第51話 ザイオン前夜
翌日、村を出た一行は、夜になってようやくザイオン市へと到達した。
ダンクルト伯爵家の小さな城郭都市から始まったザイオン市は、いまでは北方でも有数の商業都市と言われるまでに成長し、その歴史と豊かさを守るために築かれた高く堅牢な市壁は、遠方からザイオンを憧れの眼差しで見つめる者を圧倒しつづけていた。
その迫力は市壁のすぐそばまで近づいたいまも一切失われるどころか、あらゆる侵入者を拒むようなゴツゴツとした壁の質感と相まって、ますますの威容を放っている。
ジーンやダーシーはもちろん、前世で巨大建造物は見慣れているはずのフィンも感心したように高くそびえたつ市壁を見上げていた。
すでに閉門の時刻は過ぎており、市内へ通じるすべての門は閉ざされている。
一行が到着したザイオンの南東に位置するリーヴィル門も例外ではなく、今日にでもザイオン市内に入れると期待していたナタリアは、ザイオン名物の薄焼き菓子を諦めざるをえず、がっかりした様子で呟いた。
「翌朝の開門を待つしかないな」
腹を空かせた一行は、リーヴィル門の周辺に集まる粗末な建物のなかから、肉の焼ける香ばしい匂いを漂わせる宿屋を見つけると、迷うことなく宿泊を決めた。
さっそく温かい料理で空腹を満たす。
長旅の疲れはあったものの、それよりも目的地に着いたという達成感が、全員の表情を明るくしていた。
「いよいよだね」
フィンは満足そうに微笑みながら言った。
「ザイオンに入ってから、どうするんだ?」
「そりゃ、まずは薄焼き菓子だろ?」
ジーンの問いにナタリアがさも当然とばかりに答える。その言葉を聞いたジーンはいぶかしげに眉をひそめた。
「おい、あんた、赤錆の大鴉団ってのはどうするんだ?」
「あわてなさんなって。いきなり傭兵団の拠点に行ったって、約束がなきゃ門前払いだ。いかに元幹部のあたしだって、いまはただの部外者だ。会うためにはそれなりに準備がいるんだよ。それに、そもそも依頼があって遠征しているかもしれないだろ? とりあえずあたしに任せろって」
めんどくさそうに顔をしかめながらナタリアは説明した。
従順な教え子のダーシーは、我関せずといった様子で、黙々とビールで喉を潤していた。
そのとき、不意に背後から見知らぬ声が聞こえてきた。
「……ナタリア様?」
その驚きが込められた声の響きに一行が振り返ると、そこには子どもかと見紛うほど小柄な男性が立っていた。
ハーフィット族だ。
一見すると十歳にも満たないあどけない少年のようではあるが、その顔にははっきりと年月を経た証として無数の皺が刻まれている。彼は驚きのあまりくわえていた繊細な彫刻が施された高価そうなパイプを落としそうになっていた。
「おー、久しぶりだな。煙草屋のオヤジか」
ナタリアは目を細めながら、懐かしそうに声をあげた。煙草屋と呼ばれた男は丁重に腰をかがめながらナタリアに近づくと、両の手で握手を求めてくる。
「ご無沙汰しとります! 大鴉団を辞めてザイオンを去ったと聞いとりましたが……」
「そうそう、挨拶もできずに悪かったな。いまはハントって街で魔術ギルドの学院講師をしてるんだ」
「学院講師ですか⁈ さすがはナタリア様だ。ハント市なら近くを通りかかることもあるんで、今度たくさんの煙草を用意してご挨拶にうかがいますよ」
「それは嬉しいなあ。いろいろ試したけど、やっぱりオヤジさんの煙草がいちばんなんだよな」
ナタリアは心の底から嬉しそうに笑った。
煙草屋と呼ばれたハーフィット族の男も、それに呼応するように無邪気に笑う。
「ありがとうごぜいます! 私どもの煙草は、選りすぐりの材料を一流の職人が調合しとりますからね。そんじょそこらの品には負けないつもりです。——そうだ! ちょうどいま今年の最高傑作を持ってきてるんですが、よかったらどうです?」
「お、嬉しいねぇ。ぜひ頼むよ!」
「承知いたしました。ちょっとだけ待っててくだせい!」
嬉しそうに頬をゆるめたハーフィット族の男は、自慢の商品を取りに、踵を返して宿屋の二階に駆け上がっていった。
「……誰ですか?」
けげんそうなダーシーの問いにナタリアは、煙草の行商人だと答えた。
ザイオンにいたころのお気に入りで、定期的に傭兵団の屋敷に来るので、そのときには、いつも大量に購入していたらしい。
