第21話 ダーシーとの別れ
「そういえば、フィン、聞いたか? ダーシーのこと」
エリックは汗を拭いながら、地べたにしゃがみ込んだままのフィンに尋ねてくる。
「ダーシー? ……いや?」
なんだろう?
フィンは首を捻った。
幼い頃からの遊び仲間であるダーシーは、エリックの姪で、コルト村の村長カイルの一人娘だ。いつも伯父の仕事場に遊びに来ては、近所に住むフィンと野山を駆け回って遊ぶ年下の幼馴染であった。
もう八歳になるはずだ。
婚姻にはまだ早いが、年齢的にはそろそろ大人の仲間入りを果たす年頃である。
「……実はな」
エリックが話し始めようとしたところ、
「エリック。それは私から話すから」
背後から幼さの残る少女の堅い声が投げかけられた。
振り向くと小屋の陰から、ひょろっとしたくせっ毛の少女が現れた。
ダーシーだ。
前世の記憶の残るフィンからすれば、二歳しか離れていないものの、まだまだ幼い子どもという印象であった。
しかし、この社会がいつまでも子どもであることを許さない風潮のためか、大人びた態度やハキハキした言動など、しっかりした性格の少女へと成長していた。
「あのね……フィン」
ダーシーは衣服の腰あたりの布を指先で弄びながら、落ち着きなく視線を泳がせた。
「……私、ハント市に行くことになった」
「ハント⁉︎」
フィンは驚愕のあまり、大声を出してしまう。
ハント市とは、コルト村と同じクレイディア領に属する自由都市の一つで、コルト村からは徒歩で半日程度と最も近い都市である。コルト村でも、定期市に参加する自由農民や商用に出向く酒場の主人などが訪れることもある場所ではあるが、多くの村人からすれば一生訪れる機会がない世界で、高い城壁に囲まれた安全で、いろんな人や物が集まる混沌として活気に溢れた都市は、憧れとともに語られる場所であった。
自由に移動することが領主から認められていた粉挽きのフアナの義理の息子でもあるフィンですら、未だ訪れたことのない場所である。
前世で思い描いていた中世ヨーロッパの都市の情景を求め、いつかは訪れてみたいと思っていた場所のひとつであった。
「なんで、ハントに?」
フィンの問いにダーシーは、少し説明しにくそうに顔をしかめた。
「ええと、この前、領主様がコルト村にいらっしゃったのは知ってるよね?」
フィンは頷く。
通常、領主であるクレイディア伯が直々にこのような田舎の荘園を訪れることはありえない。それこそ天変地異の前触れじゃないかと村中が大騒ぎになったものである。当然知っている。
フィンの反応を見てダーシーはさらに言葉を続けた。
「父さんに連れられて、私も挨拶しに領主館へ行ったんだけどね。……そこに誰がいたと思う?」
緊張と興奮が入り混ざった表情で、焦らすようにダーシーは問いかけてくる。
「え? スペンサーでしょ?」
「ちがうっ! スペンサーは代官じゃん。領主館に住んでいるんだもん、そりゃいるよ。……フィンはなにもわかってないんだから」
呆れたようにため息をつきながら、幼馴染を一刀両断で切り捨てるダーシー。
「なんと、ね、魔法使いがいたの」
当時のことを思い出し、興奮が蘇ってきた様子で、次第に声が大きくなってくる。
フィンも噂には聞いていたが、領主であるクレイディア伯には、お抱えの魔法使いたちがいるという。
なかでも賢者と呼ばれる老魔法使いは、伯爵の古い友人でもあり、助言を与えるなど公私ともに伯爵を支える存在だという噂である。幼い頃に大人たちから聞いたおとぎ話の中にも登場するほどの伝説的な英雄であった。
「……まさか、賢者様?」
「そう! その賢者様!」
ダーシーはやや吊り上がった目を大きく見開き、きらきらと輝かせた。
よくわかる。
たぶんフィンも伝説の老魔法使いに会えば、まったく同じ表情を見せただろうという確信がある。
