動で、腰に下げた装備がガシャガシャと音を立てる。
突然背後から聞こえてきたその音に、青年は驚き、足を止め思わず振り返った。
透き通るかのような純白の肌に、鼻筋の通った端正な顔立ち。
青年は想像以上の美男子であった。
武装した二人組が駆け寄ってくるのを見た青年は、その切れ長の美しい目を驚愕に大きく見開き、薄い唇をぽかんと開ける。
取り乱すことこそないが、わずかに表情に動揺が走る。
「あなたは……」
美しい青年は長いまつ毛で瞳を覆うように目を伏せながら、震える声を漏らした。
そんな怯える青年にノーマが笑いながら声をかける。
「わりぃな。ちょっと聞かせてほしいんだが、こんなとこでなにしてんだ?」
人当たりの良い笑顔ながら、突然の攻撃にも対処できるよう、その手には油断なく小剣が握られていた。
「……門が開いていたので」
青年は鈴の鳴るような涼やかな音色で答える。
「開いてた? おかしいな、オレが鍵を掛けたんだが」
「……なぜ開いてたのかは存じませんが、開いてたものは開いてたので」
青年は恐怖ゆえかノーマと目も合わせず、うつむいたまま答える。ただ、その声には震えながらも強い意志のようなものが含まれていた。
「それは水差しだよな?」
ノーマは青年が大事そうに抱えていた陶器製のポットに視線を移す。不意をつかれた青年は少しうろたえながら「え、ええ」と相槌を打った。
「なんで水差し持ってんだ?」
「……水を飲もうと思って……」
青年は弱々しい声で答える。自分でも変なことを言っているという自覚があるのだろう、さきほどより落ち着きなさげに伏せた視線を泳がしている。
「……あれ?」
不意にノーマがなにかに気づいたように声を漏らした。
「おまえ、伯爵んとこのお姫さんじゃねぇか?」
ノーマは視線を避けようとしていた青年に顔を近づけ、まじまじとその造作を見つめる。
青年は観念したように目を閉じると、ため息を漏らした。
「さすがですね。鷹の目ノーマの目は誤魔化せませんか」
そう言うと髪を覆い隠していたフードを取り除き、冬の大気のきらめきのような繊細で美しい髪をあらわにする。
「いや、鷹の目はそういう意味じゃないんだけど」
背後でぶつぶつとツッコミを入れるナタリアの脛に蹴りを入れてから、ノーマは改めて青年姿の伯爵令嬢に向き合った。
「ええと、たしかお姫さんの名前は……」
「テオドーラです」
テオドーラは凛とした様子で答えた。さきほどまでの怯えた様子は微塵もない。なにかしらの覚悟を決めて、ここに立っているといった様子であった。
「なぜここに?」
「その問いに答える前に、わたくしにも質問させてください。なぜ、あなたがたはここにいるのですか?」
伯爵令嬢は、じっとノーマの目を見つめつつ、問いかけてくる。離反した領主の娘とはいえ、貴族の令嬢の問いを一介の傭兵が無視することはできない。
ノーマはその高い鼻を掻きながら苦笑する。
「知ってんだかどうだかわかんねぇけど、うちの団長のルーファスが行方不明でね。それで探しに来たってわけです」
フィンは黙ったままそれに同意するように大きく頷いた。
男装した伯爵令嬢は、その言葉に嘘がないことを察したのだろう、年齢にふさわしくない落ち着いたそぶりで重々しく頷いた。
「わかりました。そういう理由であれば許可なくこの屋敷に侵入したことも今回だけは不問といたしましょう」
その言葉に思わずフィンは凍りつく。この世界では成人とみなされる年齢が低いとはいえ、目の前にいる娘はまだ十歳になったかならないかくらいである。転生前であれば子ども扱いされる年頃の娘の口から出てきた容赦ない冷徹な言葉に驚愕した。
それは、次があれば断罪する揺るぎない意志に満ちている。
貴族の娘という立場だけで、ここまで変わるものかと驚愕した。
フィンに比べれば、この世界で生まれ育ったノーマは貴族とはそんなものだろうと平然と構えている。そればかりか、令嬢の寛大な心遣いに感謝を示しつつも、ふてぶてしく笑みを浮かべている。そこには市民を裏切った伯爵への憤りがあるのだろう。
いまのところ表面だけは貴族に対する敬意を失ってはいないが、その態度は、おそらくは些細なことがきっかけで、容易に敵に対するものへと変わりうるのだろう。
フィンは固唾を飲んで、緊迫感にあふれるノーマと令嬢の会話を見守った。ふと傍らにいるナタリアにも視線を向けるが、ナタリアはまったく興味を示さず、ぼんやりと領主館の外壁を眺めていた。
「で、お姫さんはなぜここに? お父上と一緒にザイオンから逃れたはずですが……」
避難時の護衛を務めたノーマだけが発することのできる、言い逃れのできない問いをテオドーラに投げかける。ノーマの記憶でも、屋敷に残ると言い出した令嬢を伯爵が叱りつけ、半ば強引に荷車に乗せられ運ばれていく様子を見ているし、まるで調度品だなと心の中でせせら笑ったのも覚えている。
その令嬢がなぜか逃げ出したはずの屋敷に戻っている。しかも男装で、水差しを持って。
ノーマの不審そうな視線を、テオドーラは毅然とした態度で一身に受けとめていた。美しいのはその目鼻立ちばかりではない、一点の曇りすらない真っ白できめ細かな肌に、生まれの高貴さからにじみ出る凛とした表情が、見る者すべてに真の美しさとはなにかを伝えていた。
男性の衣服を身にまとっているせいか、凛々しさも兼ね備え、その両性的な美しさはこの世の理を超えた妖艶さすらも漂わせている。フィンは、前世における一部の人々が男装の麗人に夢中になる理由の一片を垣間見たような気がした。
「なぜわたくしがここにいるかとの問いについては、説明するよりも実際に見ていただいた方がいいでしょう」
テオドーラはそういうと、にこりと微笑んだ。
「赤錆の大鴉団幹部、鷹の目のノーマ殿を私は信じます」