極度の集中を求められる魔法使いにとっても、精神を研ぎ澄ます煙草は人気を集めており、ナタリアのようにパイプを手放さない者も少なくない。
ダーシーは、どうやらそれほど煙草が好きではないらしく、複雑な表情で愛想笑いを浮かべていた。さらにその隣のジーンは、呆気にとられたようにポカンと口を開けている。
「ジーン、どうした? いつも以上に変な顔して?」
「……あんた、本当に赤錆の大鴉団にいたんだな……」
「……いままで信じてなかったのかよ」
ジーンの言葉に呆れたようにナタリアはつぶやいた。
やがて商人が最高傑作と自負する煙草を手に戻ってくると、ナタリアはさっそく嬉しそうに細かく刻まれた煙草の葉を愛用のパイプに詰め込みながら、ザイオンの近況を尋ねる。
商人は表情を翳らせながら「うーん」とうなり声をあげた。
ザイオン市には、大都市の例にもれず、周辺から流れついた農奴や犯罪者、乞食たちが肩を寄せ合い、掃き溜めとも呼ばれる貧民窟を構成しているが、最近になってそこにカーレット族の集団が住みついて、貧民窟の住人やザイオン市民たちと頻繁にトラブルを起こしているらしい。
「アカメのやつら、徒党を組んで悪いことばっかしとるらしいんです。その影響でザイオン市民のなかから異種族排斥の動きも出てきとるそうで……ほんと、いい迷惑ですわ……」
ハーフィット族の商人は、老人のようなしぐさで首を振ると肩をすくめた。見た目は幼い子どものようだが、ハーフィット族としては、それなりに高齢なのかもしれない。
ナタリアは店内の魚油ランプにパイプを近づけて火をつけると、すかさず「おー、こいつは確かにいいねえ!」と歓声を上げた。煙草屋も満足そうに微笑む。
ナタリアはふと気づいたように言った。
「オヤジ、話は変わるが、赤錆の大鴉団の屋敷って、いまどこにある?」
「ナタリア様がいらっしゃったときから変わらず中央広場のお屋敷のままですよ」
「そいつは良かった」
ナタリアは目を細めて笑った。その目は新しい煙草の効果もあるのだろうか、どこかしら潤んだように、ランプの弱々しい光を受けて、きらきらと輝いていた。
翌朝、街の活動開始を知らせる鐘の音とともに門扉が開くと、フィンたちは通行税を支払い、ザイオン市に入場した。
念願だったザイオン市。
その圧倒的な風格をただよわせる外壁と同じく、門の内側にも歴史を感じさせる重厚な石造りの建物が立ち並んでいる。その一方で急拡大する商業都市らしく、急ごしらえと思われる木造の家もその間隙を埋めるように建てられていた。
「じゃあ、あたしは薄焼き菓子を買いに行くけど、みんなはどうする?」
道案内を買って出たはずのナタリアの突然の職務放棄に、一行から「え?」という声が漏れる。
「先生、私たちはザイオン市の魔術ギルドに来訪の挨拶をしに行くべきじゃないですか?」
そんな教え子の疑問に、ナタリアは露骨に顔をしかめた。
「ごめん、あたしはパスしとくよ。……あいつら、苦手なんだ」
「……じゃあ、私が代わりに行ってきますか?」
「そいつは助かる。すまんね。……あ、間違ってもあたしの名前は出さないようにしといてな」
「……かしこまりました」
ダーシーは困惑しながらも承諾の言葉を返した。
「それじゃあ俺は適当にそのへんぶらついてくるよ。貧民窟に行けば、薄焼き菓子よりも、おいしい情報にありつけそうだしな」
ジーンは皮肉に笑いながら言う。
「おまえは何もわかってない。一回食べてみろ。世界観変わるぞ?」
そんなジーンに向かって、ナタリアは少し怒ったように真顔で注意した。
フィンはそんな仲間たちの様子を眺めながら、はやる気持ちを抑えつつ、なんでもないといった口調でつぶやく。
「俺も街を見てこようかな?」
ナタリアは、その声に含まれる若干の緊張には気づかなかったのか、特に気に留めた様子もなく「いいじゃないか」とうなずき、最年長らしく最終判断を下した。
「じゃあ、各自バラバラってことで。日没の鐘には、どこかで落ち合おうか」
そう言うとナタリアは集合場所としてザイオンのほぼ中央にある広場を指定した。昨夜の煙草屋との会話によれば、おそらくは赤錆の大鴉団の屋敷にもほど近い場所なのだろう。




