第60話 カラス、発つ
朝と正午のちょうど狭間となる三時課を知らせる鐘が鳴るとほぼ同時に、ザイオン市の北部に位置する領主ダンクルト伯爵クローヴィス・ド・ザイオンII世の館の扉より、市参事会から遣わされた使者が退出する。
伯爵家の内政を任されている家令ブルーノは市長からの伝言を預かると、苦々しげな表情でクローヴィスII世と数人の臣下の騎士が集まる広間へと戻ってくる。
「使者からの情報では、東のオライア区で大規模な火災が発生、さらに……」
家令は、その内容が自分自身でもいまだ理解しきれていないのか、一旦言葉を止めると、やがて諦めたかのようにため息をつき、続きを伝えはじめた。
「……死の病により、死者が市民を襲撃。襲撃された市民のあいだへ死の病はさらに広がっており、都市全体へと広がっていくことが想定されるそうで、参事会では魔術ギルドの助言を踏まえ、この徘徊する死者を『黒躯』と呼ぶこととしたとのことです」
そこでふたたび言葉を区切り、家令はちらりと主君の表情を窺う。その整った顔立ちから「美丈夫卿」とも呼ばれる領主はその証とでもいうべき端正な横顔で目を閉じ、じっと思案していた。
「ザイオン市参事会としては、市兵における事態の解決は叶わぬものと判断。伯爵の誇り高き騎士軍団による救援を望む、とのことです」
報告を聞き終えると、伯爵は閉じた目を開き鋭い視線でブルーノを射抜きつつ低い声で尋ねる。
「……それは、まことなのか?」
クローヴィス伯爵の問いに対してブルーノは、使者との会見がはじまるとすぐに同席していた騎士を現状調査のために市内に派遣したことを伝える。
タイミング良く、派遣されていた騎士ジェラールが黒いすすで汚れた姿で戻ってきた。兜をぬいだが見事な金色の巻き髪と口髭もすすで薄汚れている有様だった。
「いやあ、ひでえもんです」
もはや青年という言葉が似合わなくなりつつあるジェラールは、薄っぺらい笑いを浮かべながら報告した。
ジェラールは従者を連れて屋敷から中央広場に向けて街路を進んだが、すぐさまたどたどしい足取りで市民を追い回す黒躯の集団に遭遇したという。
すかさず自ら言うところの「巧みな剣捌き」でその首筋に白刃を叩き込んだが、黒躯は首を切り落とされても動きを止めようとしない。
さすがのジェラールも、それには驚きを隠せなかったらしい。
まるで悪霊に乗っ取られたかのような動く死体の集団から逃げ惑う市民たち。それを守ろうとする自警団の男たち。だが、練度の低い槍の突きでは黒躯の動きを止めることすらできず、黒い腕たちに掴まれ、自警団は地面へと押し倒されてしまう。
あふれた水がゆっくりと周囲を飲み込んでいくように、黒躯の群れはすこしずつ狂乱状態の市民たちの中に侵食していき、その領域を広げていく。
しかし、誰が言い出したのかわからないが、黒躯は火を嫌うらしく、切り刻まれても死なない彼らも、灰にすることでその動きを停めることができるらしい。
噂を信じ、黒躯にむかってたいまつを投げつける市民も現れる。さらに参事会から派遣された魔術ギルドの魔法使いが火球呪文を投げつけ、黒躯の進撃をとどめようとするものの、それらの火によって街が燃えていき、炎から逃げ惑う市民とそこに襲いかかる黒躯が入り乱れるなどの混乱がますます広がっていった。
「うちの従者も一人やられちまいました」
自嘲めいた笑いを漏らしながら報告するジェラールに、クローヴィスII世は尋ねる。
「我がザイオンを守れるか?」
ジェラールは肩をすくめる。
「どこぞのカラスの手でも借りられれば、もしかしたら」
適当な男を装ってはいるが、信頼のおける腹心の部下の言葉に美丈夫卿は大きくうなずいた。
「ルーファスを呼べ」
伯爵の命に家令はひざまずき、承諾の旨を伝えた。
ザイオン市の中央広場に、赤錆の大鴉団が拠点とする屋敷はあった。
ザイオン市内でもやや西に位置するこの辺りでは、まだオライア地区を発端とした混乱の影響は見られず、いつもどおりの賑わいであった。だが、すでに街の空気には遠くで立ち昇る煙の臭いを多分に含み、なにかしらの脅威がすぐそこまで迫っていることを行き交う人々に伝えていた。
そんな赤錆の大鴉団の邸宅を、武装したダンクルト伯爵の使者が訪れる。その憔悴しきった姿は、さほど遠くないはずの伯爵の屋敷からの道中がいかに厳しいものだったかを示していた。
さっそく団長である ”灼貌”のルーファスと面会した使者は、現在の状況と伯爵から召集がかかった旨を伝える。ルーファスは速やかに快諾した。
英雄ルーファス。
その燃えるような赤毛と鍛え抜かれた体躯、そして数々の修羅場をくぐり抜けてきたであろう冷徹な瞳は、噂に聞く”灼貌”の英雄の姿そのままであった。
「レティ。一緒に来てくれ」
ルーファスは傍らに控える小柄な女性に声をかけた。
「承知しました」
レティと呼ばれた女性は低い声で返事をしながら深々とうなずいた。一見すると子どもかと見まごうほどの体格だが、さらに大きめのチュニックと女性には珍しいズボン姿が、なおさらのこと彼女の小柄さを際立たせている。
その名から彼女が副団長を務める”覇王”レティシアであることを、使者は察した。
すると、ルーファスの背後に立つ長身の美女は、傭兵団一の戦巧者と評される”旋風”のモイラか……。
