第62話 参謀レティシアの契約
家令のブルーノは、困惑した表情で美丈夫卿に尋ねる。
「ルーファスを追いますか?」
「もうよい。放っておけ」
「しかし相手は英雄ルーファス。歴戦の勇者です。いつなんどき報復に来るかわかりません!」
「案ずるな。あやつの胸に刺さったのは一族に代々伝わる魔法の矢だ。一度刺されば死ぬまで抜けず相手の命を削りつづける。もはやルーファスに助かるすべはない」
そういうとダンクルト伯爵はせせら笑った。
「あのような者に、そのような貴重なものを——」
「構わぬ。刺さった者が死ねば、余のもとに戻ってくる。あれはそういう古代遺物なのだ」
クローヴィスⅡ世は得意げに語った。自信にあふれた主君の言葉に、心配性で知られるブルーノも納得せざるをえない。
「かしこまりました。数名ほど追いかけていきましたので、そちらも呼び戻してまいります」
真面目が過ぎるところもあるが忠実な家令の言葉に美丈夫卿は黙ってうなずいた。
そして騎士たちに囲まれたレティシアへ向かって「さて」と声をかける。
「居心地は良くないだろうが、貴様も女ながらに”覇王”と渾名される存在。油断するわけにはいかないのでな」
と、領主は不敵な笑みを浮かべながら、もったいぶって語る。
レティシアはそれに対して鼻で笑いながら首を振った。
「光栄ですが、私は参謀として”覇王”と呼ばれるだけのこと」
そう言いながらだぶだぶの袖をめくると、女性らしい白く細い腕が露出する。
「おそらく腕力は子どもにも劣るでしょう」
嘲笑が騎士たちの間で起こった。
安心したのか伯爵は騎士たちに武器を降ろさせる。
「さて、どうしたものかな? とりあえず牢に入れるか」
頬杖をつき、尊大な表情でレティシアに尋ねる。
レティシアは跪くと、スッと頭を上げてクローヴィスⅡ世の方をまっすぐ見つめた。
「畏れながら、ルーファス不在時の大鴉団の全権は、副団長である私に委ねられています」
「……それがどうした?」
「本日は、どういったご用件でお呼び立てか、このレティシアがうかがえればと思います」
「……なるほど」
まるでいままでの会話がなかったかのように来訪の挨拶からはじめたレティシアの意図を見抜き、領主はニヤリと笑みを浮かべた。
唖然とする家令をよそに、クローヴィスⅡ世はレティシアの言葉に芝居がかった様子で応える。
「覇王よ、黒き死者の軍勢からこのザイオンを守れ!」
「御心のままに」
さきほどまでのルーファスと領主のやりとりはなんだったのだろうか、この茶番めいたやりとりに対し、レティシアは大真面目な表情のまま、即座に許諾した。
家令を筆頭に騎士たちの多くも二人の会話についていけず困惑する。金色の巻き毛のジェラールだけはいまにも吹き出しそうな表情でニヤニヤと笑みを浮かべていた。
レティシアは「畏れながら」と言葉を続ける。
「閣下。ザイオンと呼ばれるものは、三つあります。一つは、ダンクルト伯爵領のこの誉れ高き自由都市ザイオンそのもの」
まず、人差し指を立てたレティシアの言葉に伯爵はうなずく。
「二つめが、そのザイオンに暮らす市民たち。あるいは運営を委ねられている市長や市議会という存在」
レティシアは二本目の指を伸ばした。クローヴィスⅡ世はふたたび同意する。
「そして最後が、ザイオンを所有する偉大なるダンクルト伯爵家。すなわち閣下です」
レティはまっすぐに伸ばした三本の指を示しながら説明した。
「しかるに、この苦境において、この三つすべてを守り切るのは困難です。——ちなみに閣下は”リオン峠”はご存知でしょうか?」
レティシアは、二年ほど前、北方の敵対するノルシリド帝国による侵略戦争において激戦地となった峠の名前を出した。
豊かな耕作地を求めてネヴィア侯爵領へと侵攻してきたノルシリド帝国であったが、近隣の諸侯とも連携して迎え撃つネヴィア侯爵軍に阻まれ、思うような戦果を上げられずにいた。そのとき新たな進軍ルートとして選ばれたのが、北の屋根とも称される角笛山脈を越えるリオン峠だった。
あまりにも険峻すぎたため、よほどの用事がないかぎり地元民でも利用しないという峠道である。まさかここを帝国軍が進軍してくるとは誰ひとりとして想定していなかった。
当時はまだ名前も知られていない弱小傭兵団であった赤錆の大鴉団も、ネヴィア侯より「念のため」という理由だけで峠を見張るよう命じられていた。
そこに現れたのが敵の本隊である。
思いもしない奇襲に慌てふためくネヴィア侯陣営だったが、角笛山脈に陣を張った赤錆の大鴉団は激戦の末に敵の大軍を撃退することに成功。傭兵団の現在の隆盛のきっかけとなった戦いでもあった。
