第41話触れる
「……何してるの?」
シオンの声は、やわらかいままだった。
玲花は答えない。
手の中には、さっきの手紙。
強く握りすぎて、紙が少ししわになっている。
「……玲花?」
一歩、近づいてくる気配。
けれど玲花は逃げなかった。
視線も逸らさない。
「……それ」
シオンの視線が、手元へ落ちる。
「持ってるんだね」
穏やかな声だった。
責めるような響きはない。
でも——見逃す気もない。
「……」
玲花はゆっくり息を吸う。
心臓がうるさい。
怖い。
なのに。
「……見る」
小さく呟く。
それでも、はっきりしていた。
「……え?」
シオンがわずかに首を傾ける。
玲花は壁の隅を指さした。
「そこ」
喉が乾く。
それでも続ける。
「……触るから」
ほんの短い沈黙が落ちた。
シオンは何も言わない。
ただ、静かに玲花を見ている。
玲花は視線を壁へ戻した。
逃げない。
もう。
震える手を、ゆっくり伸ばす。
止まりそうになる。
それでも止めない。
あと少し。
触れる距離。
「……玲花」
後ろから低い声が落ちる。
さっきより少しだけ低い。
「やめたほうがいい」
やわらかい言い方。
でも、圧があった。
「……やだ」
即答だった。
自分でも驚くくらい、はっきりと。
空気が少しだけ変わる。
シオンは黙った。
止めない。
でも近い。
すぐ後ろにいる。
玲花はそのまま指先を伸ばした。
「……!」
触れた瞬間、息が止まる。
硬い壁じゃない。
少しだけ、たわんだ。
「……」
恐る恐る押してみる。
わずかに動く。
玲花は目を見開いた。
「……ね」
声が漏れる。
「……動く」
その一言で、背後の気配が変わった。
「……玲花」
名前を呼ばれる。
今度は、もっと低い声。
でも玲花は振り返らなかった。
「……ほら」
もう一度押す。
すると、ほんの少しだけ隙間ができた。
暗い。
中は見えない。
でも、確かにそこに“何か”がある。
その瞬間。
手首を掴まれた。
「……っ!」
強くはない。
けれど、逃がさない力だった。
「……そこまで」
静かな声がすぐ後ろで響く。
玲花はゆっくり振り返る。
シオンが立っていた。
表情はいつも通り。
でも——目だけが違う。
笑っていない。
「……なんで」
思わず声が漏れる。
「……何があるの」
シオンは少しだけ玲花を見つめた。
それから、小さく息を吐く。
「……玲花」
声はまたやわらかく戻っていた。
「見なくていい」
「……やだ」
今度は、さっきより強い声だった。
シオンの目がわずかに細くなる。
「……珍しいね」
ぽつりと言う。
「そんな顔するの」
玲花は手を引こうとする。
でも離れない。
「……離して」
短く言う。
シオンは少しだけ黙った。
「……無理」
やわらかい声。
でも、はっきりした拒否。
玲花の息が詰まる。
「……危ないから」
静かな理由。
「……それ、嘘」
思わず出た。
空気が止まる。
「……隠してるでしょ」
震えながら言う。
それでも、目は逸らさない。
シオンは何も答えなかった。
ただ、静かに玲花を見ている。
その沈黙が、一番怖い。
やがて。
シオンがゆっくり口を開く。
「……じゃあ」
少しだけ首を傾ける。
「見たい?」
玲花の呼吸が止まる。
手首はまだ掴まれたまま。
壁の隙間は暗いまま。
シオンの目だけが、静かにこちらを見ていた。
選ばされている。
そんな感覚がした。
見れば、もう戻れない。
それでも——
「……見る」
小さく。でもはっきりと。
――第41話 終――




