第六十六話 勇者と魔王がいる場所
荒野に、煙がたゆたっていた。
焦げた大地。削り取られた地形。
その中心に――異物のように、ひとつだけ“無傷”の空間が残されている。
光り輝く球体。
その周囲を、六本の黄金の鎖が円環を描くように巡っていた。
鎖は音もなく軋み、まるで意思を持つかのように空間を縛り上げている。
――聖域結界。
神力によって展開する絶対防御。
発動すればその場に固定される代わりに、鎖の数に応じて強度は飛躍的に増す。
そして、その結界の中――
「悠真、大丈夫!?」
膝をついていた悠真へ、セリシアが駆け寄る。
その声には、隠しきれない焦りが滲んでいた。
「あ、ああ……なんとか……。それより……今の……」
息を乱しながら、悠真は乾いた笑みを浮かべる。
だがその目は、先程の一撃の記憶をまだ引きずっていた。
「し、死ぬかと思ったぁ〜……!」
横では、美沙が力なく地面にへたり込んでいる。
「大丈夫か、美沙。立てるか?」
グレイが静かに手を差し出す。
その声は落ち着いているが、周囲を警戒する視線は鋭いままだ。
「う、うん……ありが――」
美沙がその手を取ろうとした、その時だった。
「……え?」
視線が、外へと引き寄せられる。
「な、何これ……!?」
言葉が、震えた。
結界の外――
そこにあったはずの大地が、消えていた。
いや、“抉り取られていた”。
まるで巨大な刃で世界そのものを削ぎ落としたかのように、一直線に――
地平線の彼方まで、大地が裂けている。
「だ、大地が……こんな……」
悠真もまた言葉を失う。
自分たちを中心に、円形に残された“無傷の空間”。
その外側は、すべてが破壊され尽くしていた。
結界がなければ、自分たちは、今ごろ。
その事実が、遅れて現実として喉元を締め上げる。
「他の皆も無事!?」
セリシアは振り返り、仲間たちの姿を探す。
シェリア、リア、玉藻――
そして、この結界を維持しているフェリシアーナも、全員が立っていた。
目立った外傷もなく、誰一人欠けることなく無事だ。
それを確認した瞬間、セリシアの胸を、ほっとした安堵が静かにかすめていった。
だが――
「……うっ」
かすかな呻きが、その空気を引き裂いた。
「……ルシア!?」
視線の先。
そこには、わずかによろめくルシアの姿があった。
一歩、踏み外しかける。
だが――
「……大丈夫じゃ」
倒れる寸前で、強引に踏みとどまる。
いつもの不遜な声音。
しかし、その顔色は明らかに悪い。
「結界に……穴を開けられての……。魔力を、かなり持っていかれただけじゃ……命に別状はない……」
息を整えながら、ルシアはゆっくりと視線を前方へ向ける。
その先、地平線の彼方、空間が“割れていた”。
空に走る亀裂、まるでガラスにひびが入ったかのように、現実そのものが歪んでいる。
そしてその中心には、ぽっかりと穿たれた、“穴”。何もないはずの空間に、ぽっかりと口を開けた虚無。
「我の“空間”に……穴を開けるとはの……」
ルシアの声に、わずかな苦笑が混じる。
「……なんちゅう威力じゃ……」
その一言が、すべてを物語っていた。
魔王であるルシアの領域。
その“支配下の空間”すら破壊する一撃。
そして、それを受け止めた代償として奪われた膨大な魔力。
つまり――
今、目の前にいる竜王は、「規格外」などという言葉では、生ぬるい。
「皆さん……この状況、早急にどうにかしなければなりません……」
フェリシアーナの声は、いつもどこか軽いその声音に、はっきりと“緊張”が混じっていた。
その違和感に、セリシアは即座に気づく。
「……まさか」
視線が、結界へと向く。
「聖域結界の鎖に……ヒビが……!?」
黄金の鎖。
円環を描き、結界を支えていたそれに――
細く、しかし確かに“亀裂”が走っていた。
ピシッ、と。
耳鳴りのような微かな音が、空気を震わせる。
「……ははは……」
その光景に、ルシアの頬が引き攣る。
「そりゃあ……随分と不味いのぉ……。ウリエル以上の聖域結界にヒビが入るとは……」
その言葉は冗談めいていながら、まるで笑っていなかった。
結界に流れる膨大な力を、その均衡の“歪み”を、玉藻もまた感じ取っていた。
言葉を失う一方で――
「え、ちょ、それどういう事……」
「それってルシアさん……どういう……」
悠真と美沙には、状況の深刻さがまだ掴みきれていない。
「もう、あの攻撃を防ぐことは難しいという事です」
静かに答えたのは、フェリシアーナだった。
その顔には、わずかながら“動揺”が浮かんでいる。
「う、うそだろ……」
悠真の喉が、ひくりと鳴る。
「で、でも……シェリアさんとか、ルシアも結界とか張れるんじゃ……」
縋るような問い。
だが――
「……この中で最も強固な結界は、フェリシアーナ様の聖域結界です」
シェリアが、静かに首を振る。
「私やルシアさんの障壁では……防ぎきれないでしょう」
その言葉には、僅かな悔しさが滲んでいた。
「じゃ、じゃあさ!フェリシアーナさん頑張ってよ!」
美沙が思わず声を張り上げる。
「いつも駄女神なんだから、こういう時に役に立たないと、どこで役に立つの!」
「み、美沙さん!?」
フェリシアーナが半泣きで抗議する。
「い、いくら私でも傷つきますぅ〜!」
そのやり取りが、ほんの一瞬だけ張り詰めた空気を緩める――
だが。
ピシッ――
再び、亀裂の走る音。
「……っ」
誰も、もう笑えなかった。
「……じゃあ……結構ピンチってことなのか……」
悠真の顔が、見る見る青ざめていく。
――その時。
「ううん、大丈夫よ、悠真」
はっきりとした声音。
その一言に、悠真は顔を上げる。
「……セリシア?」
「そうじゃな……」
続く声は、ルシア。
疲弊しているはずなのに、その口調には揺らぎがない。
「ルシアさん……?」
戸惑う二人をよそに――
「心配ないって〜♪」
場違いなほど軽い声が割り込んだ。
「リア……?」
振り向けば、リアは肩の力を抜いたまま、いつもの調子で笑っている。
さっきまで張り詰めていた緊張など、どこにも残っていないかのように。
「ふふ、大丈夫ですよ」
シェリアもまた、柔らかな微笑みを浮かべる。
その表情には、不安の色はない。
「いや……大丈夫って……」
悠真の声はまだ震えていた。
美沙もまた、言葉を飲み込めずにいる。
結界はひび割れ、次の一撃は防げない。
状況は、何ひとつ好転していない。
それでも――
「だって……この場所には……」
シェリアが、静かに視線を向ける。
その先、崩れかけた結界に立つ、セリシアとルシア。
かつて世界を救った勇者と、世界に君臨した魔王。
相容れぬはずの二人が、今は同じ場所に立っている
「勇者と魔王がいるんですから」
静かに、けれど確かな響きを持ったその言葉。
根拠なんてない。理屈もない。
それでもその一言は、不思議と胸の奥に灯をともす。
“この二人がいる”。
ただそれだけで、張り詰めていた恐怖が、わずかにほどけていく。
「……」
悠真は息を吐く。
美沙も、小さく肩の力を抜いた。
完全に消えたわけじゃない。
それでも、さっきまでとは、確かに違っていた。




