第43話 酒場と出会い
ハント市内にある宿屋に落ち着いたフィンは、一階にある酒場に姿を見せると、さっそく主人にハント市にある傭兵団について尋ねる。
これもエリックの助言だ。
『傭兵になりたかったら、傭兵団に入るか、腕っぷしで自ら仕事を引き寄せろ』
とはいえ、いきなり市内で腕っぷしを披露するため暴れるわけにもいかず、傭兵団を探すことにしたというわけだ。
グラントと名乗る宿の主人は、市内にいくつかの傭兵団があること、そして、そこに所属する傭兵たちが夜な夜な集まる酒場があることを教えてくれた。
「うちとは違って歓楽街にある店だから多少物騒ではあるんだが、お兄さんは大丈夫かね?」
赤ら顔のグラントは人の良さそうな笑顔を向けてくる。フィンは肩をすくめながら「……深入りしないようにするよ」と答えた。
その回答に嬉しそうに何度もうなずく主人。
「ここだけの話だが、あのあたりの酒場は盗賊などのごろつきとも通じているという噂だ。十分に用心しておくれよ」
フィンは礼を言うと、出かける前の腹ごしらえとばかりに食事を依頼する。
グラントは「よしきた!」と両手を打ち鳴らすと、大声で厨房にオーダーを伝えた。
グラントから聞いた酒場は、食料品を取り扱う商店の集まる白蝋通りに面していた。朝には肉や野菜を買い求める市民で賑わうこの通りも、帰宅を促す終課の鐘が鳴り響いた夕暮れ以降には、がらりとその客層を変え、通りに数店ある酒場宿を中心に、気性の荒い酔客と、酒によって解放された欲望を満たすことで対価を得ようと艶やかに着飾った女性たちの集まる社交の場へと変貌を遂げる。
前世で生まれ育った三ノ輪の周辺にも、江戸時代からつづく歓楽街や日雇い労働者の集まる宿泊施設の密集する地域があったが、夜の白蝋通りの雰囲気はそれよりもさらに原始的で、あからさまな欲望をぶつけあうような、より野放図なものであった。
いまのフィンは、前世のころのような無力な大学生ではない。盗賊団との死闘もくぐり抜け、盗賊団の首領などの猛者を打ち倒してきた自負もある。
だが、夜の白蝋通りの、欲望にまみれた猥雑な雰囲気には、どことなく気おくれを覚えてしまう。戦場とは異なる緊張感に、フィンは大きく息を吐いた。
酒場の戸をくぐり抜けたフィンを迎える歓迎の言葉はない。その代わりに店内に詰め込まれていたざわめきと、料理や体臭などさまざまなものが混ぜ合わさった臭いが、一気にフィンめがけて押し寄せてくる。その活気にフィンは圧倒された。
店内は思ったよりも狭い。
店の中には、シンプルな造りの横長のテーブルがいくつか並べられており、そこに体格のいい酔客たちが肩を寄せ合って座わっている。木製のテーブルの上には大皿に盛りつけられた肉料理とスープの入った小さなボウルが並べられ、めいめいが歓談しながら皿代わりのパンの上に乗せて食べていた。
客層については、終課の鐘が鳴った以降も酒場で楽しもうと考えるつわものたちだ。それなりに一癖も二癖もありそうな雰囲気を漂わせている。
フィンは、傭兵らしき人物を探そうと店内を見渡すが、仕事も終わって夕食を楽しもうというタイミングでガチガチの鎧を着込んでいるはずもなく、居合わせた全員の体格の良さと人相の悪さから、誰も彼もが傭兵なのではないかと思えてしまう。
さて、どうしようと途方に暮れはじめたとき、そんなフィンめがけて艶やかな嬌声が飛んできた。
「ちょっとぉ、坊や、なに見てるんだい?」
