第73話 黒躯の正体
「じゃあ、オレが黒躯を弓で転ばすから、フィンはいまので浄化するって感じでいこうか」
「え、ちょっとちょっと、あたしは?」
名前を呼ばれなかったナタリアが、自分を指差しながらノーマに訴える。
「おまえは壊しすぎるからダメ。また出番があったらお願いするから、それまではおとなしく周囲でも監視しててくれ」
「えー」
ナタリアは不満そうに唇を尖らせた。それを見てノーマが爆笑する。
そういう仲なのだろう。
それからはノーマの決めた役割分担に従って、ナタリアが周囲の監視役に専念し、ノーマが遠距離から弓で黒躯の足を撃ち抜いて転倒させ、そして最後にフィンが倒れた黒躯を燐光で浄化していくという連携で突き進んで行くこととなった。
途中、浄化によって黒躯の状態から蘇った市民にも出会う。
いつもどおりノーマの弓で倒れた黒躯にフィンが駆け寄り、全身に広がっていたどす黒さを燐光で打ち消すと、いつもとは異なり、青白い顔色で地面に倒れ込む市民の姿が現れた。ノーマに撃ち砕かれた膝の痛みを抱えつつも、状況もわからずに混乱しているようであった。
「な、なにが……」
つい先ほどまで黒躯だった男は震える声を漏らしながら、支え起こしたフィンの顔を見つめてくる。
「ノーマさん、ナタリアさん、この人生きてる!」
フィンはありったけの大声で叫んだ。呼ばれた二人も驚き、あわてて駆け寄ってくる。フィンは腰にぶら下げていた革袋の水筒から水を分け与えた。
「大丈夫ですか?」
「……ここは……?」
ノーマは男に領主館の近くだと伝える。
「そうだ……俺は家族たちと火事から逃げていて……黒い怪物みたいなのが出てきて……家族は! 家族はどこだ?」
黒躯に襲われたことを思い出したらしい市民は、介抱するフィンに急にしがみつくと取り憑かれたように家族の姿を探し求める。
そして泣き出した。
抱きつかれたままのフィンは衝撃を受ける。大の大人が、恥も外聞もなく子どものように泣きじゃくっている。至近距離でぐしゃぐしゃに歪んだ男の顔を見ながら、家族のためにここまで泣ける男の姿にどこか嫉妬に似た感情が生まれていた。
派手な外見に似つかわしくなくノーマが優しい口調で男をなだめる。やがて男が泣き止み、落ち着きを取り戻すと、
「ここから離れろ。中央広場はわかるな? そこに行けば赤錆の大鴉団が避難市民を誘導している。行って指示に従え。もしかしたら家族もそこにいるかもしれない」
と真剣な表情で伝え、男はその言葉に従い、何度も礼を言いながら砕かれた膝をかばいながら、ふらふらと立ち去っていった。
「……ノーマさん、優しいんですね」
「はぁ? なに言ってんだ、お前。気持ち悪りぃな」
フィンがぼそりとつぶやいた言葉に、心底嫌そうに顔を歪ませながらノーマは大声を上げた。聞いていたナタリアが思わず吹き出す。
「そうそう。わかってるじゃん。服装だけ見ると、ただのアバズレなんだけど基本いいやつなんだよな」
「アバズレ⁈」
ノーマは目を剥いて吠える。
「オレのどこがアバズレだよ⁉︎」
「見た目」
「……いや、確かにハデかもしれねぇけど……アバズレは言い過ぎだろ?」
「お前なあ。男どもからどんな目で見られてんのかわかってんのか?」
ナタリアは呆れたように言った。
他の地方はいざ知らず、このザイオン周辺においていえば、女性の装いとしては身体のラインを一切出さないゆったりとした衣装で身を包むことが一般的とされていた。
ナタリアが身につけている灰色のローブは、多少大げさな例かもしれないが、身体のラインが見えないという意味では、さほど遠いものでもない。
そんななかに、身体のラインどころか、筋肉と脂肪の均整が取れた張りのある真っ白な太ももや、布からあふれんばかりの豊満な乳房のふくらみなどを惜しげもなく披露するノーマの服装はあまりにも異質で、なおかつ男にとっては刺激的すぎた。
「……しょうがねぇだろ」
ノーマは忌々しそうに舌打ちする。
だが、ナタリアは追撃の手を止めない。
「いや、フィンも困るぜ。なあ?」
突然話を振られたフィンは、思わず口ごもる。
「まあ、なかなか派手だな、とは思うけど……」
「ほらな」
「マジかよ」
ノーマは大きくため息をついた。
