第七十五話 360000秒の戦い
➀スマホ。液晶にひび割れあり。電池残量は92%。神隠しで実家に戻った時に充電した。
②腕時計。母さんから高校の入学祝にもらった。絶大な衝撃耐性を誇り未だに無傷。
③マウンテンパーカー。前回の神隠しで実家から入手。森のような匂いがする。
④チノパン。前回の神隠しで実家から入手。ジャストフィットして動きやすい。
⑤トレッキングシューズ。父さんが昔履いていたらしい。山道でも大丈夫。
⑥財布。タンゴとの交渉に五千円を使ったため残金は1024円。
⑦厄除けのお守り。今のところ効果は見受けられない。
⑧生徒手帳。学生の必需品。血で汚れてしまった。
⑨爪楊枝。ポケットに入っていた。
……これが俺の持ち物。下着は割愛するとして、この9枚の絵はとりあえず完成した。
次に、今は持っていないが最初に持っていたもの。身につけていたものを考える。
⑩制服。一連の騒動でボロボロになったため前回の神隠しで実家に置いてきた。
⑪鞄。制服と同じくボロボロ。ショルダーの部分がちぎれている。実家に置いてきた。
⑫黒ボールペンの残骸。制服の内ポケットの中でヘシ折れていたため捨てた。
⑬レシート。ポケットに入っていた。漫画雑誌、お茶、おにぎりを購入。
⑭財布のチェーン。覚えてないけどたぶん実家に置いてきた。
鞄の中身もカウントするなら、
⑮ペンケース、⑯教科書、⑰ノート、⑱漫画雑誌、⑲ゲーム機(壊れてなくて良かった…)、⑳スマホの充電器、㉑ヘッドホン、㉒ハンカチ、㉓ティッシュ……このくらいか。
➀~⑨までは簡単だった。実物を見ながら描くことができる。⑩以降は頭の中に浮かべながら描くしかない。細部の描写にはまったく自信はないけど適当に描くわけにはいかない。
「いいかぁ?一回しか言わねーから耳ン穴かっぽじってよく聞きやがれ!」
ここまで振り切った態度だと逆に面白いかもしれない。般若のように見えるゼイルーには胸中を悟られないよう表情を固くしたまま頷いた。
「絵は1枚10点評価だ。100枚あるから合計1000点だがヘタクソな絵は当然減点する。てめぇは100枚の絵で合計600点を目指せ。それができりゃ最終試験に進める」
最初の1枚、スマホの絵は30分もかけずに完成させた。
「その絵、本当に完成で良いんだな?」
強く念押しされると自信がなくなる。もう一度だけ、絵の隅々まで観察して、大丈夫ですと返答した。自分にそう言い聞かせているかのようだった。
「足元のスイッチを踏みやがれ!強くだ!」
やがれときたか。
言われるがまま、床に埋め込まれたスイッチを強めに踏んだ。そうすると、目の前のキャンバスが床に沈んだ。最初に描いたスマホの絵だ。
「面白ぇだろ?仕込み床だ。今てめぇが描いた絵は採点室に運ばれた。こうやって完成した絵は採点室に運ばねぇと意味ねぇからな!」
憤懣やるかたない、とはこういう気持ちなのだろうか。
この仕掛けといい点数といい、本来は試験開始の前に説明されるべきことだ。こうして説明されている間にも時間は経過している。それとも、説明の時間も込みで100時間設定なのか?
シューズの絵だけ30分以上かかったが、他の絵は比較的単純なものばかりで1枚10~20分程度で完成させることができた。このバカげた試験が始まってから3時間が経とうとしていた。残り時間は97時間。こうも膨大な時間だとペース配分も何もあったものではない。とにかく思いついたものを片っ端から描いていくしかない。
考え込んでいると、バタン、と音がした。先ほど床に沈んだキャンバスの位置に『3』と表示された看板が出ている。
「大サービスだ!最初の一枚だけ点数を表示してやるぜ!」
ということは、3点。俺のスマホの絵は10点満点中3点。
「ハッハッー、青ざめたな!気付いたか、てめぇのレベルの低さによ。そうさ、あの程度の絵じゃ100枚完成させたところで300点、合格ラインの半分しかねえ!だが安心しろよ、絵はボタンを押すまで何度でも描き直せるからなぁ!」
ゼイルーは長い舌を蛇のようにちらつかせながら邪悪な笑みを浮かべた。二重人格にも程があるだろ。悪魔に憑かれたと言われた方が遥かに説得力がある。
しかし点数が知れたのは良かった。点数が開示されなければ、まったくの手探り状態で3点前後の絵を描き続けて不合格になる可能性が大だった。なるほど、絵は提出するまで描き直すことができるとすれば、不自然極まりなかった100時間設定にも少しだけ合点がいく。
これで方針は決まった。絵の提出は後回しだ。まずは残り91枚の絵を完成させないとダメだ。なるべく早く絵を描いて、うまく描けなかった絵を修正した上で一気にボタンを押しまくる、そういう感じで行こう。
それからどのくらいの時間が経ったのか……。
腹具合から考えて少なくとも一日、24時間は経ったはず。猛烈な眠気で閉じそうな瞼を開け、圧倒的な空腹感をごまかしながら、俺は絵を描き続けた。不思議と尿意や便意は催さなかった。ただただ、睡魔と空腹感が膨らみ続けていった。
ここまで長時間の作業をしたことは、もちろんない。
ただ、師匠が修行をつけてくれた時の感覚には少し似ていた。この、途方もない時間が溶けていく感覚。終わりが見えなさそうなストレス。
そして問題はもう一つ。
ネタがない。思いつかない。考え得る身近なものはすべて描いたつもりだ。
「お……同じ、え、絵を描いても、だ、だいじょぶ……です、大丈夫……。で、でも、あの、て、点数、点数は下がる……かも、です」
部屋の照明が戻ると、内気で大人しいゼイルーに戻った。こんな調子なのに、彼女は一睡もしていないし空腹で辛そうにもしていない。これも魔法なのだろうか。
とにかく、同じものを描くのはルール違反じゃないらしいが、点数は下がるようだ。そう聞かされれば同じ絵を何枚も描くわけにはいかない。ただでさえ点数はギリギリなのだ。
あと五十枚も何を描けば……それに、単純に考えて今までの倍ほどの時間がかかる。やっぱりこの試験には真っ向から挑むべきではなかったのかもしれない。
…………ダメだ!
何もせず考えているだけで睡魔の闇へ沈んでしまいそうになる。
とにかく何かを描いていないと……いや、描いていても、もう目が……。
身近なもの……『もの』っ、物じゃなくてもいいんだよな。分からない。良いことにしよう。
俺は瞼の裏の暗幕にマーブルの姿を思い浮かべた。




