第2話 異能
その夜、稽古を終えたフィンはフアナと炉を囲んで夕食を取っていた。
質素な豆のスープに硬い雑穀パン。農村の平均的な食事内容だ。
日本にいた頃、食べていた食事と比べたら酷いものかもしれないが、このコルト村に転生し、この世界で育ったフィンにとっては少しも違和感のあるものではない。
「今日のエリックさんとの稽古は、いかがでしたか?」
フアナの問いかけにフィンは笑顔で、
「西洋剣術っぽいんだけど、ものすごく繊細なんだよね。力任せに叩き斬るだけかと思ってた」
と興奮気味に語ってしまう。それだけ楽しかったということだ。
今日は初歩の初歩だったので、基本の構えと振りを教えてもらった程度だ。
わずかな時間だったが、それでもエリックに教わった剣術が、構えた状態からどのように剣を操作し、相手のどこを狙うのかがきちんと考えられていることに驚かされた。
防具でガチガチに守るからこそ、敵の急所をきちんと狙う必要があるのだろう。防具の発展に育まれた剣術という印象だ。
「宏基様は、前世では生まれ育った国に古くから伝わる剣術をやっていたんですよね?」
「大学のサークルで習ってた程度だけどね」
フィンは恥ずかしそうに答える。
「なぜ、新たにこちらの剣術を習わなければならないのでしょうか?」
「うーん、こっちには指導者がいないからね……これ以上の成長も見込めないし」
少し寂しげに言うフィン。
転生前は、古武術サークルで腕の立つ先輩から古流剣術の指導を受けていた。
切磋琢磨する同級生もいた。
まだまだ教わらなければならないことは多かった。
道半ばにして指導者を失ったことは、フィンにとっては大きな痛手であった。
その心中を察したフアナは、「そうですか」と呟きながら、申し訳なさそうに目を伏せた。
「あとは……やっぱり剣術が好きなんだよね」
そんなフアナの様子に気がつくと、フィンは重苦しい空気を追い払うかのように努めて明るい声を放つ。
「せっかくの異世界転生だし、強くなりたいしね」
笑いながらのフィンの言葉にフアナも優しい笑顔で微笑み返した。
「そういえば……」
フィンは、ふと以前から気になっていたことをフアナに尋ねようと思った。
「ここ、異世界なんだよね?」
「どういう意味ですか?」
唐突なフィンの質問に、きょとんとするフアナ。その表情にフィンは慌てて言葉を継いだ。
「異世界っていうと、エルフとかドワーフとかがいて、モンスターなんかもいるんだと思ってたけど、全然見かけないよね?」
異世界にありがちな精霊や幻獣、さらに魔法使いといった存在は、村の言い伝えや子供向けのおとぎ話などには出てくるものの、実際にフィンは出会ったことがなかった。これでは前世にいたときとなにも変わらない。
フィンは自嘲めいた口調で「会ったことがあるのは転生神だけ」とつぶやく。
あまりに平凡なため、これは異世界転生ではなく、中世ヨーロッパにタイムスリップしたのではないかと若干疑っているくらいだ。
フアナは、そんなフィンの問いを「ご安心ください」と笑顔で受け止めた。
「エルフやドワーフたちも、いるにはいるんですが、彼らはここよりもっと北の土地に住んでいます。特に頑固な種族ですので、都市ならまだしも、このコルト村のような農村で見かけることはないと思います」
エルフやドワーフ以外の種族であれば、陽気で旅好きな小人族や、各地を放浪する種族もいるとのことで、そのうち出会えるのではないかとフアナは教えてくれた。
「へぇー! それは楽しみだ!」
期待に胸を躍らせるフィンだが、その浮ついた心を諌めるようにフアナは声色を変え「……そして」と低めの声で言った。いつもにない真剣な表情でフィンの目をじっと見つめながら、ゆっくりと言葉を発する。
「亜人種だけでなく、モンスターもいます」
「……モンスター」
フィンはごくりと唾を飲んだ。
フアナは頷いた。
「はい。村人たちから聞いたかもしれませんが、この村の近くでもゴブリンなどが出没することもあります。いままで出会っていないのは、大人たちが警戒して村の守りを固めてくれているからに他なりません。森にいる猪ですら、大の大人でも大怪我を負うこともあります。宏基様は、まだ子どもなのですから、絶対に近づかないでください」
フアナのただならぬ雰囲気に、思わずフィンは「はい」と答えてしまう。その返答にフアナは満足そうににっこりと微笑んだ。
「ちなみに、異世界というと剣と魔法ですよね?」
「そう! それ!」
フィンは自然と声が大きくなってしまう。
そんなフィンの様子にふふっと含み笑いを漏らすフアナ。育ての親に相応しい、我が子を見守る母親のような慈愛に満ちた表情だった。
「この村は農村なので、魔法使いはいませんが、都市には魔術ギルドがありますし、貴族お抱えの魔法使いなんかもいたりします。このコルト村の領主であるクレイディア伯にもお抱えの魔法使いがいて、たまに領主とともに荘園を訪れることもあるようです。コルト村にも来るといいですね」
「フアナは、魔法は使えないの?」
フィンは怪訝そうに尋ねた。
フアナの出自を考えれば、当然魔法のひとつやふたつくらい容易に使いこなせそうだった。しかし、その無邪気な問いにフアナはわずかに眉を寄せた。美しい相貌に悲しみの色が混ざる。それをフィンに悟られないよう微笑みながら答えた。
「いまの私には使えません。……宏基様を守るためだけの存在ですから」
フィンは以前の栄光に満ちたフアナの姿を知っているだけに、いたたまれない気持ちになってしまう。いつしか二人の間の炉の火も落ち、周囲は薄暗がりに包まれていた。窓から差し込む月明かりだけが、部屋の中の朧げな輪郭を伝えていた。
「むしろ——」
フアナはそこで言葉を区切り、笑顔を向ける。
「宏基様の異能こそ、魔法のようなものですね」
思わぬ言葉に、フィンは目を白黒させた。
「……これが?」
フィンは立ち上がると、息を深く吸い、異能を発動させる。
腹の底へと沈めた吸気を一気に全身へと充填させると、全身が焼けるように熱くなった。フィンはその状態のまま呼吸を乱さないように意識しながら部屋の中をぐるりと一周した。そして、息をふーっと吐き出した後、しばし呼吸を整えてから、
「これが……魔法?」
と、困惑したようにフアナに問いかける。知らない人からすれば、ただ子どもが歩いて部屋を一周したくらいにしか見えない。
しかし、フアナは慈愛に満ちた笑みを崩さず、「ええ」と柔らかい声で答えた。
「ちょっと早く歩けるってだけだよ?」
フィンの声は、悲痛な色を孕む。
フィンが「オーバークロック」と名づけたこの異能は、その歩みをわずかに速くする効果があった。普通に歩いているだけなのに、周囲の景色がぐいぐいと後方へ流れていく感覚は、まるで空港や駅、ショッピングモールになどに設置されている動く歩道に乗ったかのようであった。
残念なのは、あまりに効果が乏しく、走った方が速い、ということだ。
さらに、異能を発動させると、効果が切れた直後に激しい動悸と息切れに苦しむというデメリットもあった。
おそらくは肉体の性能を強制的に高めているために、解除によって急激な反動が襲ってくるのであろう。それは、幼いフィンの身体にとっては、それなりの負荷でもあった。




