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リィンカーネーションの理 〜そして僕たちは異世界で巡り会う〜  作者: 奥槻 庵
第二章 東京

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第16話 仕上げ

 そして、その均衡が破れた。

 手負いの七海がわずかに体重を右足に乗せ、全身へ走る激痛に顔をしかめる。

 その瞬間を斯波は見逃さなかった。まるで視界から消えたかのようなスピードで一気に七海の懐にもぐり込むと、七海の左脚の付け根へと包丁の刃を走らせる。

 だが、七海は待ち構えていたかのように迷いなく木刀の柄頭を真下に下ろし、斯波の脳天へと強く打ちつけた。さらに続けざまに、ひるがえした木刀を側面から斯波の顎に叩き込む。

 命を奪うこともためらわない七海の容赦ない攻撃に、斯波はボロ雑巾のように後方へと弾き飛ばされてしまった。




 しかし、その反動でバランスを失った七海も、傷ついた下肢で支えることができず、後ろに倒れ込んでしまう。

 七海は、はぁ、と大きく息を吐いた。

 穿いていたジーンズのポケット辺りの生地が切り裂かれ、どくどくと血が流出しつづけていた。




 顎を強打された斯波は、しばらく大地に蹲ったまま痛みに喘いでいたが、やがてふらつきながらも身体を起こすと、倒れた七海の元に歩み寄る。

 大の字で横たわったままの七海と、見下ろす斯波の視線が絡みあった。


「……思いっきり顎を殴りやがって……痛えよ」

「はは……悪かったな」


 斯波の憎まれ口に対して、七海が青白い顔で力なく笑った。ふたたびため息をつくと、


「……私の敗因は?」


 と、力なく尋ねた。

 斯波は、しばらく思案げに宙を睨んでいたが、やがて、


「打撃の威力、かな? もう少し威力が強かったら、倒れているのは私だったな」

「そうか……威力か……善処する」


 そういうと七海は微笑み、そして、そのまま動かなくなった。


「……七海先輩?」


 倒れた七海が眠るように瞼を閉じるのを見た宏基は困惑の声を漏らす。まだなにが起こったのか理解していなかった。いや、理解しようとしていなかった。

 斯波は、ちらりと宏基の方を振り向くが、ふたたび横たわる七海へと向き直った。そして膝をつくと、血がこびりついた包丁の刃を七海の細い首筋にあてがう。

 斯波は、どことなく寂しげに七海の顔を見つめると、やがて別れを惜しむようにゆっくりととどめを刺した。


「さて、残るは二人か——」


 斯波は、ゆらりと立ち上がると宏基と未央に顔を向け、血塗れの顔で微笑みながら尋ねてくる。


「どっちからにする?」

「俺だ!」


 宏基は迷わず答えた。


「宏基先輩⁉︎」


 大声で未央が諌めるように名前を呼ぶが、宏基は振り向きもせず木刀を握りしめ、一歩ずつ斯波に近づいていく。死への恐怖が呼吸を忘れさせ、胸の鼓動はいまにも破裂しそうなくらい激しく高まっていた。そこに背後から落ち葉を激しく踏み荒らす音が近づいてくる。

 未央は、宏基に追いつくと泣きながら「わたしも戦います!」と叫んだ。目を真っ赤に腫らしながら涙を流す未央の手には、遼太郎によって斯波の手から弾き飛ばされた包丁が握られていた。

 斯波は、にこりと笑みを浮かべる。


「近くのホームセンターで買ったやつだが、刃物の町として有名な関の包丁だ。よく切れるぞ」


 含み笑いを漏らし、そして挑発的な表情で薄い唇をねじ曲げると言葉を続けた。


「……まあ、見てきたとおりだな」

「——貴様っ‼︎」


 その発言に未央が激昂し、金切り声で叫ぶ。

 貴緒と侑輔に始まり、遼太郎、七海と斯波に命を奪われた仲間たちの姿が思い浮かんだ。

 未央は震える手で包丁を握りしめると、古武術も忘れて、ただやみくもに斯波めがけて駆け出した。

 斯波は嬉しそうに笑顔を歪ませ、向かってくる未央へ悠然と相対する。そして、なぜか宏基に視線を向けた。


 ……え?


