第35話 少年ルーファス
ルーファスは、いまからさかのぼること十二年前、周囲を山に囲まれた小さな農村ファド村で自由農民の次男として生まれた。
幼少の頃から体格も良く、近隣の子どもたちのなかでもガキ大将的な立ち位置だったルーファスだったが、そんなやんちゃな少年も七歳になるころには他の農民の子弟と同じく、家の農作業に加わるようになった。
しかし、ただでさえ山間部で耕地も少なく貧しい村である。ルーファスの家は兄弟も多く、朝から晩まで働けども満足に食べ物を得ることが難しい日々がつづいた。やがてルーファスが十二歳になり、幼かった弟たちが農作業に加われる歳にまで成長すると、かつて自分の兄がそうであったように、ルーファスも仕事を求めて最寄りの自由都市アヴィルドへと旅立つこととなった。
初めて訪れる自由都市。エルガー大森林を南に迂回する街道沿いに築かれたアヴィルド市は、大陸の西方と結ぶ重要な交易路のひとつとして賑わいを見せていた。
それまで暮らしていた寒村にはありえない、熱に浮かされたような喧騒と猥雑で粗暴であけっぴろげな開放感に、ルーファスは戸惑いつつも次第に惹かれていった。
仕事は、最初は見つからなかった。
己の膂力にそれなりの自負があったルーファスは、諸侯の軍隊で兵士として働くつもりだった。だが、アヴィルド市に諸侯の軍は存在せず、市議会に属する市兵であっても素性の知れない流れ者が簡単には入り込むことができない制度になっていた。要するに信用というものが必要不可欠な世界だったのだ。
兵役だけではない。
ギルドという同業者組合によって徹底的に管理された都市において、一般的な仕事であっても、小さな寒村から流れ着いた若者が昨日今日で得られるような職は存在してなかった。
出立するときに持参した食糧はもちろん、食事と交換してもらえそうな革や布、毛織物といった貴重品も日毎に減っていく。十二歳のルーファスは、すぐに困窮した。
やがて、アヴィルド市の貧民窟にある薄汚れた食堂で、ようやくありつくことができた硬いパンを齧りながら途方に暮れるルーファスに、人の良さそうな中年男性が声をかけた。
薄汚れた身なりだったが、それはルーファスも同じだった。
「よお。赤毛の兄ちゃん。辛気臭い顔してどうしたよ?」
イヒヒ……と卑しい笑いを漏らしながら、禿げ上がった男は馴れ馴れしくルーファスの肩をぽんぽんと軽く叩いてくる。ルーファスはげっそりとやつれた顔で、突然現れた男の顔を見上げた。
無秩序に伸びた髭と爛れた浅黒い肌。まばらに黄色い歯が覗く唇からは、不快な臭いのする息が絶え間なく吐きかけられた。
モンク、と名乗った男は、人懐っこい笑顔で挨拶する。
ルーファスの隣に座り、その事情を聞いた男は、食堂の主人に声をかけ、肉やスープを運ばせた。むさぼるような勢いで空腹を満たすルーファスを下卑た笑みを浮かべながら眺めていたが、やがて食べ終わるのを見届けると、今度はビールの入ったジョッキを用意する。
「ルーファス。仕事がないなら、俺たちのところに来ないか?」
そう言い出した男は、イゴール盗賊団の幹部だった。
幹部として各地をまわり、新たな仲間の勧誘を行っているらしい。
ルーファスの体格の良さ、そして肩に触れたときに確かめた強靭な筋肉量から十分な戦力になると見込んだという。だが、モンクは、なによりも決め手となったのは、言葉を交わしたときの素直さだと後日教えてくれた。
「おまえはまだなにも知らない。俺たちの仲間内では、まだまだ底辺だ。ゴミクズみたいなもんだ。でもな、そういうやつを成長させるのは素直さだけなんだよ。おまえにはそれがある。簡単に腐るな。これからも素直でいろ」
困窮したところを救われたということもあるだろうが、モンクの外見の薄汚さとは裏腹に、どことなく心惹かれるものを感じたルーファスは、誘われるがままに盗賊団に参加することとなる。
それこそ武器を持つことすら初めてであったが、生まれ持った強靭な肉体と基礎能力の高さによってルーファスはすぐさま目を見張るような成長を遂げた。
それは確かに天賦の才能もあったのだろう。だが、なによりもモンクが指摘したとおり、その素直さが、ルーファスを貪欲に水を吸い込む乾いた砂地へと変え、やがて眠っていた才能を開花させたといえよう。
初めて参加した襲撃の地は、生まれ育ったファド村よりも大きく豊かな農村であった。
いかに屈強な男であっても、農村にいるのは、いままで農具しか持ったことのない農夫にすぎない。武器や防具で身を固めた叩き上げの盗賊たちが相手では、そもそも戦いにすらならなかった。村は、たちまち略奪と暴行が繰り広げられる場へと変貌を遂げた。
つい先日までは同じ農夫の身であったルーファスは、その事実に衝撃を受けた。
強くならなければならない。
その思いで、ルーファスは抵抗する村人相手に無我夢中で剣を振るった。
家族を守ろうと必死に立ち向かう農夫を切れ味の悪い錆びた剣で叩き伏せ、憎しみを込めて投げつけられる拳大の石に臆することなく教会に立てこもる村人たちを制圧した。
そこには達成感もなかったし、満足感もなかった。
ついでにいえば、恐怖心も罪悪感もなかった。
あるのはただ、強くなりたいという心の渇きだけであった。
ルーファスは昔から感情が乏しいと言われていた。
自分でもそう思う。
今日は見知らぬ村だったが、もしも生まれ故郷のファド村を襲うことになったら……。
