第8話僕以外触れないで
部屋の中は、今日も静かだった。
窓から差し込む柔らかな光。
整えられた空間。
玲花は椅子に座ったまま、ぼんやりと視線を落としていた。
「……」
頭の中で、何度も同じ言葉が繰り返される。
――変わったよ。
親友の声。
あの時の表情。
胸の奥に、小さな違和感だけが残っていた。
「……考えすぎ」
玲花は小さく呟く。
その瞬間。
「何か気になること?」
静かな声が響いた。
顔を上げると、シオンが立っていた。
「……ううん」
玲花は反射的に首を振る。
「そっか」
シオンはやわらかく微笑んだ。
いつもと同じ優しい表情。
そのまま自然に近づいてくる。
「ちょっと見せて」
そう言って、玲花の手に触れる。
「……?」
シオンは玲花の指先を軽く持ち上げ、じっと見つめた。
「少し赤いね」
「え?」
「どこか触られた?」
何気ない口調だった。
玲花は少し考えてから答える。
「……食堂で、ちょっと」
親友のことを思い出しながら口にする。
その瞬間。
シオンの動きが、ほんのわずかに止まった。
本当に一瞬だけ。
けれど、すぐにいつもの笑顔へ戻る。
「……そうなんだ」
穏やかな声。
「誰に?」
さらりとした聞き方だった。
「親友」
「……そっか」
少しだけ間が空く。
そしてシオンは、ゆっくりと言った。
「他の人に触れさせたくないな」
責めるような響きはない。
ただ静かに、淡々と。
「……なんで?」
玲花は不思議そうに首を傾げる。
「だって」
シオンの指先が、玲花の手をゆっくりなぞる。
「大事だから」
優しい声音。
けれど。
「僕以外が触れたら、壊れそうで」
その言葉に、空気がほんの少しだけ変わった。
「壊れるって……」
玲花は言いかけて、止まる。
シオンはにっこりと笑った。
「ごめん。変な言い方だったね」
すぐに穏やかな表情へ戻る。
けれど、手は離れない。
むしろ、少しだけ距離を縮めながら続けた。
「玲花に触れていいのは、僕だけでいいと思う」
静かな声。
はっきりとした言葉。
玲花は一瞬だけ黙り込む。
「……そんなことないよ」
困ったように、小さく笑う。
「親友は何もしてないし」
その瞬間。
シオンの目が、わずかに細められた。
けれど、それも一瞬で消える。
「そうだね」
優しく頷く。
そして今度は、そっと玲花の頬に触れた。
「僕は、触れられるだけでいい」
指先がやさしく頬をなぞる。
「他の人はいらない」
穏やかな声。
柔らかい響き。
なのに、どこか逃げ場のない言葉だった。
「……変なの」
玲花は小さく笑って誤魔化す。
シオンはその反応を見て、静かに微笑んだ。
「変でもいいよ」
穏やかな声。
「玲花が好きだから」
その言葉に、心臓が少しだけ跳ねる。
理由は分からない。
ただ。
静かな時間だけが、ゆっくりと流れていく。
――その手は、最後まで離れないまま。
――第8話 終――




