第71話 黒躯との戦い
赤錆の大鴉団の屋敷を出た一行は、相談した結果、とりあえずの目的地として領主の館を目指すことにした。
すでに夕方である。
さきほどまで青空の中央で誇らしげに輝いていたはずの太陽もいつのまにか地平線に向かって落ちはじめ、その沈みゆく姿を悼むかのように真っ赤に空が燃えている。それは実際に炎に焼かれるザイオンの姿を象徴するかのようであった。
「……急ごう」
ノーマは少し不機嫌そうに顔を顰めながら、同行するナタリアとフィンを促した。
ザイオン市内を南北に貫くオルトリア川はちょうど旧市街のあたりで分岐し、その支流はアルテ川と呼ばれている。中央広場からアルテ川にかかる橋を渡り、商人ギルドや魔術ギルドなどの建物が集まる地区に足を踏み入れると、あらかじめレティシアから伝えられていたとおり、その一帯はすでに数多くの黒躯に占拠されているような状態であった。
「おいおい、なんだこりゃ?」
その惨状には思わずノーマも驚きの声をあげてしまう。領主の避難を指揮したときに遭遇していなかったわけではないが、その数たるやそのときの比ではない。
忌まわしき黒い死体の群れは、火災から逃げてきた市民の集団がやってくるのを見ると、緩慢な動きながら一斉に襲いかかり、家族を守ろうと落ちていた棒などを持って勇敢に立ちはだかった男たちを次々と押し倒していった。
驚きと恐怖による絶叫が周囲に響き渡る。
無数の腕によって地に引き倒された犠牲者の上には大量の黒躯が群がり、覆いかぶさるように積み重なっていく。四方八方から掴みかかってくるその腕や身体から、黒ずんだなにかが広がっていき、倒れた犠牲者の肌を急速に黒に染め上げていた。
黒躯はゾンビのように肉を喰らうことはなく、強靱な膂力で犠牲者にしがみつくだけのようである。ただ、触れられた者の肌は黒く染まり、やがて彼ら自身も黒躯へとなり、襲ってきた黒躯たちとともに新たな餌食を求めて彷徨いつづけるらしい。
変わり果てた夫や父親の姿を見た市民たちは、絶望に悲鳴をあげる。黒躯はその声を追うかのように、逃げ惑う市民たちに向かってよたよたと歩き出す。
その忌まわしき光景にノーマは舌打ちすると、すばやく弓を構え、立て続けに矢を放った。
その矢は、いまにも市民につかみかかろうとした黒躯の額を的確に射抜く。その衝撃で黒躯の身体は、たまらず後方に弾け飛んだ。
だが、その一撃も動きを止めるにはいたらず、黒躯たちは、ふたたびもぞもぞと緩慢な挙動で起き上がると新たな獲物を探すように歩み出した。
「きりがねぇな」
吐き捨てるようにそう言いながらもノーマは、次々と矢をつがえ、市民に襲いかかろうとする黒躯を打ち倒していく。
「おい、フィン」
ナタリアの促すような声に頷いたフィンは、双剣を抜いて駆け出した。市民を追う黒躯の前に躍り出ると、素早い剣捌きで黒躯の首筋や大腿、足の付け根などの急所に連撃を叩き込む。
だが、生者相手ならば致命傷となる攻撃も、すでに死んでいると思しき黒躯には、通用しない。逆に襲われそうになり、あわててフィンは飛び退った。
「マジでゾンビかよ……」
フィンは呆れたように独りごちる。
目の前にはフィンにつかみかかろうとする黒躯。フィンが息を大きく吸った瞬間、ノーマの放った矢がうなりをあげて飛んでくると、黒躯の眉間に命中し、その身体ごと後方に弾き飛ばした。
「坊や! そうじゃねぇ、足を壊せ!」
怒鳴るようなノーマのアドバイスに「わかった!」と大声を返すと、フィンは取り囲んでくる黒躯の膝や足首に狙いを絞り、強めの斬撃を加えていく。体重を支える関節を砕かれ、黒躯たちはバランスを崩し、次々と地面に転がっていく。
