第39話気にしないで
夜は、静かだった。
窓の外では風がわずかに揺れている。
屋敷の中は、息を潜めたみたいに静まり返っていた。
「……起きてる?」
扉の向こうから、やわらかな声が響く。
少し遅れて。
「……うん」
小さな返事。
ベッドの上で、玲花は身体を起こしていた。
「どうしたの?」
扉が開き、シオンが部屋へ入ってくる。
相変わらず、足音はほとんどしない。
「……なんでもない」
玲花は反射的に答えた。
「そっか」
シオンは短く頷く。
それ以上、無理に聞こうとはしない。
「……眠れない?」
穏やかな声。
「……ちょっと」
玲花は視線を逸らしたまま答える。
「そっか」
同じ返事。
けれど。
気づけば、シオンはすぐそばまで来ていた。
「……玲花」
静かに名前を呼ばれる。
「怖かった?」
その一言で、呼吸が止まる。
「……」
言葉が出ない。
シオンはすぐに続けた。
「大丈夫だよ」
優しい声。
「ここには、何も入ってこない」
静かな断言。
その言葉に、胸の奥がざわつく。
——入らせないよ
さっきの声が、頭の中で重なる。
「……」
シオンの手がゆっくり伸びる。
そっと、玲花の頬に触れる。
やさしい温度。
なのに、逃げられない。
「震えてる」
小さな声。
「……寒いだけ」
玲花はとっさにそう返した。
「そっか」
シオンは否定しない。
けれど、その目は玲花から逸れなかった。
沈黙。
近すぎる距離。
「……ね」
少しだけ声が落ちる。
「さっきのこと、まだ考えてる?」
「……」
答えられない。
シオンは小さく笑った。
「気にしなくていいよ」
穏やかな声。
「変なものは、全部消しておいたから」
「……っ」
玲花の息が詰まる。
今の言葉。
どこか引っかかる。
「……何を?」
思わず問い返す。
「ん?」
シオンは首を傾げた。
「何も」
軽い口調。
「ただの紙でしょ」
やさしく笑う。
「残しておく意味、ないよね」
正しい言葉。
否定できない。
それなのに。
胸の奥のざわつきだけが消えない。
「……玲花」
また名前を呼ばれる。
「怖いなら、忘れていい」
静かな声。
「覚えてなくても、困らないから」
その言葉に、玲花はわずかに息を止めた。
「……」
少しだけ、怖い。
けれど。
「……うん」
頷いてしまう。
「いい子」
シオンはやわらかく笑った。
優しく頭を撫でられる。
逃げられないまま。
「今日はここにいよ」
静かな提案。
「一人だと、余計考えるでしょ」
否定できなかった。
「……うん」
玲花が頷くと、シオンは満足そうに目を細める。
「大丈夫」
もう一度、優しく言う。
「俺がいる」
その一言だけで、少し呼吸が楽になる。
安心してしまう。
それが、少し怖かった。
ふと、玲花の視線が部屋の隅へ向く。
何もない場所。
けれど。
やっぱり、そこに“ある”。
消えていない。
「……」
玲花はしばらく見つめたあと、小さく呟いた。
「……いい」
諦めるように。
「……今は」
ゆっくりと目を逸らす。
向けた先は、シオンだった。
そのまま、そっと寄りかかる。
逃げ込むみたいに。
シオンの腕が静かに背中へ回る。
やわらかく抱き寄せる。
優しい。
けれど、決して離さないように。
「……大丈夫」
耳元で囁かれる。
「もう、来ないから」
その言葉に、玲花は何も返せなかった。
ただ。
静かに目を閉じた。
――第39話 終――