「すげえ! どんな人だった?」
「ビール飲んで、お肉を食べてたよ!」
「おおっ! すげえ⁉︎」
フィンは思わず驚きの声を漏らしたが、よく考えれば、そりゃ賢者といえども、ビールは飲むし、肉も食べるだろう。雰囲気に流された自分がちょっと恥ずかしくなった。
「……雰囲気とかは?」
「見た感じニコニコして優しそうなおじいちゃんだったよ。挨拶したらなんかたくさん話してくれて、それで、いつのまにかハント市へ行くことになっちゃった……」
ダーシーは眉尻を下げ、困ったような笑いを浮かべた。
ダーシーが父親とともに領主館を訪問したとき、本来であればその挨拶は儀礼的なものとして、一瞬で終わったはずだった。だが、その場に同席していた老賢者がダーシーに目を留め「娘さん、ちょっと顔をよく見せておくれ」と、いきなり声をかけてきたらしい。
ただでさえ普段は見かけることのない立派な騎士たちに囲まれ、さらに威厳ある佇まいのクレイディア伯の眼前に立つという緊張感の高い状況のなか、伝説的な存在である老魔法使いに話しかけられたことで、親子ともども感情の許容範囲を超えてしまったらしい。掠れる声で、なんとか「……はい」と村長のカイルが答え、ダーシーは壊れた人形のように無言で首を上下に揺らしつづけた。
賢者と呼ばれる老人は、ゆっくりと杖をつきながらダーシーの前へ歩み寄ると、皺だらけの指先でダーシーの顎を持ち上げる。そして至近距離からじっと少女の目を射抜くように見つめた。
必然的に賢者の瞳を見つめ返すことになったダーシーは、その優しげな瞳の奥にあらゆる感情が死滅した漆黒の深淵を湛えていることに気がついた。魂すら凍てつくばかりの静かな闇に身体の芯から震えが這い上がってくる。呼吸の仕方も忘れ、自然に涙がこぼれ落ちた。
永遠に続くかと思ったその時間は、意外にもすぐに終わり、老人は皺だらけの顔に浮かべた笑みとともに「よろしい」と艶のあるしなやかな声で告げた。
「娘さん、お前さんは魔術の才があるようじゃ。わしが紹介状を書いてやろう。ハントにある魔術ギルドの学院で学ぶがいい」
こうして、クレイディア伯領のみならず周辺地域でも最高位の魔術師の推薦によって、ダーシーは魔法使いへの道を歩むこととなったのである。
「……ってことで、魔術学院に行くことになったってわけ」
ダーシーは大きくため息をつく。
なんだかんだ言っても急な展開に、未だに感情が追いついていないらしい。親族としてあらかじめ顛末を聞き知っていたであろうエリックも頷きながら、フィンに「な、びっくりだろ?」と同意を求めてくる。
フィンはもちろん頷いた。
「それにしても、ダーシーが魔法使い、ねぇ……」
「……私、本当にただの農家の娘なのに……」
俯く八歳の少女は、不安そうに呟いた。
農民には珍しくないことだが、ダーシーは文字が読めない。魔法使いといえば、古今東西のさまざまな文献について研究する知の探求者というイメージがある。そのギャップもダーシーを悩ませていた。
「カイルも参っちまってな。なにせコルト村では魔法使いなんて初めてのことだ。なにをどう準備すればいいかわからないらしい」
エリックは弟の途方に暮れた表情を思い出し、遠慮のない笑い声をあげる。
「学院に行ったらいつごろ戻ってくるんだ?」
「……わかんない。学院にいる魔術師に弟子入りするみたい。休みとかあるのかな?」
ダーシーは首をひねった。
「そっか……。じゃあ、俺がハントに行くから、そんときは案内とかしてくれよな」
フィンは優しく微笑みかけた。ダーシーは少し寂しげながらも、その声に笑顔を返す。
「しかし、フィン。お前の異能といい、ダーシーの魔法といい、コルト村はどうしちまったんだろうな。そのうち天使でも舞い降りてくるかな?」
エリックはそういうと豪快に笑った。




