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リィンカーネーションの理 〜そして僕たちは異世界で巡り会う〜  作者: 奥槻 庵
第七章 灼貌の勇者ルーファス

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第59話 黒い汚泥

 修道女に起きた突然の変化に、居合わせた自警団の二人のみならず、子どもたちも言葉を失い、唖然とした表情でただ立ち尽くす。

 子どもたちに顔を向けたミアの眼窩は、底のない深淵のように真っ黒に染まっていた。それを見た子どもから、きゃあという小さな悲鳴が漏れる。

 やがて、ミアはその瞳を閉じると、突然、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 歪んでいた空間もいつしか元の様子に戻っている。

 だが、倒れたミアの周辺には、空間より生み落とされた球形の汚泥がうごめき、さきほどの光景が夢ではなかったことを告げていた。

 ミアと揉み合っていた自警団の男は地面に座り込んだ姿勢のまま、ゆっくりと這い寄る汚泥を見つめる。

 微細な触手が無数にうごめき、その泥のような表面は生き物のように脈打っていた。球形だった汚泥は、ときおり潰れ、ときおり盛り上がり、生きているかのように自由に姿を変え続ける。

 

「……なんだったんだ?」

 

 座り込んだ男は、相棒に向かって問いかける。

 もう一人の自警団も、アカメの子に追撃しようと構えていた剣を下ろし、「さあ?」と呆然とした様子でつぶやいた。誰しもがなにが起こったのか理解できていなかった。

 直前までミアと争っていた男は怯えた様子で、すぐ目の前に倒れる修道女を眺める。

 黒い修道服は土で汚れ、倒れた拍子にめくれた裾からは、本来は覆い隠すべき白いふくらはぎが露出している。いまだに気を失っているらしく、長い黒髪に包まれた端正な顔は、目を閉じたまま、動く気配もなかった。

 いつもどおりの朝であったならば、可愛らしい、と思ったであろう。

 だが、男にとって、もはやミアは畏怖の対象でしかなかった。

 いまだに地面に腰を下ろしたまま放心する男を取り囲むように、もぞもぞとうごめく黒い汚泥の塊。そのおぞましさに顔をしかめながら、男は、

 

「気持ちわりぃな。なんなんだよ、これ?」

 

 と乱雑に手を振るい、払いのけようとする。

 しかし汚泥は払われるどころか、男の指先に触れるとそのまま張りついてしまった。

 

「な、なんだよ?」

 

 男は、少し顔をひきつらせながら慌てたそぶりで、指先にくっついた不気味な泥の塊を取り除こうと激しく指先を振るう。

 しかし、黒い汚泥は微動だにせず、そればかりかむしろ男の皮膚に溶け込んでいくかのように吸い込まれていった。体内に侵入した汚泥は繊細な網目を広げていくように腕のなかを駆け上っていく。

 自警団の男は、大きな悲鳴をあげた。

 すさまじい勢いで浸透していく黒い模様を取り除こうと、わめき散らしながら必死に皮膚をこするが、その侵食を止めることはできない。網目はお互いをつながり合いながら皮膚全体を黒に染め上げていく。そして、全身を汚染する黒ずみが喉元にいたると、男は大きくたまった息を吐き出すようなくぐもった音を最後に声を失ってしまった。

 やがて全身を蜘蛛の巣状の黒い模様に覆われた男は、表情もなく近くに落ちていた剣を拾いつつゆっくりと立ち上がる。そして棒立ちのまま、しばらく左右に揺れていた。

 もう一人の自警団や子どもたちは、全身を真っ黒に変貌させた男の様子を固唾を飲んで見守る。その顔はいずれも恐怖に支配されていた。

 

「お、おい……大丈夫か?」

 

 相棒の自警団員がおそるおそる声をかける。

 男は、その声に振り向くと、ようやく他人の存在に気づいたかのように、ゆったりとしたしぐさで相棒めがけて歩き出した。言葉も表情もなく歩み寄る変わり果てた仲間の姿に、思わずあとずさりをしてしまう。

 

「おい、なんか言えよ? どうしたんだよ?」

 

 しかし、黒に染まった男は、その呼びかけに応じず、近づいていくといきなり手にした剣で仲間だった男に切り掛かってくる。

 

「ちょっ……⁉︎」

 

 平時はともに石工として働くもう一人の自警団の男は、反射的に剣を振り上げると容赦なく斬りつけてきた刃を受け止め、そのまま黒ずんだ男の持っていた剣を弾き飛ばしてしまった。