「見せたくてこんな格好してるんじゃねぇんだけどなぁ」
残念そうにつぶやく言葉を耳にして、フィンは違和感を抱いた。
「なにかそういう格好をしなきゃいけない理由ってあるんですか?」
「ああ、オレは狩猟の女神の巫女なんだよ」
ノーマはにこやかに答える。
「この辺じゃあまり聞かないと思うが、オレが生まれた部族では、狩猟の女神が大切な守り神でな、オレは幼い頃から女神様の巫女として育てられてきた。この格好も狩猟の女神の真似でな。巫女は代々この格好をする決まりになってるんだ」
「だから、弓を?」
「……いや、そういうわけじゃねぇんだが、まあ、でも小さい時から巫女として弓は扱っていたかな。それもあるかもしんねぇな」
ノーマはそう言うと笑い出した。
弓に命を預けている以上、部族を離れた今でも狩猟の女神の巫女としての決まりに従っているらしい。
フィンからすれば、もう少し身体を守れる服装にした方がいいのではと思ってしまうが、宗教上の理由というか、幼い頃からの習慣なのだろう。フィンは納得するしかなかった。
「それよりも問題なのは、黒躯が人間に戻ったことだ」
ナタリアが苦虫を噛み潰したような顔で告げる。
「……なんなんだ、あの黒躯ってのは? 死体じゃないのか?」
心底わけがわからないといった様子で腹立たしげにつぶやいた。
知らなかったとはいえ、数百人規模で焼き払ったばかりである。
行き場のない苛立ちがナタリアの表情を自ずと険しくさせた。
「ナタリアさん、生ける屍って生き返るの?」
フィンの問いにナタリアは首を横に振った。
「いや、死体を動かすのが死霊魔術だからな。お前のその力が死者をも蘇らせるというなら別だが、そうじゃなければ普通は生き返ることはない」
「ってことは死霊魔術ではない?」
「……そうなるな」
ナタリアは、やれやれと呆れた表情でため息をついた。
「で、どうするよ? ノーマ」
童顔の魔術師は、唐突に隣にいる友人の方を向く。
問いかけられたノーマは、きょとんとしながら「どうするって?」と素直に返事した。
「あいつら、人間だ」
その言葉でようやく問われている意味に気づいたノーマは表情を凍りつかせた。
つまり、確実ではないが、そこに救える命があるということだった。
転生前も含めれば、おそらくはこの中でいちばん長く生きているフィンも、なにが模範回答なのか見当もつかなかった。
三人そろってのしばしの沈黙。やがて脳内の思考を吟味しながら絞り出すようにナタリアがぽつりぽつりとつぶやきはじめた。
「そうはいっても、すべての黒躯を救うことはまず不可能だ。いまはルーファスを優先したほうがいいだろう」
「……そうだな」
ノーマもどこか煮え切らない表情で頷く。
野盗時代には人を殺めることにそれほど抵抗感はなかった。そういう考えを持つことが当時のノーマにとって「生きる」という言葉と同義だったのだ。
そしてそれとまったく同じように、赤錆の大鴉団の一員である現在のノーマにとって「生きる」という言葉の意味は、ザイオン市民を守ることを含むものに変わっていた。
だが、それは、たとえば人類愛のようなものではない。守るべき存在だから守るだけの話である。それが傭兵としてのあるべき姿だとノーマは強く信じていた。
黒躯は、いわば敵でありながら、守るべき市民でもあった。
守るべきか、倒すべきか。
話し合いの結果、可能なかぎり戦いを避けて先を進むという、ある意味、もっとも無難な案に落ち着いた。そして、どうしても戦いが避けられない場合は、いままでどおりノーマも援護射撃はするものの、もっぱら黒躯の相手は燐光を用いてフィンが行うことになった。
「もしも生きている市民が黒躯に追われていたら、容赦なく殲滅だからな。優先順位を間違えるんじゃないぞ」
ナタリアの確認に、
「まあ、しょうがねぇやな」
残念そうな表情で首を左右に振りながらノーマは言った。
「じゃあ行こうか。フィン、頼むな」
ナタリアの言葉にフィンは頷いた。
燐光による体力消費はないとはいえ、黒躯の攻撃を無効化しながら接近するには、それなりの運動量が求められる。極力交戦を避けながら移動をつづけ、三人はやがて領主館にたどり着いた。
「ようやく着いたな」
ノーマはホッとしたように言った。




