第六十七話 アーティスティック・ショック
単色が恋しくなる。
デンに案内されるがままルテティエの街を歩いているとそんな風に思った。なかなか人に理解を得にくい欲求だ。
芸術の魔法都市。確か、そんな謳い文句だったか。
あちこちにそびえ立つ建物は、俺がよく目にしてきた長方形ではなく丸や逆三角の形が多く、そのどれもが耐震設計とは無縁であろう不自然さに満ちていた。
そしてなんといっても、暴力的なまでのカラーバリエーション。ふいに浮かんだ『色彩地獄』という言葉が非常にしっくり来たので、今後はそう呼ぼう。
色彩地獄の1丁目は、天空から何十色ものペンキを垂らしたとしか思えない街並みだ。道路も建物も境目などお構いなしに、何十、何百もの色で塗り潰されている。赤、青、緑、紫、黄色。それらの濃淡もバラバラに、たぶん白と黒以外の色のすべてがこの街の中に存在している。
ぽたぽたと垂らしたように、あるいはぶちまけたように、計算ずくで仕立て上げたかのように、幼子の初めての塗り絵のように、多種多様な「塗り」と「塗られ」に満ちていた。
この街をたった一言で蹴散らしてしまうなら、イカれている。
子どもの頃に遊んだレゴブロックの、無邪気なアンバランスがそのまま街として成立している。色はレゴの方がきれいだな、どう考えても。
今歩いている道路も、大蛇が地を這う如く上下左右うねりにうねっている。
どうかしていると思うものを丸ごとひっくるめて芸術や魔法という単語で片付けられるのなら、こんな便利な言葉はないな。
「わかるよ。気持ち悪いだろ、この街」
俺の顔色を察したデンが同情気味に話しかけてきた。
「デンは平気そうだな」
「ここに来てから一ヵ月経つけど、不思議と慣れてくるんだ。それがまた不気味だ」
待った、聞き捨てならない単語が出たぞ。
「え、一ヵ月?一ヵ月って言った?今」
「そうだよ。お前がいなくなってからだと……40日くらい経ってる」
マジか。未来にもズレるのか。
神隠しのルールはなんとなく分かったつもりになっていたけど、まだまだ未知の部分は多い。
「お前がどうやって戻ってきたのかは後で聞かせてもらうからな。でも今はマーブルのことが優先だ。あいつを連れ戻してくれ」
「そうか。デン、そろそろ教えてくれよ。マーブルに何があった?そして俺たちはどこに向かってるんだ?」
黙ってついてこい、と言われて十分以上経つ。
目的地も気になるが、さっきの怪しげな店で怪しげなお姉さんと怪しげな行為をしていたデンのこともだいぶ気になる。が、それはまた後で問い詰めるとしよう。
今はただ、マーブルに会いたくて仕方ない。
マーブルは覚えているのだろうか。十年前の、大冒険を。
「ペインって奴が経営している絵の学校だ。マーブルはそこにいる」
「えっ――の、学校に?学生になったのか?」
「いや、ペインの嫁になったんだ。そしたら好きなだけ絵を描けるって言われてな。ほいほいついて行きやがったよ」
「はは、マーブルらしい理由だ」
衝撃は3秒ほど遅れてやってきた。
「…………よめ?」
「ああ。ペインがなんか……なんて言ったかな、フィン、フィセ……」
「…………もしかしてだけど、フィ・ア・ン・セってやつじゃない?」
「ああ。それだ。よくわかったな」
「はぁ?はぁあああ!?」
口から魂を吐き出したのかと思った。
「なっ、なんだよ!急に大声を――」
「嫁?フィアンセ?け、結婚!?え、どういうこと。たった一ヵ月の間に何があったの!?ていうかマーブルって何歳だ、結婚できる年齢なのか?」
俺はデンの肩を掴んで前後に振った。いくら振っても過去のことが分かるわけじゃないのに、自分でも止められない。そのくらい俺は気が動転していた。
「おおお落ち着けよ!おれだってよく知らねえよ!あいつ、おれに何の相談もなく一人でペインのところに行ったんだ!」
俺はデンの肩から手を放した。
「それじゃあ嫁うんぬんはマーブルの意志じゃないかもしれないな。よし、会いに行こう。そして真意を確かめよう。案内してくれ、デン」
「元からそのつもりだよ。急に物分かりが良すぎるだろ。お前の情緒はどうなっているんだ」
さらにデンの案内で進むこと数分。左右に並んでいた奇妙な建造物の代わりに色とりどりの木々が生えている開けた土地に出た。
「あそこに見える建物だ」
デンが短い手で示したその先には、館があった。無秩序で不自然な街とは明らかに一線を画す。あの建物には見覚えがあった。
「ヤオさん」
思わずその名を呟いてしまった。俺とマーブルが案内されたヤオさんの家にそっくりだ。
「あれが学校だって?魔女の館の間違いじゃなくて?」
「もう何日もあそこにいるんだ。こういうの、ナンキンって言うんだろ」
「軟禁生活か。ずっとあそこで絵を描いているのか?」
「外からじゃ中の様子が全然分からない。かといって、学校の中に入るには金が要るんだ。だからあんな変なバイトにまで手を出したんだ。……いや、手を出したのは向こうの方だけど」
近付いてくる人の気配を感じて、俺は振り返った。
「どちら様?」
白いひげのじいさんが、コツ、コツと杖で地面を突きながら口を開いた。
「おやおや。おやおや。入学希望者ですかな?」




