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虹色のマーブルと運命の本 第一部  作者: 本堂モユク
第一部 空ろなる道連れ
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第七十八話 裏ルート

 タイマーがピッと一瞬短く鳴る。10時間を超えるごとに鳴るよう設定されている音だ。今の音は6回目、つまり試験が開始されてから60時間が経過したことを意味する。

 ここまで受験生――犬房一志が描き上げてきた絵は41枚。残り40時間弱で59枚もの絵を完成させることは生徒たちでも容易ではない。ペースを上げて描いたところで絵の質は高が知れている。ましてや犬房は素人だ。私は絵の専門外だが、犬房の絵がただの絵であることくらいはわかる。

 単純な絵のうまさで言えば、プリエルの描いた絵の方が下手くそだ。仮に、二人の絵を見比べた時に、道案内として地図を描いてもらうとすればどちらに頼むかと問われれば、誰もが犬房を選ぶだろう。しかし、芸術性に関してはプリエルの方が圧倒的に秀でている。

 彼女は一体何者なのか。ペイン様が婚約者に選んだということは、彼女こそが探し求めた器なのだろう。

『あ゛ぁ~!?んな話、納得できるかよ!』

 ペイン様がその話をした時に、もっとも強く反発したのは申し訳ないことに“裏の私”だ。そりゃあ私もいきなりでびっくりしたけど、怒りすぎだよ。

『ならば納得のいくまで試してみるがいい。ゼイルー、君は絵の専門ではないが、彼女の描く絵を見ればわかるはずだ。運命の本に選ばれし者、その資質がね』

 そのペイン様の言葉はいつも通り正しかった。

 プリエルは30時間足らずで100枚もの絵を完成させた。その間、飲まず食わずでずっと楽しそうに絵を描いていた様子は微笑ましくもあったが、少し狂気を感じた。絵の点数は非常にムラがあったものの、平均7.1点と高い点数率であり、それらの絵を描き上げるには尋常ではないペースだった。

 本試験ではなかったものの“裏の私”は意地悪なことに100時間経過するまでは部屋から出れないと言うと、お腹がすきましたと不服そうに呟きながら、寝ては描いて、描いては寝てを繰り返し、70時間を消化させた。

 プリエルはペイン様と会うまで、奇妙な連中と行動を共にしていたようだ。この犬房と、もう一人の受験生である雷獣デン。彼らはプリエルのことをマーブルと呼んでいる。ペイン様の妻になる方が禁じられし名を持つなんて、偶然にしてはできすぎている。ペイン様はこのことをどう考えるのだろう。

 いずれにせよ、犬房がここを突破することはない。彼はすでに夢の世界の住人だ。

 もうライトを消す必要はなさそうだ。

 私はこのまま、大人しく時が経つのを待てばいい。


 両手を開き、斜め前へ軽く伸ばす。そこから一気に、自分の顔面に張り手をかます。

「はぁ?何してんだぁ、てめぇ」

 ゼイルーがバカを見るような目でこちらを見る。

「いや、ちょっと気合を」

 100時間100枚というイカれた試験。半分以上もの貴重な時間を費やして、わかったことがいくつかある。

 まず、結論から述べよう。この試験、無策では突破できない。

 無茶だとは思ったけど、実際やってみるとはっきりわかった。これは根性論でどうにかなるようなものじゃない。一枚ずつ採点される仕組みからして、試験の名が示す通り技術がものをいう試験だ。時間内に100枚の絵を描いたとて、その絵の点数が低けりゃ話にならない。小学生の頃にイラストクラブに所属していたというだけで美術に関してずぶの素人の俺は、絵を描くごとにどんどんクオリティは下がっていく。体力も集中力も落ちていく状態で絵を描き続ける作業は苦痛でしかない。

 このゼイルーという試験官は相当な体力と精神力の持ち主だ。50時間以上も寝ないで人格交代を繰り返しているゼイルーの表情はまだまだ余裕だ。てっきり試験官は時間で交代するかと思ったが、この様子ならそんな必要もないだろう。あの大人しい方のゼイルーも特に疲弊した様子はない。試験官が務まるわけだ。

