第六十一話 記憶のピース
<一志サイド>
まるで映画みたいだ。
スクリーンに映し出されたのは十年前の俺。当時七歳だった俺が、初めて経験した神隠しによって異界へと飛ばされた時の出来事だ。つい最近までいたはずの向こう側の世界よりも、ずっと過酷な環境だったと思う。
「力が欲しいとぬかすか」
ふん、と師匠は団子鼻を鳴らした。
「力を手に入れたところでお前のような童が生き残ってどうする。ひとたび力を得れば、なるほど小さな危機は退けられよう。しかし、それは更なる危機に見舞われる可能性を増やすだけよ。この世界には強大なる力の持ち主が多く存在し、童だろうと女だろうと命刈り取る残虐な者も少なくない。力がなければ楽に死ねたものを、生半可な力を得たことでかえって苦しみ悶え死ぬのだ。儂の言っている意味がわかるか、小童」
「●●を助けたい」
……?
誰のことだ?分からない。名前が思い出せない。
「それができたらおれは死んだっていい」
ええ……そんなこと言ったの俺?
これが7歳の俺?こんな男前なセリフを言ってたの?にわかには信じがたい。
なんだか最近、自分のことがよくわからない。まるで自分が二人いるみたいだ。
俺の記憶力はどうしてこんなにダメになっちゃったんだろうか。
「おれに力をくれよ。おじさんならできるんだろ」
……そう。この出来事は、事実だ。この出来事があったからこそ、パルテスを助けるだけの力が備わったんだ。
何が正しいのか見失いそうになるけど、思い出していく記憶には間違いがない。欠けていたピースがぴったりとはまるような感覚。真実の記憶だ。
「ならば試させてもらうぞ。その威勢が本物の覚悟足り得るかをな」
師匠はそう言うと、懐から小瓶を取り出した。
「この瓶には、儂が捕らえた魔獣の魂を封じている。この魂の一部を切り取り、お前の心の臓に収めてやろう。魔獣の魂を従わせることができれば、お前は人間を超えた力を得るだろう。逆に制御できなければそれまでだ。お前の肉体は魔獣に蝕まれ、最後には魔犬のできそこないに成り下がる」
話が急展開過ぎるが仕方ない。7歳の小僧を鍛えて多少強くしたところで、力がものをいうこの世界では通用しない。相手は高校生じゃない。妖怪とか悪魔とか、そういう人外のもの。人間の域を超えていかないと生きていけない。そのくらいは7歳の小僧でも実感していたと思う。
こうして魔獣の魂の一部を得た俺は、死ぬほどの苦しみが三日三晩続いた。四日目の朝、身体から痛みは引いていたものの何の変化も感じられず、まさかウソをついたんじゃあるまいなと師匠に詰め寄った。
「嘘か真か。これから続く訓練で嫌というほど思い知ることになろうぞ」
若干むっとした様子の師匠は不敵な笑みを浮かべてみせた。
それからは死んでおいた方が楽だったんじゃないかと何度も思うほどの地獄。魔犬の力を使っても人間として生きていくために肉体と精神を鍛え抜く必要があった。
師匠は訓練を終えたのちにこんなことを言った。
「魔犬は獰猛で狡猾だ。決して心を許してはならぬぞ」
「おい、なにブツブツ言ってるんだよ」
「全然、さっきから全然分からない。殺すってなんだよ」
自然と自分の口から漏れた言葉は、暗闇の中に頼りなく沈んだ。
パルテスを殺す?母さんが?
俺を失わないため?
俺が、神隠しをしなくて済むように?
「なんでパルテスが……神隠しと何の関係があるんだ。知っていること全部話せよ!つーか、これもいい加減外せよっ!」
「外さねえよ」
身体の横から強い衝撃を受け、椅子ごと倒された。
「てめえにはおれ様の力を返してもらわなきゃな」
腹を蹴られ、激しくむせた。かろうじて嘔吐はしなかった。
「乱暴はやめなさい、犬畜生」
母さんの声が暗く響く。
「あなたを先に殺しましょうか」
思わず呼吸を忘れてしまいそうになるほどの圧。
この感覚……向こう側の世界でも何度か味わった。強者特有の空気だ。
母さんは本当に何者なんだ?
「はっ、オレ様を消したら息子はタダじゃおかねえって言ったよな」
「私の息子は――」
肩と床の間に腕が入ったかと思うと、椅子ごと元の体勢に戻された。優しい動作だった。
「一志ひとりしかいない。この子を傷つけることは許さない」
「あぁ?じゃあオレ様の身体は――」
「優先順位は決めているわ。私の言っている意味は分かるわね。丁重に扱え……!」
母の言葉で重力が増したように感じた。誰も言葉を発せなかった。
しばしの静寂の後、魔犬は短く唸った。
「分かった。オレ様が悪かった。こいつも、オレ様の身体も傷つけないと誓う」
「そう。さて、一志。さっきの続きだけれど、私の言い方が適切ではなかったわね。謝るわ。パルテスを殺すということは、直接的に命を奪うという意味ではないわ。前世の記憶を抹消するということよ」
「なんだって!?」
「断っておくけど、私は魔法使いじゃないわ。人の記憶を自由に操作する術はない。ただ……そうね、分かりやすく霊能力と言いましょう。私には死者の存在や意思を知覚することができる。死者の魂を送ることもできるわ」
「な、なに……そんな話、今まで……」
「聞いていなかったでしょう。初めて言ったもの」
「そんな能力があるならどうしてもっと早く言わなかったの?」
「言う必要性を感じないわ。言ったところで信じないでしょうし、信じさせる理由もない。何よりあなたを神隠しから取り戻せなかった能力なんて無意味だと思った。当時はね」
ただ者じゃないとは思っていたけど、本当にただ者じゃなかったわけだ。
「前世の記憶がある人間とじかに接するのは初めてだけど、死者の意思が介入している可能性は極めて高い。だとすれば、私ならその原因を取り除くことができる」
「そんな、ちょっと待ってよ。せっかく会えたのに」
「この措置は淡澤彩子のためでもあるわ。彩子には彩子の人生があるのよ」
「そ、そりゃそうかもしれないけど……でも、パルテスの記憶があることには意味があるんだ。俺とあの子にもう一度話をさせてくれ」
「だーから、ダメだっつってんだろ」
ここまで無言だった魔犬が喋り出す。
「記憶が戻ればてめえは神隠しで向こう側の世界とやらに行っちまう。マザーはそれを止めたいっつったろ」
「だから何なんだよ、それ。神隠しと記憶と何の関係があるんだ」
「オレ様も詳しくは知らねえよ。つーかてめえ自身がオレ様に――」
「余計なことは言わないでくれるかしら」
おっと、と言って魔犬は口をつぐんだ。
「一志、悪いけど少しの間そうしていてちょうだい」
母はそう言うと、部屋を出て行ったようだ。
俺の頭を支配していたのは、魔犬が口走りかけたセリフだ。
てめえ自身がオレ様に。
確かにそう言った。その後に続く言葉は……文脈を考えるとこれしかない。
オレ様も詳しくは知らねえよ。つーかてめえ自身がオレ様に――
『教えたんだろうが』