ルーファスは、平然と凶刃を振るうであろう自身の姿を思い浮かべ、すぐにその想像を断ち切るように視線をそらした。
教会に押し入ったときに三日月鎌で切られた前腕の傷を見つめる。
至近距離から打ち下ろされる刃の動きは見えていたが、完全に油断していたルーファスは避けきることができず、上着ごと切り裂かれてしまう。
……まだまだだ。
ぐっと唇を噛んだ。
「よお。新人。大活躍だったな」
背後からいきなり声をかけられた。
村の襲撃の狂乱もようやく落ち着き、イゴール盗賊団の面々も、のんびり休憩したり、あるいは強奪した食糧や貴重品を馬に積んで運び出したり、思い思いに自由な時間を過ごしている。
まだまだ新入りのルーファスは、少し居心地悪そうに村はずれの休耕地に座り込んでいるところだった。振り返ると剥き出しの真っ白な脚が視界に飛び込んできた。
思わず面食らい、慌てて視線を上げると、そこには切れ長の目を持つ、黒髪の女性が立っていた。肉感的な肢体をまるで強調するかのように露出させた奇抜な装いは否が応でも目を引く。名前は知らないが、イゴール盗賊団に数人いる女性盗賊の一人だった。ルーファスはその扇情的な容姿から、勝手に首領の情婦だと思っていた。
長身の痩せた女は、不敵な笑みを浮かべつつ、ルーファスの真横に立つ。
ルーファスは、表情も変えず、小さく会釈した。
「んだよ、挨拶ぐれぇしろよ? オレはノーマだ。あんたは?」
かすれた笑い声を漏らしながら、ノーマは愉快そうに身体を揺らす。腰まで伸びた黒髪は、ところどころで結ばれ、一定の間隔でいくつかのこぶが並んでいた。それがノーマの動きにあわせてゆらゆらと揺れる。
「……ルーファス」
小声で名乗る。
それを聞いたノーマは笑顔を浮かべると、ルーファスの隣に勢いよく座り込み、顔を覗き込みながら嬉々として話しかけてくる。
「ルーファスか。あんた、見てたけど、村人が投げた石とか棒とか全然あたらねぇのな。凄えんだけど、ひょっとして、異能持ちか?」
「……異能?」
初めて聞く言葉に、ルーファスはいぶかしげな声を返した。
「ああ。たまにいるんだ。特別な恩恵を授かって生まれるやつらがな。そういうやつらは、たとえば途轍もない怪力を持っていたり、信じられないスピードで動き回れたり、遠くのものまで見ることができたり……なんかちょっと変なんだよな。そういうことってないか?」
ルーファスは困惑しながら首を傾けた。
「……よくわからないけど、他のやつらより力は強いと思う」
ノーマは笑いながら一蹴する。
「強いったって、あんた、片手で石を握り潰せるかい? 異能ってのはそういうもんだ。あんたのは……まあ、せいぜい『個性』って感じだろ?」
そして、急かすように「他には?」と尋ねてくる。
「言っとくけど、ふつうは飛んでくる石なんか避けられねぇんだぞ? あんた、どうやってんだよ?」
しつこく食い下がるノーマにうんざりしたようにルーファスは答えた。
「……どうやってるかって聞かれても……来たら避ける……だけ、なんだけど……?」
それが事実である以上、ルーファスには他に説明のしようもなかった。
石が飛んでくるから避ける。本当にそれだけなのだ。
たぶん、みんなそうだと思う。
ルーファスには特別なことをやっているつもりはこれぽっちもなかった。
なんの面白みもないそんな返答を聞いたノーマは「ふーん」と漏らしながら難しい顔をする。そして不意に鋭い平手打ちをルーファスの頬めがけて放った。
だが、ルーファスはひょいと避ける。
ノーマは目を丸くして驚き、さらに掌を戻すように振るい、顔面に叩きつけようとする。
しかし、ルーファスは身体を傾けると、標的となった頭部をノーマの腕がぎりぎり届かない距離へと遠ざけてしまった。
「いや、ぜってーおかしいって!」
ノーマは堪えきれず叫んでしまう。
「ふつう、この距離でビンタなんか避けられねぇぞ?」
「そんなこと言われても……」
ルーファスは困惑するしかない。
「あんた……まさか、見えてるのか?」
信じられないといった様子で、ノーマが呆れた口調で尋ねてきた。
ルーファスは頷くしかなかった。むしろ、見えてないのか? と尋ねたかった。
「ははは、あんた、面白いな! 気づいてなかったのか!」
ノーマは、そんなルーファスの様子に腹を抱えて笑い出す。
「危険が迫ると周囲の動きがゆっくりに見えるっていうけど、まさにそれなんだろうな……凄えじゃん!」
興奮した様子でノーマは続けた。そして嬉しそうに相好を崩しつつ言った。
「オレも異能持ちだ。仲間ができて嬉しいぜ」
ノーマの異能は、ルーファスのように集中するだけで意識せずとも発動してしまう常駐型とは違い、使いたいときにそのつど意図的に起動させなければならないらしいが、その能力は凄まじく、遠く離れた場所まで見通すことができ、さらにそこで狙いすました目標どおりに正確に弓で射抜くことができるらしい。
その驚異的な射撃能力から、首領のイゴールたちには「鷹の目」と呼ばれ、唯一無二の存在として頼られているらしい。
ショートソードは帯びているものの、前線で剣を交えることも少なく、それゆえ防御力の低い肌も露わな服装をしているらしい。
もちろん首領の情婦でもなかった。
「異能仲間だ。よろしくな!」
ノーマは、つりあがった目を細めると、人懐っこい笑顔でにっと笑った。