 そして、この部屋の仕掛け。

 たくさんのキャンバスが設置されていて、ボタンを押すと絵が採点室に運ばれる。――だけの部屋じゃない。数時間過ごすうちにわかった。この部屋は、『だんだん眠くなる部屋』だ。

 最初は単に絵を描くだけの作業に飽きてきたせいだと思った。拘束時間が長すぎるし。でも、この眠気は寝る時間を過ぎたから起こるようなものじゃなく、もっと攻撃的なものだ。魔法に近い感じがする。それも、直接魔法をかけられたというより、そこら中に漂っている感じだ。だから時間経過と共に効力が強くなっているんだ。

 ゼイルーは寝てしまった俺を起こす時以外はライトの当たる位置から動こうとしない。その理由も、あの位置にいれば眠くならないと考えれば納得がいく。さっき、俺の椅子を蹴飛ばしたゼイルーがさっさと元の位置に戻ろうとした時に気になるものが見えた。あの位置の足元には排気口のようなものがあった。逆にこちら側には穴一つない。

 仮に、だ。目には見えない“眠り粉”のようなものが舞っているのだとしたら、あの排気口の付近はその効力が無効化されるのではないか?だからゼイルーは眠り粉の影響を受けずに済んでいる。

 この眠り粉はゼイルーの魔法か、別の誰かか、部屋そのものの仕様か。

 断定はできない。完全に眠りに落ちる前に急いで絵を完成させないと――

 いや。 待てよ。

 おかしい。俺を眠らせるのが目的なら、なんでゼイルーはさっきは俺を起こしたんだ?

 あの位置から動いたら、多少なりとも自分も眠り粉の影響を受けるはずなのに……。

 眠り粉は俺にしか効かない?そもそも眠り粉じゃない?

 じゃああの排気口はなんだ。ただのデザインか?

 いや、それだと何十時間もそこから動かない理由と、おれを蹴ってすぐそこに戻った理由が説明できない。

 この部屋には眠り粉がある。この仮定が事実だという前提で、俺の認識が間違っていることがあるとすれば――ゼイルーの行動。

 俺を起こした理由。俺を眠らせるように仕向けておいて、起こす理由とは……?

 席を立って、けのびをしながら辺りを見回す。

 何かヒントはないか。

「あ、あの……どうか、しましたか……?」

 いつの間にかライトの明かりが点いていて大人しい方のゼイルーに戻っていた。

「あ、いえ、ちょっと身体をほぐし……」

 ゼイルーの座席の側にあるガラスの棚を見た。

 中には画材が収納されている。でも、俺が注目したのはそこではなくて。

 ガラスの棚に近付くと、よりはっきりと自分の顔が映った。

 あれだけ強く顔面を叩いたのに、手形が残っていない。赤くもなっていない。

 痛みはあった。俺の想像が生み出した痛み。

 ようやくわかった。今の俺は実体じゃない。

 俺を起こしたのは現実のゼイルーじゃなく、俺の頭の中のゼイルーだ。

 俺は、夢の中で夢を見ていたんだ。

「きっ、気付い、たん……ですね……」

 隣でぼそりとゼイルーが呟く。

「ここは……現実と、夢の狭間の……精神、世界……。現実に、戻るには……100時間、経つか、出口を探すしか、ないです……」

「100時間……もしかして、あのタイマーの時間は現実世界と同じってことですか」

 ゼイルーは気弱そうに頷いた。

 俺は壁に頭をつっこもうとしたが、するりと通り抜けた。

「霊体みたいになっている。……ん?あれ、シブラさんが見える」

「部屋の外は……現実世界なので……」

「……そりゃあいいことを聞いた」

 戸惑うゼイルーをよそに、俺は部屋から飛び出した。

 あちこちすり抜け放題の今がチャンスだ。

 マーブルに会いに行こう。

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