ぎょっとして声のした方に振り向くと、そこには大胆な服装を身にまとった赤髪の女性が立っていた。ちょっと酔っているのだろうか、頬を赤く染めながら、気の強そうな目元を細めて微笑んでいる。年齢はおそらくは前世での自分と同じくらい。つまりフィンとは六歳ほど離れていそうだ。
……坊や、ね。
ちょっとだけ苛立ちを覚えながらも、フィンは「傭兵団の人を探している」と伝えた。
「へえ……坊やがかい?」
驚いたような声を上げるが、女性はどことなく嬉しそうだ。暇つぶしのおもちゃでも見つけたかのように目を輝かせると「なんで傭兵なんか探してるんだ?」と尋ねてきた。フィンはどこまで話したものかと逡巡しながら傭兵になりたいということを女性に伝えた。
それを聞いた女性は「坊やが? 傭兵だって⁈」と破裂したように笑い出す。
やがて、嘲笑うような目つきで、
「笑わせるんじゃないよ! あんたみたいな若造が傭兵になってなにしようってんだい! さっさと田舎に帰って畑でも耕してな!」
と感情的に叫んだ。
突然、酒場に響き渡った甲高い侮蔑の言葉に、それまでバラバラだった店中の視線が一斉に向けられる。注目を集めたことを確認した赤髪の女性は、さらに芝居がかった様子で両腕を上げると周囲に大声を張り上げた。
「ねえ、聞いとくれ! ここにいる坊やが傭兵になりたいって言うのさ! 誰が雇ってくれるかい?」
その声に、どっと笑い声が湧きあがる。
フィンは立ち尽くしたまま、険しい表情で周囲を睨みつけた。
「おい、坊主、知らないみたいだから教えてやるが、傭兵ってのは戦うお仕事なんだぜ?」
少し離れた場所に座る、地黒で面長の馬のような顔つきの男が、下品な笑い声を漏らしながら、子どもに説明するような口調で話しかけてくる。フィンは馬面の男を睨みつけると、腰に下げた双剣を叩いてみせた。
「武器はある。戦ったこともある」
馬面の男は、ヒューッと口笛を鳴らした。
「勇ましいな。だが、言っとくが、傭兵ってのは子どもの喧嘩じゃねぇんだよ。戦場でびびって小便漏らす前に、さっさと田舎に帰っちまいな!」
吐き捨てるように言うと、馬面はヒヒヒヒ……と不快な笑い声を上げた。
「だけど……」
「うるせえ!」
なおも食い下がろうとするフィンだったが、馬面の男が一喝し、手に持っていたマグを投げつけてきた。
フィンが素早く身をかわしたため、陶器でできたそれは、壁に当たって粉々に砕け散る。
馬面は目を怒らせて立ち上がった。いまにも掴みかかってきそうな雰囲気を醸し出している。フィンはあえて呼吸を意識して冷静さを保ちながら、すばやく周囲を観察した。
喧嘩がはじまりそうな気配に、店内のほとんどの男たちが、嬉しそうにニヤニヤと笑みを浮かべている。仲間と思しき男たちが目立たないようにそっと立ち上がり、フィンの両脇に回り込もうとしていた。その数、五名程度。
——ものの数じゃない。
イゴール盗賊団との大乱闘を生き延びたフィンにとっては、さほど困難な状況でもなかった。たぶん一瞬で片づけられるだろう。
だが、ここで傭兵団の一員を叩きのめしては、遺恨を残すだけである。
めざすべき目的のために、フィンは堪えることにした。
「……わかった。俺が悪かった」
フィンは両手を上げた。
その突然の変化に、それまで一触即発の空気を放ちながら、ものすごい形相で睨みつけていた馬面の男が、拍子抜けしたように目を見開いた。
「はぁ? なんだてめえ?」
「いったんここは引き下がることにするよ。すまなかった」