故障した箇所をかばいながら起き上がるだけの知能はないらしい。死に直面した蝉のように地上で激しく暴れながら、なおもフィンに襲い掛かろうと這い寄ってくる。
フィンを執拗に見つめる眼窩は真っ黒に染まり、焦点も定まらぬまま、それでもフィンから目を離そうとはしなかった。
得体の知れない憎悪を感じ、フィンは身震いする。
それは、過去に依頼を受けて退治したゴブリンが、生が死に転じる瞬間までフィンに向けていた視線と同じだった。
どうすれば、このようなありったけの敵意と憎悪を視線に込められるのか、その術をフィンは知らない。
その怨念を断ち切るようにフィンは顔を上げると、さらなる不死者を探し求め駆け出した。
「……多すぎるんだよ!」
ノーマが舌打ちとともに腹立たしげに呟く。
無駄のない挙動で矢を継ぎ替えながら次から次へと黒躯を足止めするが、倒れはするものの死ぬことのない相手は、しばらくすればふたたび何事もなかったかのように立ち上がり襲いかかってくる。
残りの矢の数よりも、その変わらない状況に苛立ちを覚えていた。
それはフィンも一緒で、いつまで経っても好転しない状況に耐えかねたフィンは、ノーマの背後で所在なげに腕を組んで戦況を眺めていたナタリアに声をかけた。
「ナタリアさん、見てないで手伝ってください!」
「——え、いいの?」
ナタリアは嬉しそうに顔をほころばせた。
その言葉にノーマが心底嫌そうに顔を歪める。
「えっ⁈ おい、やめとけって!」
だが、制止は想定の内なのだろう、ナタリアはノーマが言い終えるよりも先に呪文の詠唱を始めた。張りのある堂々とした声で不可解な音節を次々と紡いでいく。
そして、言った。
「火球」
その言葉とともに一気に周囲の温度が上がった。ナタリアの掌の上に閃光を放つ小さな光球が生まれる。異常な熱量はその圧縮された白い光の塊からもたらされているようであった。
ナタリアがスッと差し伸べた掌に従うように光球は宙を走る。魔術師の手から解き放たれた光は瞬時にその体積を膨れ上がらせていき、最終的には炎が逆巻く巨大な火の塊と化した。周囲に炎をまき散らし大気を焦がしながら、小さな太陽のような火の球は黒躯の集団が密集する位置に落下した。
火球は轟音とともに大爆発を起こす。その衝撃で落下地点を中心とする一帯の建物が崩壊し、瓦礫を撒き散らしながら吹き飛んでいく。そして一瞬の間を置いて炎の渦が周囲を飲み込んだ。
表情なく火球の到来を見つめていた黒躯は、瞬時に塵と化す。
立ち込めていた黒煙が風に流されたあとに残っていたのは、地面が広範囲にえぐれ、真っ黒に焼け焦げたなにもない場所だった。
火球の直撃を受けなかった周囲の建物も、撒き散らされた炎に焼かれ、パチパチと燃え上がっている。
あまりの惨状ぶりにフィンは開いた口が塞がらなくなった。
ノーマが額に手を当ててためいきをつく。
「……やりやがった」
「うふふっ」
振り返って最高の笑顔を披露するナタリアに、ノーマは牙を剥く。
「ふふっ、じゃねえよ! こんな街中でぶっ放しやがって! どーすんだ、この状況!」
「うるさいなあ。ザイオンのそこらじゅうが火事なんだよ? ちょっとの火ぐらいで騒ぐんじゃないよ。それよりも、あの黒いアンデッド倒す方が重要なんじゃない?」
「だとしても加減ってもんがあんだろうが……」
ノーマは恨めしそうな顔で言う。
ナタリアはびっくりしたように答えた。
「え、それ、本気で言ってる?」
「……う」
その言葉にノーマは二の句が継げず、黙り込んでしまった。
「ま、あたしに任せなって〜」
ナタリアは両手を合わせるとすり合わせながら嬉しそうに微笑んだ。