まだ騎士に叙任されて間もない使者は、噂でしか聞いたことのない英雄たちの姿に改めて圧倒された。
「モイラ、お前もだ」
「はい」
戦場では圧倒的な膂力と鍛え抜かれた技術によって鬼神のごとき活躍を見せるモイラだが、この場においては女性らしい穏やかな微笑みをもって答えた。
やがて準備を整えたルーファス以下の赤錆の大鴉団の幹部三名は、伯爵の使者とともに領主館へと出発した。
「……これは酷いな」
屋敷を出てすぐにレティシアが東の空を見上げながら顔を顰める。
本来真っ青なはずの空には、地上から立ち上った幾筋もの灰色がかった煙によって、まるで曇り空のように鈍色に澱んでいた。木材が焦げる臭いが強く鼻を刺激する。
「急ごう」
ルーファスは、部下たちを急かした。
中央広場を過ぎ、領主館への最短経路となる市場通りに足を踏み入れると、次第に東の方角から逃げてくる市民の姿が目立つようになってくる。
「やばいんじゃない?」
レティは忌々しげに顔を歪め、舌打ちする。そんな副団長の反応にルーファスはちらりと一瞥をくれる。それ以上の反応は見せなかったが、モイラはその意図を正しく受け止め、抱えていた武器をきちんと握り直すと、先頭に立って歩き出した。
モイラが構えるのは、グレイブと呼ばれる長柄の武器である。槍に似た長い柄を持つ武器であるが、その先端は幅の広い片刃の剣のような形状をしている。その柄の長さだけでなく、穂先にある刃の大きさからもそれなりの重量があるはずだが、モイラはまったく重さを感じさせず軽々と扱っていた。むしろその怪力があるからこそ、破壊力のあるグレイブがモイラの愛用の武器たりえているのであろう。
得物を構えたモイラの姿を見たレティシアは、唇を歪めて笑う。
「鬼に金棒だな」
「なんだそりゃ」
ルーファスは、レティシアの奇妙な言い回しを笑いながら悠然と歩きつづける。その腰には赤錆の大鴉団の象徴でもある特徴的な炎の装飾に飾られた長剣を帯びていたが、まったく抜く気配はなかった。
さらにいえば副団長であるはずのレティシアなどは丸腰だ。小柄な身体ながらも先行する大柄な二人に遅れることなく力強く大きな歩幅で歩みを進めている。
傭兵団の幹部たちに付き従うように歩いていた伯爵の使者は、ときおり小走りになりながら必死にその後を追っていた。
進むにつれて逃げ出してくる市民とすれ違う回数も増えていく。
風によって運ばれてきたであろう白い煙は次第に濃くなっていき、やがて路地を曲がると、両脇の木造の建物が勢いよく燃え上がる光景に行き当たった。
煙のなかを、低いうめき声をあげながらたどたどしく動く人影が複数見える。
先頭を進むモイラは不穏なものを察したのかその足を止めた。
やがて白煙から抜け出てきたそれらは、激しい熱によって皮膚が焼けただれた黒躯の姿であった。使者から聞いた話では火に弱いということだったが、まったくそうだというわけでもないらしい。
「こいつがその黒いやつか」
レティシアは嬉しそうに言った。
黒躯たちはルーファスたちの姿を認めると、低く唸り声を轟かせながらたどたどしい足取りでゆっくりと近づいてくる。
グレイブの広い刃がちょうど後頭部に来るように掲げたモイラは、一歩一歩と黒躯が歩み寄ってくるのを冷静な表情で注視していた。離れた位置からは黒みがかった灰色に見える黒躯だが、近づいてみるとその皮膚には細かい網目のような黒い模様が縦横無尽に施されているのがわかる。さらにその瞳は本来白であるはずの箇所までどす黒く染まっており、まるでぽっかりと穴が空いているようでもあった。
一体の黒躯が、前方で長柄兵器を構える恵まれた体格の美女に黒く焦げた両腕を伸ばしてくる。その黒ずんだ爪がモイラの腕に触れようとした刹那、鈍色のグレイブの刃が一閃し、黒躯の肩から胸にかけて大きく斬り裂いた。
激しい斬撃は切り伏せられた黒躯の身体を大きく歪めながら吹き飛ばす。深々と肉体をえぐるほどの一撃だったが、黒躯は何事もなかったように起き上がると、ぽっかりと開いた傷口からぼたぼたと粘着性の高い血液を垂らしながらふたたびモイラに向かって歩いてくる。
その異様な光景にモイラのみならず、ルーファスまでもが驚きの表情を浮かべた。
「本当に死なないんだな……」
どこか感心したようにルーファスが言う。レティシアは眉間にしわを寄せながら「不死者」とつぶやいた。
渾身の一撃が通じなかったという事実に表情を曇らせたモイラは、グレイブをくるりと回転させ黒躯に向かって柄の末端にある石突を構えると、槍を突き出すような動きで一気に敵の焼けただれた胸元へと叩き込む。鍛え抜かれた技術と圧倒的な膂力によって、たまらず黒躯は遠く離れた後方へと突き飛ばされた。
その様子にモイラは安堵の表情を浮かべる。
斬撃は無理でも、叩けば飛ぶようだ。
そのままモイラは足を進め、襲いかかってくる他の黒躯たちにめがけて次々と硬い柄を食らわせていった。グレイブだけの重さだけでなくモイラ自身の体重と強靭な筋力も乗せられた一撃に、たまらず黒躯は吹き飛ばされていく。
「いまのうちに!」
進路を塞ぐ黒躯を取り除いたのを見計らい、モイラの冷徹な声が飛ぶ。
一行は、いまだ動きを止めない黒躯の手から逃れるように道を急いだ。




