104.
「ちょっと、ウォーレン!やめなって!」
わたしの首元に掴みかかる腕をハーツさんが手で制します。が、ウォーレンさんは力を緩めません。
「ウォーレン!」
ウォーレンさんはただ、ただじっと、黒色のマスク越しにわたしを見つめているだけでした。いつにもなく威圧的に、脅迫的に、わたしに明らかな怒りの感情を向けていました。これまでわたしを害そうとした人たちへ向けた視線を、今度はわたしが受けることになりました。初めて投げ付けられた強い感情に、けれどもわたしは怯えも恐ろしさもありませんでした。むしろ、込み上げてきたのは反感です。
自分が人間にも満たない存在だと、この人は知らしめられたことはないでしょう。そんな事実を付きつけられたらきっと大きく取り乱したり、悲しみに囚われたり。わたしはそれを我慢して心の内側で必死に処理しようとしているんです。
「……っ!……」
分からないでしょう?貴方にこの気持ちもわたしの必死の努力も。分からないのに、分かるはずがないのに、それなのにわたしのことを勝手に、呑気に人間扱いしないでほしいです。余計な気遣いです。
「……私、は……」
ウォーレンさんは刺すような視線でわたしを見て、暫く何かの反駁を考えていたらしいですが、それもなく、乱暴に腕を離して、
「……好きにすればいい。だが、二度と同じことを言うな」
そう言い放ちました。解放された首元を気にしながら、わたしは背を向けたウォーレンさんを見つめました。わたしのことを想ってのこと、それは分かります。けれど、それは優しさとして受け取ることはわたしにはできません。
「二人共」
わたしが最後のウォーレンさんの言葉への反駁を頭の中でぐらぐらと煮立たせていると、
「一度頭冷やしなさい。ウォーレンもマリーも、両方よ」
ハーツさんはわたしの前にしゃがんで、
「いい?マリー、今あなたはきっと、じっくり考えて決断できているわけじゃない。ただ自棄になってるだけ。あたしも、ウォーレンもアルカも、マリーのことをとっても大切に想ってるの。それなのに、自分がどうなってもいいだとか、そんなこと言わないで。それにね、ウォーレンは――」
「ハーツ」
ウォーレンさんはそこでハーツさんの言葉を遮ります。
「……分かったわよ」
激昂していた時に比べれば思考は冷静にもなりましたが、一方でウォーレンさんとはまだ距離を置いていました。ただ一度謝ってしまえば縮められる距離ですが、そうするとわたしが必死に気持ちを押し殺した努力に嘘をついてしまうようで気が進みません。ウォーレンさんから謝ってもらえたらこの上なく話が早いのに。
「それで、結局……どうする?」
アルカさんが改めて場に問いを投げかけます。当然ですが言い合いがあっただけで答えは出ていません。頭は冷静になりましたが、一方でわたしはやはり、彼の魔法使いの提案に乗ることが良いように思えました。やけっぱちになっていると思われて突っぱねられないように、なるべく冷静さを口に含めながら、わたしは自分の意思を伝えます。
「……自分はどうなってもいい、以外の理由はちゃんとある?」
わたしはこくりと頷きます。高慢な態度で見落としがちでしたがそもそものあちらの提案を振り返れば、内容自体はかなり譲歩的だったと言えます。彼等が条件通りの行動を行ったとしたら、直ぐにわたしに危害が加わることはありません。検査やその後の実験もあくまでわたしを丁重に扱う前提で、もしも危険な行為が必要だと考えられた場合には事前に相談を行う……ひとまず、この要件を相手が従ってくれる限りはわたし自身の安全は守られているのです。
「……まぁ、そうだね」
加えて。クリフォアさんは、自身の目的をアムシースの再興と言っていましたが、アムシース等のしがらみも無関係にもっと平たく見れば、これは単純な人命救助活動です。悪い事に加担するわけではなく、見た目は明らかに慈善活動です。それを無条件に見捨てるのは、確かにわたし達が蔑される理由にはなるのかもしれません。
「……」
もちろん、クリフォアさんの言葉を全て簡単に喉奥へ飲み下すことはできません。提案に乗ってしまったら、この話のどこに嘘や掌返しを混ぜられたとしてもわたし自身は急に危険な状況に陥ります。しかし、そのリスク以上にわたしは、クリフォアさんが目指すものに協力すべきだと思うのです。わたしはあの街に遺されたものなのです。クリフォアさんと同じです。あの街と共に消えるかもしれなかったところを、たまたまわたし以外のすべてが埋まることで済んでしまった。あの街にまつわる由縁に巻き込まれるのはわたしの出自から当然です。それが表面上だけでも悪意のないものであることはある種救いでもあるのでしょう。
「マリー」
ハーツさんはわたしの眼を見つめました。
「ほんと、優しいわね。あんな連中のことでも気を遣って。でも、優しさも使いどころを考えていいのよ」
なら、今ここがその使いどころというやつです。
「……」
ハーツさんはそして、一息を置いて、
「ウォーレン」
呼びかけを一つ。しかし、呼ばれたものは壁の方を見て無視します。仕方なく、
「……爺さんはどう思うの?」
別の人をあたると、
「わしからの言葉は無い。意見としては反対するが、この議論に関してはわしの椅子は無いのじゃろう」
無気力に目を伏せて話す様。
「アルカは?」
「え、えーと……」
小さな魔法使いに判決を仰ぐと、
「……実際のところ、従わなかった場合に強硬策を取られる方がまずいと思えば、ここは大人しく従っておくのが無難にも思えるけど……でも、うーん……」
決定権を委ねるにはその肩が小さく、
「……あたしとしては大反対なんだけど……」
最後、すらっと立ったその女性は腕を組んで、
「……本当に、そうしたいのね?」
その言葉に強く頷きます。
「分かった。なら危ないって判断したら首根っこ掴んででも引っ張って、あいつ等ボコボコにして連れて帰るわね」
ハーツさんはわたしに背を向ける黒いコートに向けて、
「ウォーレンも、それで大丈夫?」
「……私はマリーの希望に沿うだけだ」
変わらずわたしの方は見てくれませんでした。
「マリー嬢」
オスカーさんに呼ばれてわたしは白髭の老人に振り返ります。
「よいか。どちらを選び、どのような結末を迎えるか……これは然して重要ではない。重要なのは、君の選択が君自身を作り上げるということ……選択をしたこと自体に、君なりの意義を見出せるよう生きることじゃ」




