第66話 孤児院での再会
さまよえる死体たちの動きは、幸いにも緩慢なもので、その数もあまり多くないことから、接近することなく通りを進むことができた。
ときおり火災により倒壊した建物の残骸が道を塞ぎ、激しい熱と炎が行く手を阻むことも少なからずあったが、一行は迂回しつつ孤児院を目指した。
崩れた瓦礫の下敷きになった黒い存在が、全身を焼かれながらも簡単に死ぬことができず、もがきつづける姿を目撃したこともある。死体だと頭では理解していても、自分たちと同じような姿形をした存在が、炎に包まれ、バタバタと暴れる姿はどうしても見るに堪えない。一行は顔をしかめながら先を急いだ。
やがてフェリシア教の修道院ならびに孤児院の一画に到着する。
すでに炎によって蹂躙されたあとなのであろう、庭にあったはずの木々は火災の爪痕によって炭と化し、大地は激しい熱に焼かれたのか真っ黒に変色していた。
丁寧に切り出された石を組み上げて造られた頑丈な建物は、その外壁こそ黒く焦げているものの、建物としての機能は損なわれていないようだ。扉だけは石ではなく硬い木材で作られていたが、幸いに燃えることなく固く閉ざされ、扉としての役割をひきつづき果たしていた。
「ここか?」
ナタリアの問いにフィンは黙ってうなずいた。
周囲に黒い死体の姿はない。
フィンは周囲の様子をうかがいながら、ゆっくりと扉に近づいていった。
扉に備えつけられているノッカーをなにげなく掴んでから、しまったと一瞬後悔する。
しかし、幸いにして金属製の輪っかは皮膚が張りつくほどの熱は帯びておらず、フィンはほっと息をつきながらゴンゴンと打ち鳴らした。
すぐに応答はないだろう。
それでもフィンは、静寂のなか、わずかでも扉の向こう側の変化を聞き漏らすまいと耳をそばだてた。
しっかり者の未央のことだ。もしかしたら、すでに子どもたちを連れて避難しているかもしれない。
フィンは、前世でいつも見つめていた未央の屈託のない笑顔を思い浮かべながら、じっと返ってくるであろう反応を待ちつづけた。
それはフィンにはとてつもなく長い時間に感じられた。
だが、実際にはそれほど待たされることもなく、すぐに扉の向こうからバタバタと大小様々な足音が聞こえてきた。
思わず振り返り、背後で待機する仲間たちの顔を見つめてしまう。
ジーンは声に出さず唇だけを動かして「いたの?」と尋ねてくる。フィンは大きく頷いた。
乾いた喉を潤すように唾を飲み込みながら、フィンは内側からのなにかしらの応答を待った。
だが、しばらくしても扉は開かれない。
フィンがおかしいと首をひねると、ひそひそと囁き声が聞こえてくる。
会話の内容までは聞こえないが、なにやら相談しているようだ。
耐えきれなくなったフィンは、恐る恐る声をかけることにした。
「あのう……ミアさんはいらっしゃいますか?」
ふたたびの静寂。
やがて警戒するような女性の声が聞こえてくる。
「……どなたですか?」
「昨日うかがったコルト村のフィネスです。火事があったから大丈夫かと心配になって……」
フィンの声にしばしの沈黙をはさんだ後、金属のこすれる音とともにかんぬき錠が外され、扉が開かれた。
「無事でよかった」
どことなく戸惑うような表情のミアが扉の向こうから現れたとき、フィンは大きく安堵のため息を漏らした。
ミアの背後には十人ほどの子どもたちがひしめきあっている。いずれの子も怯えた表情で、ミアの影に隠れようとするが、華奢なミアの体つきがそれを許さなかった。
年齢も昨日見た印象どおり、いずれも未就学児といったところだろう。昨日見かけたドワーフの少女に抱きしめられた、うつろな表情のゴブリンの少女もいた。
「ありがとうございます」
ミアはそう言うと、ようやくほっとした表情を浮かべた。それまでなんとか堪えていたのだろう、緊張の糸が緩むとともに一気にその顔に疲労がにじみだす。
「なにがあったの?」
フィンの問いにミアは少し俯きながら唇をぎゅっと結ぶ。