領主はもちろん知っているとうなずいた。
レティシアも領主に追従するようにうなずくと、
「あの防衛戦で、われわれの魔術師が星を墜としたことは閣下のお耳にも入っているかと思います」
「もちろんだ。星墜としの奇跡によって帝国の本隊を壊滅させたと聞いておる。おまえたちがいなかったら、このあたりも帝国の野蛮人どもに蹂躙されておったかもしれんな」
レティシアは領主の言葉に満足そうに微笑んだ。
「そしてその奇跡は、峠の地形も変えてしまいました」
領主もうなずく。
天から降ってきた星によって山道は崩落し、いまではリオン峠という名の峠道は存在していない。ただ古戦場として角笛山脈の一帯がその名で呼ばれるのみである。
「われわれの防衛戦とは、そういうものなのです」
レティシアは薄い唇を曲げ、自負に満ちた笑みを浮かべた。
「われわれは、三つのザイオンのうち、二つしか守ることができません。このもしも忌まわしき敵を殲滅したいとおっしゃるならば、この都市ごと焼き払うことができます。その場合、市民も閣下もお守りすることはできますが……都市は失われます」
レティシアは言葉を止め、領主の様子をうかがう。美丈夫卿は難しい顔で黙っていた。想定どおりだったのだろう、安心したようにレティシアは言葉をつづけた。
「私としては、多少の市民への犠牲はいたしかたないものと考えます」
伯爵はうなずいた。
レティシアも首を縦に振る。
「最優先に守るべきは、閣下の安全以外ございません。われわれの護衛によって、まずは閣下を都市の外にお連れいたします」
「なるほど」
クローヴィスⅡ世は、感心したようにつぶやいた。
いつの間にか目を輝かせながら熱心にレティシアの言葉に耳を傾けている。
「そして、いよいよあの忌まわしき死者たちを市壁の中に閉じ込めて殲滅します。しかし報告にもあったようにあの黒い死者たちは、生ける市民たちに襲いかかり、奴らと同じ黒い死体に変えてしまうとのこと。これ以上呪われた死者の数を増やさないためにも、奴らの”材料”を減らす必要があります。そのためにも可能な範囲で生き残った市民らも市壁の外に避難させます」
「わかった」
「ありがとうございます」
領主の言葉に、レティシアは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「いよいよ最後の計画です。都市内に大鴉団の先鋭を送り込み、小規模の区画ごとに障害物などを設置しながら封鎖していき、閉じ込められた死者たちを少しずつ討ち滅ぼしていきます。時間はかかりますが、確実にその範囲を広げていき、最終的にはザイオンを閣下の手に取り戻す、という計画です」
そこまで話すとレティシアは、いったん言葉を止めて、伯爵の表情をうかがう。
クローヴィスⅡ世は、眉間に皺を寄せ、じっと思案していた。
レティシアはそれに臆することなく、むしろ自信に満ちた表情で最後のひと押しとばかりに力強い声を放つ。
「これが、このザイオンとその象徴たる閣下をお守りする最良の手です。どうぞご英断を」
そしてレティシアはこうべを垂れ、跪いたまま静かに伯爵の反応を待った。
レティシアには勝算があった。
下を向いたその顔に、隠しきれない笑みが漏れてしまう。
「よかろう。覇王よ、その策を採る」
予想どおり、クローヴィス2世はレティシアの提案を受け入れることになり、改めて赤錆の大鴉団として美丈夫卿の避難の護衛と都市奪還計画を進める契約を結ぶことになった。
契約した後、領主は
「貴様は、ルーファスが心配ではないのか?」
と不思議そうに尋ねる。
レティシアは特に表情も変えず、
「——心配? それはないです。私の役目である副団長とは、ルーファスの不在を支えるのが務め。心配するような余裕はありません」
そこまで冷徹な表情で語ったあと、ようやく唇をねじ曲げて不敵に笑い、
「それに、ルーファスはそう簡単には死なないですよ。それこそ殺しても死なないんじゃないですか?」
と言った。
領主も声を立てて笑う。
「それではあの黒躯どもと同じだな」
「お戯れを。ただ、そうだとすると、矢ではなく燃やした方がよかったかもしれませんな」
そういうと二人は長年連れ添った仲間のように声を揃えて笑った。
家令ブルーノを筆頭に、臣下の騎士たちはそんな主君の様子に困惑したような表情を浮かべていた。
ただわかっているのは、どうやらしばらくはこの慣れ親しんだザイオンから離れるらしいこと。
これから忙しくなりそうだ。
ブルーノは大きくため息をついた。




