第56話 使徒アーシア
「フィンくんが神殿に来てくれてよかった。コルト村を出てからも頑張ってたね」
「見てたの?」
「ふっふっふ、こう見えても神とその眷属だからね。リィン様もよろしくって言ってたよ」
「……燐はここに来ないの?」
自分の神殿なのに、というニュアンスを込めて尋ねる。アーシアはさも当然といった様子で答えた。
「来ないよ。というか来られないんだよ」
「来られない? なんで?」
「神としての格が高すぎる」
アーシアいわく、転生を司るリィンは神々のなかでも比較的上位に位置するらしく、世界秩序を乱す危険性があるため、地上に降りることを禁じられているという。
代わりに使徒であるフアナとアーシアが神使として地上に派遣されるらしい。
アーシアは、ドヤ顔で「だから、あたしの言葉はリィン様の言葉だと思ってもらってもいいよ」と言い、大きくふくらんだ双丘を誇らしげに突き出した。
フィンはその自信に満ちあふれた様子に思わず吹き出しながら、
「そういえばフアナは元気?」
と尋ねる。
アーシアは縦に首を振りながら答えた。
「元気、元気。いまもコルト村で小麦を挽いているよ。すこし忙しいみたいね」
フィンは懐かしいコルト村の光景を思い出す。
本格的な冬を迎える前に、小麦を粉にしておきたいと依頼が集中することがある。ちょうどそんな時期なのだろう。
汗ひとつかかずに涼しい顔で仕事をこなしているであろう義理の母の姿を思い浮かべ、フィンは相好を崩した。
「どうでもいいけど、フアナはいつまで水車小屋やってるんだろうねえ。ぶっちゃけ、そのあいだの神使の仕事って、ずーっとあたしひとりなんだけど……」
アーシアはげんなりしたようすで言った。
身振り手振りの多いアーシアが、身体を揺らすたびに薄手の布に包まれた質感のある胸がその存在を主張してくる。神の眷属にふさわしい蠱惑的な美貌もあり、不意をつかれたフィンは不自然に視線を泳がせた。
幸い、浮世離れしたアーシアには気づかれていないようだ。
「そういえば、前世の縁を引き寄せたんだって?」
神の御使いらしからぬざっくばらんな口調で尋ねてくる。
フィンはうなずいて、転生後の遼太郎と未央と思われる人物に出会ったことを説明した。
アーシアは「ふんふん」と相槌を打ちながら、真剣な表情で聞き終えると「なるほどね」と言った。
「解体しきれなかった魂糸が残っていたんだろうねぇ。そのルーファスやミアといった人たちも前世ではリィン様と関わりがあったんでしょ? だとしたら君の魂糸が堅く癒着しているのと同じで、どこかしら魂糸が絡みあって解けない部分が残っていても、さほど不思議ではないよね」
そう言い、さらに「まあ、前代未聞であることには変わりないけど」と呆れた口調でつけ足した。
「もしかして、前世の記憶も残っていたりするのかな?」
フィンは以前から気になっていた質問をぶつける。
「うーん。断片的に記憶がよみがえるってことは、まったくないわけじゃないけど、前世のことをエピソードとして思い出せるほどとなると、まあまあ難しいと思うよ。よっぽど解体されない魂糸が残ってなきゃいけないんだけど……そのルーファスとかミアって子は、そこまでリィン様と深く関わっていたのかな?」
アーシアの問いに、フィンは黙り込むとゆっくりと首をひねった。
燐が、遼太郎や未央とどれほどの関係性にあったかは、正直よくわからなかった。
ただ一つだけ言えるのは、燐という女性が、宏基以外の特定の誰かとそこまで深い関わりを持つことが考えにくい、ということだった。
アーシアも納得したように頷きながら言う。
「リィン様も心当たりなかったみたい。そもそも魂が解体しきれていなかったことも想定外だったみたいだし」
アーシアは続ける。
