第六一話 それぞれの恋模様
居酒屋えにし屋を後にした奥田たち四人は、
人通りの途絶えた夜の商店街を、とぼとぼと歩いていた。
街灯の明かりが、やけに白く冷たい。
奥田以外の三人は、揃いも揃って肩を落とし、まるで生気の抜けたような目をしている。
「……はぁ……」
「……終わったよ……」
「……俺の青春……」
そんな沈んだ空気の中――
「皆!元気出そう!」
場違いなほど明るい声が響いた。
「確かに今回はダメだった。でもさ、俺たちの想いを受け取ってくれる人が、きっといつか現れる!」
奥田の目は、不思議なほど輝き、その瞳には、一切の曇りがない。
同じように振られたはずなのに。
「……こいつ、なんでこんなに元気なんだよ? 何で落ち込んでないんだよ?」
峰岸は、半分引いたような目で奥田を見る。
「シェリアさんに、何か言われてたみたいだけど……?」
瀬尾もまた、疑念のこもった視線を向ける。
「……完全に、変な宗教にハマったやつの顔してるぞ」
能登は呆れたようにため息をついた。
実際、奥田は振られた直後、シェリアから何かを告げられていた。
だが、その内容は、三人には分からない。
分かるのはただ一つ。
(……なんか、開いちゃいけない扉、開いただろコイツ……)
奥田の周囲だけ、妙に神々しい“何か”が漂っている気がするのだ。
戸惑いながらも、その光を浴びて、三人は同時に思った。
――ああ、こいつだけは、もう元の世界に戻ってこないな、と。
それほどまでに、奥田の変わり様は異様だった。
そんな三人の戸惑いなど意に介さず、奥田はなおも語り続ける。
「何言ってるんだ? 俺だって落ち込んでるさ!」
奥田は、力強く言い切った。
「だけどな、落ち込んでたって何も変わらないだろ?だったら――また行動を起こすしかない!」
その言葉には、妙な説得力と、どこか危うさが混じっていた。
「……行動って、何を起こすのさ……?」
瀬尾は視線を落としたまま、ぽつりと尋ねる。
胸の奥に沈めたはずのショックが、まだ燻っている。
「決まってるだろ」
奥田は迷いなく答えた。
「今回、俺たちの告白は失敗に終わった。……でも、それは“今回だけ”の話だ」
街灯の光を受けて、その目がやけに強く輝く。
「これから先、俺たちの想いを受け取ってくれる人が、きっと現れるはずだ」
――あまりにも前向きすぎる言葉。
だからこそ。
「……そんなすぐに、他の人に気持ちなんて切り替えられないよ……」
瀬尾が、かすれた声で呟く。
「僕も……同じだ……」
峰岸も小さく続けた。
そして最後に、能登が静かに言う。
「……ルシアさん以外の人と付き合うなんて、今は考えられない」
三人の想いは、まだあの場所に置き去りのままだった。
振られたからといって、すぐに気持ちを切り替えられるほど――
彼らの想いは、軽くなかった。
むしろ、本気だったからこそ。
前に進むという言葉が、遠く感じてしまうのだ。
そんな三人を前にしても、奥田は一歩も引かない。
まるで――すでに“次のステージ”に立っているかのように。
「別に、無理に他の人を好きになれとは言っていない」
奥田は落ち着いた声で言った。
「今回はダメだった。……でも、チャンスがなくなったわけじゃない」
その言葉に、三人は同時に首を傾げる。
「……どういうことだ?」
「彼女たちには、まだ彼氏がいない」
奥田はまっすぐ前を見据えたまま続ける。
「だったら――何度でもアタックすればいい。自分の想いが伝わり、振り向いてもらえるまでな!」
その一言に。
三人の目が、一斉に見開かれた。
「……た、確かに……そうだよな……!」
峰岸の声に、わずかな熱が戻る。
「僕にも……まだチャンスはあるってことなんだよね……!」
瀬尾も、ゆっくりと顔を上げた。
「……諦めるには、まだ早いな」
能登の言葉に、空気が変わる。
沈んでいたはずの三人に、確かに“光”が差し込んだ。
その様子を、奥田は満足そうに見つめる。
(――よし)