 そう思った次の瞬間、斯波の右手が跳ねるように動き、すぐさま宏基は身体の中に灼熱の鉄棒をねじ込まれたかのような激痛に襲われた。

 腹部を見下すと、そこに見慣れぬ黒い棒が突き出している。

 そして、すぐにそれが斯波の投げつけた包丁の柄だと気がついた。


「あんたは最後だ。そこで見てろ」


 斯波の低い声が突き放すように告げる。

 宏基は、がくんと膝から落ちた。


「……くはっ」


 息が漏れ、そのまま宏基は地面に横たわった。内臓から漏れ出した鮮血が大地を汚し、落ち葉に覆われた土の中へと吸い込まれていく。突然のことに頭が混乱し、刺さった包丁を抜くべきかどうかもわからない。じわじわと痛みが強まるなか、それでも宏基は顔を上げ、斯波へと迫る未央の姿を見守った。

 双手の包丁をいずれも失った斯波は、徒手空拳にもかかわらず、余裕の表情で未央の到来を待ち構える。やがて、斯波を間合いに捉えた未央は、包丁を握った左腕を高々と掲げ、大振りの袈裟懸けに斬りつけた。斯波は涼しげな顔のまま、歩法でその軌跡を外す。未央はそれを追って、何度も包丁で斬りかかった。


「……なんでっ! 当たらないっ……⁉︎」


 未央は涙で顔をぐしょぐしょに濡らしながら包丁を振り回す。その軌道は次第に小さく、鈍くなっていった。

 その刃を平然と避けながら、斯波は倒れている宏基に声をかける。


「おい。そこのお前。まだ生きてるか?」


 薄れゆく意識の中、宏基は返事すらできず、ただ黙って二人の動きを見つめるだけであった。

 だが、斯波は、その弱々しい視線に気がつくと、ニヤリと笑う。


「……よく見てろよ」


 そういうと、斯波は急激に方向転換し、身体ごと叩きつけるかのように未央の足元へと踏み込んだ。同時に振り上げた右肘が、未央の胸にある双丘のちょうど中間部分に打ち込まれる。


「はぅっ!」


 胸郭に肘がめり込んだ勢いで圧縮された肺から大量の吐息が押し出された。その衝撃で未央は身体ごと吹き飛ばされる。毬のように地面を転がった未央は、樹木の幹にぶつかると、うつ伏せのまま、ぴくりとも動かなくなっていた。


 未央、と宏基は叫びたかった。


 しかし、その力は宏基に残されていなかった。霞んでいく視界のなかで、倒れた未央の姿も次第に薄れていく。唯一見えているのは、木々の中にひとり立つ斯波の姿だけであった。


「……終わった、か」


 斯波は、誰に言うでもなく、ひとり呟く。

 周囲には、自らの手で命を奪った亡骸が、最期のときの姿のまま倒れていた。

 念のため未央の身体を踏みつけ、呼吸が完全に止まっていることを確認した斯波は、やがて落ち葉を踏みながら、宏基の元へと歩み寄ってくる。そして感情の起伏もなく、まるで物を扱うような態度で宏基の身体を蹴って仰向けに転がすと、その腹に刺さった包丁を抜いた。

 もはや宏基には、その感覚すらも伝わってこない。ただ、ぼんやりと目の前で起こっていることを眺めているだけだった。しかし、うっすら開いたその瞼に気がついた斯波は、にやりと笑い、倒れた宏基の身体の上に座り込んでくる。


「……ちゃんと見てたか?」


 斯波は、皮肉めいた笑みを浮かべつつ話しかけてくる。もちろん、最初から答えは期待してないようで、宏基の命の火が消えようとするのを、その胸の上という特等席から興味深げに眺めていた。


「まあ、恨むなよ。しかたないんだ」


 宏基から抜いた包丁を弄びながら、ひとりごちるように斯波が言う。


「あんたらを殺さないと、私が怒られちまうからな……」


 斯波は鼻で笑った。

 すでに宏基の瞼は閉じられ、微かな呼吸すらもゆっくりと途絶えようとしていた。

 斯波は少し寂しそうに微笑むと、宏基の唇をそっと指先でなぞった。


「……またな」


 そして、宏基は、呼吸をやめた——。


「さて」


 斯波はそう言うと、ためいきを深くついた。 周囲に転がる死体を見渡す。すべて自身の手で生み出したものだ。

 そして、にんまりと諦観の笑みを浮かべると、血と脂肪でどろどろに汚れた三徳包丁を自らの首筋に添わせる。


「……これが最後の仕上げ」


 そう言うと刃を白い肌に食い込ませ、一気に引いた。

 真夏の蒸し暑い夜の空気に、血しぶきが上がる。


 ようやく準備は整った。

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