第3話残された名前
食堂は、今日も変わらず賑わっていた。
人の話し声。
食器の触れ合う音。
この場所だけは、外の世界と何も変わらない。
「……玲花」
名前を呼ばれ、玲花はゆっくり顔を上げた。
そこには親友が立っていた。
自然な動作で向かいに座る。
この時間だけが、唯一現実のように感じられた。
「……元気?」
「……普通」
短いやり取り。
それだけなのに、少しだけ呼吸が楽になる。
親友はしばらく何も言わなかった。
けれど。
「……ねえ」
落ちた声色に、玲花はわずかに視線を上げる。
「聞きたくなかったら、いいけど」
その瞬間、嫌な予感が胸をよぎった。
「……なに」
「あの人のこと」
心臓が、大きく跳ねる。
名前を出されなくても分かった。
誰のことなのか。
「……何」
自分でも分かるほど、声が硬くなる。
親友は一瞬だけ目を伏せた。
「捕まったままだよ」
分かっていた。
そんなこと、最初から。
それでも、言葉として聞かされると重さが違った。
「……そう」
それしか言えない。
沈黙が落ちる。
やがて親友は、ゆっくり顔を上げた。
「あの人、最後まで玲花のこと信じてたよ」
息が止まった。
「……やめて」
反射的に遮る。
「……なんで、信じちゃうの……」
掠れた声が漏れる。
あの人は、嘘を信じていた。
最後まで。
視界がわずかに揺れる。
胸の奥が、鈍く痛んだ。
親友は何も言わない。
慰めもしない。
責めもしない。
ただ静かにそこにいる。
その優しさが、余計に苦しかった。
「……もう、その話いい」
玲花は小さく呟く。
まるで逃げるように。
「……うん」
親友は静かに頷いた。
それ以上、何も聞かなかった。
屋敷へ戻ると、シオンがいつものように微笑んでいた。
「おかえり」
穏やかな声。
「今日はどうだった?」
「……普通」
いつもの答え。
けれど今日は、胸の奥がざわついていた。
「どうしたの?」
シオンが少しだけ距離を詰める。
「顔、ちょっと疲れてる」
優しい声だった。
その優しさが、今は苦しい。
「……なんでもない」
玲花は視線を逸らす。
「そっか」
シオンは、それ以上追及しなかった。
ただ。
ほんの少しだけ、その視線が長く留まった気がした。
「無理しないでね」
その言葉に、一瞬だけ。
――あの人の声が重なった気がした。
胸が、強く痛む。
それでも玲花は、
「……うん」
小さく頷いてしまうのだった。
――第3話 終――