その殊勝な態度に、店内のいたるところからため息のようなものが漏れた。それまで目を輝かせながら乱闘を楽しみにしていた男たちは、すぐにフィンへの興味を失ったように視線を外し、仲間たちとの歓談へと戻っていく。
馬面も軽蔑するような表情を浮かべると踵を返して席に戻ろうとするが、フィンは声をかけて呼び止めた。
「ひとつだけ教えてくれ」
「な、なんだよ?」
しつこく食い下がるフィンに、気勢を削がれた馬面の男が面倒くさそうに答える。
「イゴールって首領がいた盗賊団が、いまどこにいるのか知らないか?」
「は? 盗賊団だと? 知んねぇよ、そんなの」
馬面はそう言うとフィンを追い払うように手の甲を振った。
「わかった。ありがとう」
そう答えると、フィンは店を後にした。
最初に絡んできた赤毛の女が、舌を出して見送ってくれた。
フィンは、店からある程度離れたところで大きくため息をついた。
ハント市での初日としては、こんなものだろう。
まったく収穫はなかったが、少なくともそう簡単ではないということはわかった。
ふたたびため息をつくと、フィンはグラントの宿に向けて複雑に入り組んだ路地を移動しはじめた。
春になったとはいえ、まだまだ夜の訪れは早い。明かりとなる松明なぞ持ち合わせていないフィンは、暗闇が街を支配する前に宿に戻ろうと道を急ぐ。
街の景観は、昼と夜とでは大きくその装いを変え、まったく異なる世界へ迷い込んだかのようだ。すでに市民もその多くが帰宅している時間である。誰ひとり歩いていない路地を、懸命に記憶を呼び起こしながら、フィンは歩きつづけた。
戻るべきグラントの宿は、市壁の塔の近くにある。
薄闇のなかで次第に色彩を失っていく都市の遠景に浮かび上がる塔のシルエットが、進むべき方向を教えてくれる。曲がりくねった路地で方角を見失うたびにフィンは視線を上げ、進路を修正した。
「スマホの地図アプリとかあればいいんだけどなぁ……」
立体迷路を進んでいるかのような路地の様相に思わず弱音を吐く。
そのとき、背後でなにかが動く気配がした。
危険を察し、全身に悪寒が走る。
道に気を取られるあまり、周囲への警戒がなおざりになっていたことを後悔した。
倒れ込むように身を翻す。
そのフィンの身体を黒い影がかすめ、民家の石壁に当たって甲高い音とともに跳ね返る。金属のきらめきから、それが鋭利な短剣であることがわかった。
フィンは崩れたバランスを立て直しつつ、身体をひねり、襲撃者の方へ振り返る。
フードのついた外套で顔を隠した小柄な人物が、ふたたび短剣を投擲しようと振りかぶっているのが目に入った。放たれる腕の動きから射線を読み、すばやく身をかわす。
腰に下げた小剣のうちの一本を抜きながら一気に距離を詰めようと駆け出すが、相手もそれを察したのか、すぐ隣にある民家の壁に向かって飛びあがり、さらにその壁を足場にふたたび跳ねると、フィンの背後へと回り込んだ。
まるでアクション映画のような身軽さに度肝を抜かれる。思わず足を止めてしまったが、背後から斬りつけられそうになり、あわてて前へと倒れ込むように走る。
コンパクトな斬撃が空を切ると、襲撃者はすぐに短剣の握り方を変化させ、投擲へと転じる。
的確に急所めがけて放たれる短剣。
フィンは小剣で打ち落とすと、すばやく腰のベルトから抜いた棒手裏剣を襲撃者へ撃ち返した。襲撃者は長い外套の裾を振るうと、飛来する鉄の塊を巻き込んで、路地の上へと叩き落とす。
フィンは舌を巻いた。
こいつ、できる……!