そして、それぞれが口を開いた。
「僕、リアちゃんにたくさん話しかけてみる。まずは自分を知ってもらって……友達から!」
「俺はもっと自分を磨く。懐の深い、大人の男になる!」
「僕だって……イケメンになって、体を鍛えて強くなって、背だって伸ばして――もう一回、美沙さんに告白するんだ!」
三人の決意が、再び一つになった――
が。
「いや、イケメンは無理だろ」
「背は……どう考えても無理だな」
「……美沙さんは、もう諦めた方がいいんじゃないか?」
峰岸、能登、そして奥田。
三人の冷静すぎるツッコミが、同時に突き刺さる。
「なんでだよぉぉぉぉぉぉ!?」
瀬尾の叫びが、夜の商店街に虚しく響き渡った。
「僕だけ諦めろっておかしいだろぉぉぉぉ!?」
その悲痛な声だけが、いつまでもこだましていた――。
⸻
奥田たち四人が去った後の、えにし屋。
先ほどまで漂っていた、あの妙な静寂は――
まるで嘘のように消え去っていた。
店内はいつも通り、いやそれ以上に賑わっている。
当然、その理由は一つ。
「いやー、びっくりしたよ! ルシアちゃんに告白するなんてさ」
「シェリアちゃんやリアちゃんにもいってたよな? 無謀にもほどがあるだろ……」
「それ言うなら、美沙ちゃんもだろ。どう見ても無理筋だっての」
カウンターやテーブル席のあちこちで、先ほどの“四人組の告白劇”が酒の肴になっていた。
笑い混じりの声が、店内に広がる。
そんな話題を、少し離れた場所で聞きながら――
「ほんと、びっくりしたよ〜。いきなり告白されるんだもん」
美沙は苦笑しながら、手際よくカウンターの皿を片付けていく。その動きに一切の無駄はないが、どこかまだ余韻が残っているようだった。
「まったく……何かと思えば、実にくだらん話じゃの」
ルシアは呆れたように言い放つと、お猪口の酒をぐいっと一息にあおる。
「ははは……なんかさ、さっきの見てたら――デジャヴ感あるよな」
悠真は苦笑しながら、ふっと視線を遠くにやった。
脳裏に浮かぶのは――
以前、この店で繰り広げられた“ある男”の暴走。
セリシア、ルシア、美沙に――
いきなり告白して、そして見事に玉砕したあの一件だ。
そこまで時間は経っていないはずなのに、どこか懐かしい。
「ふふ……晴人さんのことね?」
セリシアもすぐに察し、くすりと笑う。
「確かにあの時も、いきなり告白していたわね」
どこか楽しそうに、あの騒動を思い返している。
「ああ……そういえば、そんなこともあったの」
「ふふ、懐かしいね。あれ、夏前くらいだったよね?」
ルシアも美沙も、記憶をたどるように頷く。
あの時の慌ただしさと、呆れと、笑い。
店の空気が、ほんの少しだけ柔らいだ――その瞬間。
「……うぅ……」
微かに、場違いな音が混じった。
「……?」
四人が視線を向ける。
カウンター席。
そこには、顔を覆い、テーブルに突っ伏したまま、小刻みに肩を震わせる泉の姿があった。
「ううぅ……どうせ僕なんか……」
途切れ途切れの声が、静かに漏れる。
「大人の魅力なんて……これっぽっちもないんだ……」
その声は、情けないほど弱くて――
けれど、妙にリアルだった。
ただただ、みっともなく。
ただただ、必死に。
泉はその場で、しくしくと泣き続けていた。
さっきまでの笑いが、少しだけ気まずくなる。
そんな空気が、店内にじわりと広がっていく。
「ははは……なんか、これもデジャヴ感じるなぁ……」
悠真は引きつった笑みを浮かべながら、視線を逸らした。
脳裏に浮かぶのは、告白するたびに玉砕し、そのたびにカウンターで泣き崩れていた、晴人の姿。
そんな既視感に、思わず小さくため息が漏れる。
そして、泉を見下ろしながら、ルシアが口を開く。
「お主……いつまで泣いておるんじゃ」
声に滲むのは心配ではなく、露骨な呆れだった。
――とはいえ。
別に、泉の気持ちが分からないわけではない。
ルシアは魔族として生まれた。
人とは違う種族。違う文化。違う世界。
