第22話届かない距離
夜の空気は冷たかった。
屋敷の奥。
元恋人は、息を潜めながら進んでいた。
足音はほとんどない。
それでも——
「……」
肌にまとわりつくような視線だけが消えない。
監視されている。
確信に近かった。
それでも、止まらない。
「……あと少し」
小さく呟く。
目の前には、灯りのついた窓。
さっき見えた場所。
理由はない。
けれど、直感が告げていた。
——あそこだ。
ゆっくり近づく。
音を立てないように。
一歩。
また一歩。
そして。
「……っ」
窓の向こうが見えた。
ベッド。
白いシーツ。
その上に横たわる、一人の姿。
「……玲花」
声にならない声が漏れる。
間違いなかった。
少し痩せたようにも見える。
でも。
確かに、そこにいる。
胸の奥が、一気に締めつけられた。
「……無事、なんだな」
安堵と違和感が、同時に押し寄せる。
静かすぎる。
守られすぎている。
まるで、外と切り離されたみたいに。
「……」
そのとき。
玲花が、わずかに身じろぎした。
「……ん……」
眠りの中の、小さな吐息。
その一音だけで。
「……っ」
心臓が強く鳴る。
本当にいる。
ここに。
「玲花……」
思わず、手を伸ばしかける。
ガラス一枚。
それだけなのに。
遠い。
触れられない。
声も届かない。
「……連れて帰るからな」
小さな決意が落ちる。
その瞬間。
「それ、無理だよ」
背後から声がした。
「……!」
一気に振り返る。
そこに立っていたのは——
「夜に勝手に入ってくるなんて」
やわらかな声。
けれど、逃げ場のない距離。
「礼儀を知らないの?」
シオンだった。
月明かりに照らされた金髪。
穏やかな笑顔。
でも。
目だけが、まったく笑っていない。
「……お前か」
元恋人の声が低くなる。
一歩、前に出る。
玲花の部屋を背にするように。
「静かにしてくれる?」
シオンが、人差し指を立てる。
「起きちゃうから」
その声は、ぞっとするほど優しかった。
でも。
完全に支配する側の声だった。
「……玲花を閉じ込めてるのか」
元恋人が睨む。
「違うよ」
即答。
「ここにいたいって思ってるだけ」
にこり、と笑う。
その言葉に。
元恋人の目が鋭くなる。
「本気で言ってんのか」
「うん」
迷いなく頷く。
「だって、あの子」
シオンは、ほんの少しだけ窓の方を見る。
「逃げようとしないでしょ?」
静かな確信。
「……っ」
言葉が詰まる。
それは事実だった。
さっき見た玲花。
安心した顔で眠っていた。
「ね?」
シオンが微笑む。
「君が思ってるより、ちゃんとここにいるよ」
その言葉は優しくて。
残酷だった。
窓の向こう。
玲花は何も知らず、眠っている。
たった数歩先で。
全てが動いていることにも気づかないまま。
――第22話 終――