「とはいえ、残っていた魂糸がそれほど大きくなくても、なにかしらの刺激によって、その部分の記憶だけが不意によみがえる可能性はないわけじゃない。もしも、それが連続するような記憶ならば、前世の記憶が戻ったように見えるかもしれないね」
そして、フィンからミアが前世の保育知識を有している可能性があることを告げられたアーシアは真剣な表情のまま、今回もそういったケースじゃないかと推察した。
「あと、リィン様が言っていたんだけど、転生した魂たちは互いに引き合うんだって。前世の友人たちとふたたび縁が結ばれたのは、そういう理由があるみたいよ」
「なるほど、ね」
フィンは感心したように相槌を返した。
しかし、縁があるはずのルーファスとは生死ぎりぎりの戦いを繰り広げ、ミアはその狂信的な博愛主義になんとなくの気まずさを抱えたまま別れることになったことを思い返した。できればもう少し素直に引き合ってほしかった。
「……魂のかけらが残っていても、性格って全然違うんだね」
フィンは寂しそうに言う。
「かけらだからね。生まれ育った環境も全然前世とは違うだろうし」
アーシアから返ってきた正論に、フィンは「まあね」と答えた。やがて、しばしの沈黙とともに
「……転生っていうけど、ここはいったいなんなんだ? 俺はいったいどこにいるんだよ?」
とつぶやいた。
アーシアは、苦笑を浮かべる。
「なんなんだ、って……リィン様も言っていたじゃん。君が以前いた世界とは別の、新たに創られた世界だって」
「それはパラレルワールドとかってやつ?」
「……パラレル?」
アーシアは甲高い声で反復しながら顔をしかめた。
「よくわかんないけど、とりあえずまったく別の世界だよ。この世界は、この世界でしかない」
「アーシア、だっけ? あんたは俺がいた元の世界にも行けるのか?」
「行けるよ。転生神の使徒だもん。まあ、あまり必要性がないけどね」
アーシアは少し誇らしげに胸を張った。
大きく突き出された豊満な胸の双丘が圧倒的な存在感を示してくる。
フィンは動揺しながら、その衝撃的な視界からあわてて目を背けた。
「……どうしたの?」
「いや、なんか身の危険を感じて」
「危険?」
アーシアは不思議そうにフィンを見つめた。
フィンはごまかすように「そろそろ神官の人も戻ってくるんじゃない?」と尋ねた。
アーシアは「そういえば、そうだったね」とうなずく。
聞けば、ナタリアたちと待ち合わせていた終課の鐘の時刻まで、それほど時間もないらしい。フィンは仲間たちと待ち合わせしていることを伝え、神殿を去ることを告げた。
「あとは大丈夫かな?」
「ああ。ありがとう」
フィンはアーシアに礼を言い、さらに「燐やフアナにもよろしく」とつけ加えた。
アーシアはにっこりと微笑む。
「リィン様は、これからもずっと君のことを見守っているから。楽しんでね」
そして別れの言葉とともに、愛玩人形のような容貌を持つ赤毛の神使は、ゆっくりとその輪郭を神殿内の光へと溶かしていき、やがてどこかへと消え去ってしまった。
しばらく甘い香りと静寂だけが残される。
その静けさも次第に薄れていき、いつの間にか小さな神殿を取り囲む周辺の生活音が聞こえてくるようになった。
もしかしたらアーシアが、余計な邪魔が入らないよう、結界のようなものを張っていたのかもしれない。
フィンが感心するとほぼ同時に、神官も神殿に戻ってくる。
「おや、礼拝はお済みですか?」
「ああ、うん、ありがとう。ゆっくりできたよ」
「それはよかったです。リィン神のこと、少しは理解できましたか?」
男性だと頭では理解していても少女にしか見えない神官の透きとおった声を聞きながら、フィンは微笑んだ。
「そうだね。ひとつわかったことがある。たぶん、リィン神は女だ」