イゴールやルーファスといった卓越した肉体を生かして真正面から斬り結ぶ戦い方とは異なるものの、純粋な強さという意味では、それらの強者たちと比較しても大きく劣ることはない。
むしろスピードと飛び道具を多用するトリッキーな戦い方は、自分に似たところがあると思った。フィンは思わずほくそ笑んでしまった。
「……何者だ?」
フィンは油断なく小剣を構えつつ誰何する。
襲撃者は少し思案げに沈黙したのち、少し高い男声で答えた。
「さっき、イゴール盗賊団のことを尋ねていただろ?」
「……ああ」
フィンは答えながらも不審そうに眉をひそめる。襲撃者はフードのなかの頭を大きく動かし、うなずいたようだった。
どうやらさきほどの酒場で一連のやりとりを聞き、後をつけてきたらしい。
「俺がその一員だ。探してたんだろ?」
フードの陰から覗く口元がニヤリと笑みで歪む。そう言いながら、どこに隠しておいたのか新たな短剣を両手に握り、隙あらば投げ放たんと様子をうかがっていた。
襲撃者は明るい声色で、嬉しそうに語りつづける。
「ちょうどよかったぜ。俺もおまえに会いたかったんだ。おまえ、コルト村のやつだろ?」
「……なぜそれを?」
「俺もあの日、コルト村にいたのさ。矢は降ってくるわ、魔法で攻撃されるわ、ほんと最悪だったが……ぶっちゃけ、イゴールさんを討った若造ってのもおまえなんだろ?」
襲撃者の問いかけにフィンは小さく頷いた。
「やっぱりな。……覚悟しろ」
フード姿の襲撃者はそう言うと、左手、右手と時間差で短剣を放ちながら、身をかがめて一気にフィンへと詰め寄ってくる。フィンは舌打ちすると、迫りくる短剣を右手に握った小剣で打ち落とし、迫りくる襲撃者を迎え撃つべく、もう一本の小剣も抜き放って双剣に構えた。
そこに、ふたたび投げつけられた短剣が襲ってくる。
フィンは双剣のうちの片方で防ぐと、その勢いのまま、もう一方の剣を黒い外套に身を包んだ男に打ち込んでいく。男は両手に持った短剣を重ねて、フィンの斬撃を受け止める。そしてすばやく身をひるがえし、受け流すように短剣から小剣を外すと、フィンの手首や腕の内側の急所を狙い、短剣を振り回してくる。
フィンも小剣で応じるものの、刃渡りの差で相手の繊細な動きに対応しきれず、徐々に襲撃者の短剣に押されはじめてしまう。致命傷ではないものの腕や手に小さな傷を刻まれたフィンは、ふたたび舌打ちすると、大きく息を吸った。
異能を発動させる。
途端にフィンの周囲の時間経過が緩慢なものへと変わる。いや、フィンの時間消費が速まったのだ。全身の細胞がきしむような鈍い痛みに悲鳴をあげている。
フィンは内燃機関に燃料を投下するように大きく胸を動かし、新鮮な空気を取り込む。規則正しい呼吸が、まだ全身の痛みを和らげてくれるような気もする。
加速状態になったフィンは、ゆったりと切りつけてくる襲撃者の短剣をかわすと、その肋骨に小剣の柄頭を思い切り叩き込んだ。
「うっ!」
黒の襲撃者は、苦悶の声を漏らす。
したたかに打たれた肋骨をかばうように、あわてて距離を離した。突如として速度の増したフィンの攻撃に戸惑っている様子だ。
フィンは間髪を入れず、追撃をかける。
両腕を大きく開きながら真正面から飛び込むと、双剣で挟み込むように斬りつけようとする。
襲撃者はかろうじて動きを察することができたのか、逆手に持った短剣を掲げ、左右同時の斬撃を受け止めた。
だが、さらにもう一撃。
フィンは襲撃者の股間を激しく蹴り上げた。
「——ぅっ⁉︎」
声にならぬ悲鳴を上げる襲撃者。そのまま地面に崩れ落ちると、うずくまったまま激しく肩を上下させる。もはや戦う余力もないらしい。
フィンは異能を解除すると、たちまち襲いかかる頭痛に顔をしかめながらも、その背中に剣を突きつける。
「……つづけるか?」
荒い息で尋ねるフィンに、襲撃者は地に伏したまま「……降参する」と答えた。