やがて意を決したのか、ふうっと弱々しく息を吐くと、つぶやくように語りはじめた。
事件が起こったのは、今朝一時課の鐘が鳴った直後だったとミアは言う。
いつもこのあたりを巡回していた自警団の二人組が、突如として剣を抜き、孤児院の子どもたちに襲いかかってきたらしい。
「……なんで?」
街を守るべき自警団がまだ幼い子どもを襲うという想像を絶する兇行にフィンは唖然とする。
「……わかりません」
ミアは本当に心当たりもないのだろう。悲痛な表情で首を横に振った。
自警団の剣は、自分よりも幼い子どもを守ろうと立ちはだかったカーレット族の少女を傷つけたが、ミアたちは怪我した少女を抱きかかえ、建物内に逃げ込むと扉を固く閉ざして、助けが来るのをずっと待ちつづけていたのだという。
ミアの背後には、太ももに包帯を巻いたアカメ族の少女が、両脇を他の子どもたちに支えられながら立っている。その瞳は固く閉じられているものの、いまだに痛みに顔をしかめる幼い少女の表情にフィンは胸を痛めた。
「火事は?」
いつのまにか近づいてきたナタリアが、フィンの背後から尋ねる。
ミアはきょとんとして灰色のローブに身を包んだ小柄な女性の顔を見つめた。
フィンはあわててハント市から一緒にやってきた仲間だと説明し、離れた場所で様子をうかがうダーシーとジーンもあわせて紹介する。
ダーシーは歩み寄るとにこやかな笑顔で「はじめまして、シスター」と挨拶した。
ひどい癖毛の茶色い髪にそばかすの残る顔立ちは、見る者にやたらと親近感を抱かせるらしい。ミアも例外ではなく、さらに年齢もさほど離れていないであろう同性ということもあり、ミアは安心したように頬を緩ませた。
「私もコルト村の出身です」
「そうでしたか。遠路はるばるご苦労様です」
ミアも微笑みながら挨拶を返す。そして眉間にしわを寄せて凝視するナタリアの視線にようやく気づくと「あっ……」と漏らし、ナタリアに向き直った。
「火事のことでしたね……」
申し訳なさそうなミアだったが、残念ながら火事については、ずっと室内にいたため詳細はわからないらしい。やたらと室内が暑くなってきたので、子どもたちに外の様子を見に行ってもらったところ、周囲を炎に包まれていることに気づき、騒然としたという。
「さすが神に仕えるお方は、おおらかだ……」
話を聞いていたジーンは呆れたようにつぶやいた。
「黒いやつらは?」
「……黒いやつら?」
ナタリアの問いに、ミアは小首を傾げ、語尾を上げながら反復する。
「見た目は人間なんだが、全身が黒ずんでてな……どうやら死なないらしいんだ。まあ、こいつがいまザイオンでは大量発生して、いろんなところで人間を襲っているらしい」
ナタリアの説明にミアは不快そうに眉をひそめた。自然の摂理に反する不死者は、さすがの博愛の神フェリス神でも庇護の対象外らしい。
ミアの背後にいた子どもたちも驚いたように目を見開き、不安そうに互いに視線を交わし合っていた。
「そんな忌まわしき者どもは見かけておりません。そもそも、わが修道院だけでなく、さまざまな神々の寺院や神殿が集まるこのオライア区にそんな不浄の者がやってくるとも思えないのですが……」
「それがいるんだって! この周辺はすでに火事と黒いやつに飲み込まれて壊滅状態だぜ?」
ジーンは少し苛立ちながら言った。
名前しか知らない年上の金髪の青年が発した荒々しい言葉に顔をひきつらせながら、ミアは驚いたように「……嘘」とつぶやく。
しかしフィンとナタリア、さらにダーシーまでもがみな悲しそうな表情で頷くのを見たミアは言葉を失った。そんなミアの不安を察したか、まだ幼い子どもがひとり、火のついたように泣きはじめ、それにつられるように他の幼児たちも次々と大声で泣き叫びはじめた。
ナタリアは、子どもみたいな丸顔をしかめ、「しっ」と唇に人差し指を当てて、子どもたちを制する。
「騒ぐと、やつらが寄ってくるかもしれない」