だが、どれだけ違えども、魔族にも、愛や恋といった感情はある。
だからこそ、繋がり、命を繋ぎ、繁栄してきた。
けれど、自分は“魔王”だった。
他の魔族とは、生き方そのものが違う。
背負うものも、過ごしてきた時間も。
気がつけば、恋や愛といった感情に、心を動かされることはなくなっていた。
興味すら、薄れていた。
(……それでも)
一つの恋にここまで感情を揺さぶられる様は、ほんの僅かに――羨ましくもある。
だが。
(今さら、か)
そんな感情に身を委ねる気など、これっぽっちもない。
そう考えた瞬間、目の前の光景はただ一つの結論に収束する。
――面倒くさい。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
それ以上、言葉をかける気はなかった。
そして慰めるつもりなど、最初からない。何なら、泉の性格も分かっている。
こういう手合いは、勝手に泣いて、勝手に立ち直る。ましてや今は酒も入り、感情の起伏が激しくなっている。
いちいち構っていては、きりがない。
だからこそ、結論は一つ。
――放置。
それが、この場における最も合理的な判断だった。
そして、興味を失ったように視線を外すと、
「そうじゃ、マスター。先ほどは助かったぞ。話を合わせてくれて」
ルシアはカウンターの端へと声をかける。
そこには、一人静かに酒を嗜む、喫茶さくらマスターの姿があった。
「ルシアちゃんの為だ。これくらい、お安い御用さ」
マスターは穏やかな笑みを崩さず、軽くグラスを傾ける。
その声音には、どこまでも余裕があった。
店内では、まだ泉のすすり泣きが微かに響いている。
「それにしてもさぁ……ちょっと思ったんだけど」
軽い調子で口を開いたのはリアだった。
テーブル席から立ち上がり、カウンターへと身を乗り出す。
「なんでセリちゃんには告白しなかったんだろうね?
正直、私よりセリちゃんの方がモテるしさー」
その言葉に、すぐ隣に立ったシェリアが、にこやかに微笑む。
「その答えは簡単ですよ?」
聖職者らしい、柔らかく気品ある笑顔。
――だがどこか、含みがある。
「セリシアさんを見れば、分かるでしょう?」
「……ああ」
リアは一瞬だけセリシアへ視線を向け――
すぐに納得したように頷いた。
「それもそうか」
「な、何よ……リア、その顔……!」
セリシアがむっと頬を膨らませる。
だが、リアは肩をすくめるだけだった。
「いや〜? 別に〜?」
その含みのある笑みは、今度はシェリアからリアへと“伝染”していく。
そして――
「まぁの。今のセリシアに告白しようなどという者は……そうおらんじゃろうな」
ルシアが酒を傾けながら、さらりと言い放つ。
「ちょ、ルシア!? それどういう意味よ!?」
「さぁの?」
完全に楽しんでいた。
三人にからかわれ、セリシアはさらに顔を赤くする。
そんなやり取りを見て、悠真は苦笑する。
「あはは……やっぱり、女性はこういう話好きだよなぁ」
賑やかな空気。
だが、その直後。
ふと――違和感に気づいた。
カウンターの厨房。
洗い物をしているグレイの手が、わずかに止まっている。
「……グレイさん?」
悠真が声をかける。
「どうかしました?」
グレイは一瞬だけ顔を上げ――
「いや……何でもない」
短く答えた。
だが、その声音はどこか歯切れが悪い。
まるで、言葉を飲み込んだような。
再び作業に戻るその横顔は、どこか遠くを見ていた。
(……美沙が告白された時……)
脳裏に蘇る、あの瞬間。
(あの時の……胸のざわつきは、何だ……?)
理由が分からない。
だが、確かにあった感情。
その正体に、グレイは静かに戸惑っていた。
――そして。
そんなえにし屋の面々を、少し離れた場所から見守る男が一人。
カウンターの端で、静かにグラスを傾ける喫茶さくらマスター。
「ふふ……青春だねぇ……」
穏やかなその一言が、賑やかな夜に、そっと溶けていった。