 だが、剣を失っても男はまったく怯むことなく、素手のまま掴みかかってくる。

 まるで獣にでも取り憑かれたような仲間の様子に恐怖を覚えた自警団の男は、襲いかかる相手の勢いを利用して、その喉元に剣先を突き立てた。ちょうど首の柔らかい部分に刺さった剣先は、黒く染まった肉を音もなく貫き、いともたやすく向こう側へ貫通する。だが、黒色に身を染めた男はそれでも動きを止めず、同僚だった男を組み伏せようと前進してくる。

 人間のものとは思えない圧倒的な力に動揺しながら、自警団の男は喉に突き立てた剣を必死に支え、少しでも襲撃者から身を離そうとした。しかし、その力の差によって少しずつ押し込まれ、男は足をすべらせながら徐々に後ずさっていく。

 ふと足元を確認しようと背後に視線を向けたとき、男はそこに泣き腫らしたアカメの少女が立っていることに気がついた。

 男に斬られた太ももからは真っ赤な血が流れ、その顔には汚れた手で何度も拭ったと思しき涙の跡がくっきりと残されていた。

 少女は、怒っていた。

 男は絶望する。

 すかさず背中に強烈な熱線を浴びた男は、たまらず地に倒れ込んだ。身にまとっていた衣服は黒く焦げ、その隙間からは真っ赤にただれた皮膚が剥き出しになっている。

 うつ伏せの状態で低いうめき声を漏らしながら激痛に身をよじる男であったが、喉に剣を刺したままの黒い男は、無慈悲にもその背中に覆いかぶさるように掴みかかってくる。男は抵抗することもかなわず、常軌を逸した怪力で抑え込まれてしまった。

 

「や、やめろ!」

 

 男が絶叫する。

 すぐさま接触した皮膚から黒ずんだなにかが菌糸のように、押さえつけられた男へと広がっていく。全身に侵食する黒い菌糸は、驚くべき速さで倒れた男を黒に染めあげ、自警団だった男たちは争いの手を止めた。

 束の間の静寂。居合わせた子どもたちは心細げに互いに抱き合いながら、その異様な光景を見守りつづける。

 やがて意志を奪われた二人の黒い男はゆっくりと立ちあがり、朝を迎えた都市の活気ある賑わいに視線を向ける。まるで穴を穿たれたかような漆黒の瞳は、あまりにも虚ろで、そこに子どもたちの姿は映っていないようであった。

 二人はなにか言葉を発するわけでもなく、たどたどしい足取りで大通りに向けて歩き出す。しばらくして男たちの姿が庭から消えると、子どもたちは涙を流しながら、倒れたミアへと駆け寄った。

 

「シスター!」

「ミア!」

 

 子どもたちの必死の呼びかけに、ミアの瞼がぴくりと動く。やがて気がついたミアは、困惑した表情で起き上がった。

 その額にあった宝玉のような輝きはすでに消え失せている。

 

「……どうしたの?」

「シスター! ビビが!」

 

 いちばん年長の少女が泣きながらミアに訴えかけた。振り返ると、そこには斬られた太ももを押さえながら地面に座り込むアカメの少女の姿があった。

 驚いたミアはすぐさま立ち上がると、地面に水たまりのように広がる黒い汚泥を踏みつけながら、倒れているアカメの子に駆け寄っていく。

 

「ビビ! どうしたの?」

「……おじさんにやられた」

 

 顔をしかめながら低くうめきつづけるアカメの子を、ミアは強く抱きしめた。

 太ももに残る切り傷を見て、大量の涙をこぼす。

 

「ひどい……!」

 

 涙を払ったミアは、アカメの少女を抱きかかえると、いちばん年長の少女に声をかけた。

 

「フローレンスは?」

「もう家のなかに入ったよ」

「良かった。他の子も家のなかに入るよう、あなたから声をかけてくれる?」

「わかった」

 

 少女の返事にミアは優しく微笑むと、アカメの少女を抱いたまま孤児院のなかへと入っていく。やがて幼い子どもたちを引き連れた年上の少女たちが室内に戻ると、孤児院の扉は硬く閉ざされ、鍵がかけられた。

 庭に残された汚泥は、しばらくすると生き返ったかのようにプルプルと不規則に震え、やがてずるずると地を這って、大通りに消えていった自警団だった男たちの後を追うように移動しはじめる。

 朝の空気を揺らすように、ふたたび鶏が高らかに鳴いた。傍らではアカメの放った熱線により燃え上がった草木がゆっくりと炎を強めていく。

 

 ザイオンの朝はまだ始まったばかりであった。

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