それを聞いた年長の子どもたちが、泣きわめく幼児を必死になだめ、ふたたび静寂を取り戻した。
「とりあえず死なないってのが厄介なんだが……シスター、不浄払いの奇跡って使えるか?」
ナタリアの問いにミアは首を横に振る。
「私はまだまだ見習いのため、奇跡の力は身につけておりません」
「そっか。まあ、しょうがない」
ナタリアは、微笑とともに肩をすくめてみせた。その軽い口ぶりから最初からたいして期待もしていなかったことが伝わってきた。
それはそうだろう。敬虔な神の信徒のみに許される聖なる奇跡の力は、聖職者といえども厳しい修行を積み重ねた一握りの者にしか使えないと聞く。まだ十歳そこそこのミアが使えるというのは、それこそ考えにくい話であった。
「とりあえず安全なところに避難しようか」
ナタリアはそう言うとミア、そして子どもたちに微笑みかける。
「心配することはない。いざとなったらあたしたちが守るよ」
「はい」
背格好こそ小柄で頼りなさげなナタリアだが、その自信に満ちた堂々とした態度がやたらと心強さを感じさせた。ミアたちは孤児院から離れるべく身支度を整える。
「お待たせしました」
やがて準備を終えたミアと子どもたちが、庭で待つナタリアたちに声をかける。
思案げにパイプをふかしていたナタリアは、パッと笑顔で顔を上げた。
「よし、行くか」
壁に寄りかかって待機していたフィンたちも互いに顔を見合わせ、笑顔を浮かべる。
そのとき突如として通りを駆けてくる複数人の足音がしたかと思うと、いきなり庭に武装した男たちが雪崩れ込んできた。
「なんだ、お前ら?」
フィンたちに負けず劣らず驚いたようすの男たちは、威圧するように問いただしてくる。人数こそ六人程度だが、いずれも鎖帷子や革鎧などできちんと武装している。そのたたずまいからも自警団のような武器を持った素人ではなく、きちんと訓練を受けた戦闘職だということがわかった。
男たちはフィンたちを取り囲むように包囲すると、手にした槍の穂先を向けてくる。
「いや、俺たちは……」
フィンが答えようとして言い淀む。旅の傭兵などと答えても怪しさが増すだけであろう。そんなフィンを補うようにダーシーが言葉を継いだ。
「こちらにいる孤児院の皆さんが脱出するために雇われた傭兵です」
「……ふん」
傭兵と聞き、男たちは値踏みするように一行を見渡す。小柄な女性が二人、頼りなさそうな若い男が二人。問いかけた男は明らかに侮蔑するような笑みを浮かべる。
「そうか。俺たちは赤錆の大鴉団の傭兵だ。ご同業のようだが、所属は?」
さばけた口調ながらもまだ気を許していないのだろう、槍を向けたまま尋ねてくる。
フィンは、思わず仲間たちと顔を見合わせてしまった。
名前なんて決めてなかった……。
仕事の依頼を受けるとき、よく呼ばれる名称は「ダーシーさんたち」である。さすがに傭兵団の名称として、赤錆の大鴉団と並べるには気が引けた。
逡巡するフィンたちの様子に傭兵たちは表情を険しくする。包囲する槍の穂先が鋭く震え、威圧するように距離を詰める。
そのときミアが悲鳴をあげた。
耐えきれず、というのが正しい表現だろう。
それまでもひどく怯えた表情ながら、気丈にも子どもたちをかばうように立ちはだかっていたが、いよいよ鈍色に光る槍の穂先が迫ってきたのを見て、それまで抑えていた感情が一気にあふれてしまったらしい。
大気を揺らすような悲鳴とともに、ミアは涙を流しながら天を仰ぐ。その額に宝玉のように輝く光点が生まれ、周囲の空間が歪みはじめた。
フィンたちはもとより、赤錆の大鴉団の傭兵たちもなにが起こったのか理解できず、動揺に顔色を変える。
空間のひずみのなかから、浸み出すように黒くぬめぬめした汚泥のようなものが次々と生まれ、ぼとりぼとりと不快な音とともに地面に落下する。生み落とされた無数の汚泥たちは、その表面の触手を小刻みに波打たせ、ゆっくりと動きはじめた。




