第七十一話 二次試験『テクニカ(技)』
外観は魔女の館そのものでヤオさんの家に酷似していた。間近で見ても同じ印象だ。これが学校だとするなら生徒は多くて十数人だろう。ペインというお偉いさんがいる場所は二階の寝室だろうか。確かにマーブルが顔を出してきそうな雰囲気は漂っているが…。
シブラが黒塗りの重厚そうな扉を開く。
「校内はとても広いので迷わないようにご注意ください」
その一言を背に、俺とデンは校舎内に足を踏み入れた。その一秒後、俺は仰天した。
「うひゃあ……」
などという未だかつて発したことのない感動詞が思わず口をついて出たのも無理はないだろう。外観は館でも内見は別物、いや別世界だ。
一言で言うとただっぴろい。明らかに外観とは釣り合っていない面積の空間がそこには広がっていた。学校というより空港ラウンジのような雰囲気だ。十数人どころか、何百人もの人間が大きな荷物を持って往来している。
この人たちが全員生徒なのだろうか。全員ハロウィンでもやっているのかと思うような奇抜な格好をしている。大きなキャンバスや彫像を運んでいる人もいれば、大きなシャボン玉の中に入って中空を移動している人もいる。デンのような魔獣っぽい奴もそこかしこに見かける。
上階にはデッキが4階まで広がっており、購買施設やカフェスペースが並んでいた。
「ど、どうなってんだ?なんでこんなに広いんだよ」
デンも戸惑った様子できょろきょろ辺りを見回した。
「すごいな。どういう構造の建物なんだ?もしかしてこれも魔法なのかな」
「詳しいことは後ほど。ささ、こちらへ」
シブラの後を追った。ほんの2,3秒も目を切っていると本当に迷子になりかねない。
少し歩くと、銅像を飾るような大きな設置台がある場所に出た。設置台の奥の扉には大きな下矢印が描かれている。高架線でよく見かけるペンキの落書きのようなデザインだ。
「では、芸術専攻を選択したイッチ様は奥の扉から地下1階へ。魔法専攻を選択したデン様は昇降ステップから2階へお上がりください」
「分かった。デン、また後でな」
「ああ」
デンは片方の口角を上げると、設置台もとい昇降ステップに乗った。
「ここでいいのか?」
「床の部分だけが浮かびます。口は閉じた方がよろしいですよ。舌を噛みますからね」
シブラが言い終わると同時に、昇降ステップはデンを乗せたまま音もなく上階へ移動した。あれも現代の科学は再現できないだろうな。
一方で、俺は奥の奇妙な扉に手をかける。
「……あの、今頃なんですけど」
試験に進む前に、少し気になったことをシブラに聞いてみた。
「勢い任せに受験しちゃったけど、もし入学したらお金はどのくらいかかりますか?」
「お金?」
「入学金とか授業料とか……あ、そもそも受験料とか、かからないんですか?」
ふふふ、とシブラは意味ありげに笑った。
「いや。いやいや、失礼。あなたたちは本当に何もご存じではないのですね。お金を払って本校に入学している生徒などほとんどいませんよ」
「そうなんですか。良かった、正直持ち合わせがなくて」
いつ神隠しが起きるか分からない俺は、なけなしのお金を前もってマーブルに預けていた。その肝心のマーブルと離れている今、俺は完全なる無一文だ。デンは日銭を稼いでいるようだけど、余裕がある状況とは思えない。金銭の話題が出たらどうしようかと思っていた。
「一応、試験免除納付金という制度があります。120万ドローを支払えば試験が免除され即時入学が可能です。失礼ながら、あなたたちがそんな大金を持っているようにはお見受けできかなったので受験を勧めました」
「はい……仰る通り、無一文です」
「構いませんよ。今は一人でも多くの戦力が欲しい。素晴らしい芸術作品や卓越した魔法技術を魅せてくれる者も、才能を眠らせたままにしている者も、私たちは等しく受け入れます。必要なものは感性と熱意です。では、ご武運を」
深々とお辞儀するシブラを背に、俺は扉を開けた。50mもない一本道の突き当りに、地下へ降りる階段がある。階下はずいぶん暗い。警戒しながら降りていくと、急に段差の手応え、いや足応えが急に柔らかくなった。固い段差が、弾性の塊のようなこんにゃくになった。
つるん、と効果音が出そうなほどの勢いで足を滑らせた。だって、突然床がこんにゃくになったんだ、そりゃあ滑るに決まってる。
驚いたことに、その場で転ぶだけじゃ済まなかった。起き上がろうとしてまた滑り、そのまま階下へと滑り落ちていった。
「うわぁあああああ!」
地下1階どころか10階分くらいは落ちたんじゃないか、と思うほどの滑落具合だった。
辺りは一層暗い。闇だ。自分の手の輪郭も見えないほどの。
見えないまま立ち上がり、声を上げてみた。
「あの、すみませーん。二次試験を受けに来た者なんですけどー」
こういうシチュエーションではえてして返事が返ってこないものと思い込んでいたが。
「はーい。今、明るくしまーす」
すぐに返事が聞こえて安心した。しかも明快な女の声だ。
パッと電気が点いたところで、仰天。目の前に長身の女が立っていた。緑色の髪が長く、前髪で目を隠している。白地のワンピースはあちこちペンキの色で汚れていた。
「二次試験…テクニカの受験者ですね……」
はい、と短く返事をした。
「試験官の…ゼイルー、です……」
「犬房一志、通称イッチです。よろしくお願いします」
あれ。さっきの明るい声の女はどこにいるんだろう。
辺りにはこのゼイルーしかいない。そしてゼイル―の後ろには、夥しい数のキャンバスが並んでいる。美術部がよくデッサンしている、あのキャンバスだ。
「100枚……あります。あなたにとって…身近な、もの。100枚…描いてください……」
「え。あの」
「その、絵です…制限時間は、100時間……100時間で…100枚、描いて…ください……」
「……ちょ、ちょっと待ってください。身近なものをテーマに絵を描く。枚数は100枚。時間は100時間。ってことですか」
ゼイルーはこくり、と頷いた。
「いや。いやいや。いやいやいや。ちょっと待ってください」
「では……はじめます……」
ゼイルーはそう言うと、のろのろと壁に向かって歩き出した。向かった先には赤いボタンのような出っ張りがある。ゼイルーは人差し指でボタンを押すが、何の反応もない。
「はぁ……」
あからさまなため息を吐くと、ゼイルーは筆を取り出し、思い切りボタンを突いた。
ブン、と空中に文字が浮かび上がる。そこにはこう書いてあった。
『試験終了まで残り99:59:59 描いた絵…0枚』




