第六十話 神隠し逃れの捕縛
<一志サイド>
目を覚ました時には状況が激変していた。
どうして急に眠ってしまったのか、原因を考えるよりも先に自分の身に起きている異常に気付いた。
「……は?」
拘束されている。
椅子に座っている状態で、両手を後ろに、両足を椅子の脚に、それぞれ結束バンドで縛られている。おまけに視界も封じられている。
「えっ。なん……なんだよ、これ」
あ、ダメだ。全然動かせない。
意味が分からない。今度はなんだ、何が起きているんだ。
「よく眠っていたわね。身体はなんともないかしら」
母の声が聞こえた。なぜか、かすかに林檎の匂いが漂っている。
「なにこれ。どういうこと」
自分の声が震えている。しかし、みっともないのを気にしている場合じゃない。
「目隠しを外して。どういうことか説明して」
「少しの間我慢して」
「な、なに、本当になんなの。怖いって。母さん、どうしてこんなことするの」
「あなたを失わないためよ。身体の自由を奪えば神隠しは起こらない」
言っていることの意味が分からずフリーズした。
「さっきは道端で急に注射をして悪かったわね。あの時はとにかく早急にあの場からあなたを遠ざける必要があった」
「注射?」
「塩化エトルフィン。大型動物の麻酔よ」
「ど……動物の麻酔?なんでそんなものを」
「最初の神隠しから帰ってきた頃のこと、覚えていないでしょう。あなたは人に大怪我をさせた。ああ、誤解しないで。責めるつもりで言っているわけじゃないわ。相手は殴られて当然の最低な連中だし、何よりあなたは意味もなく人を傷つけるような子じゃない。私が一番よく知っているわ」
「は……?」
なんの話をしている?大怪我?俺がやったのか?
「相手は三人の高校生。彼らはいじめグループの主犯格で、いつものように公園で一人の男子生徒を虐げていた。あなたは下校中にその現場を目撃して、いじめを止めさせようとした。それ自体は立派な行動よ。でも、あなたは自分がもう普通の人間ではないという自覚が足りなかった。高校生三人は全員が病院送りになった。病院の先生が言っていたわ、まるで狼にでも襲われたような怪我だって」
「なんだよ、その話……」
まるで他人事だ。自分の話とは思えない。
「小学三年生になったばかりの子が高校生三人を一方的に打ちのめした。これだけでも尋常でないことはわかるわね。他にもいくつかエピソードがあるけれど、時間が惜しいので今は止めとくわ。とにかくあなたは猛獣同然だった。普段は大人しいけれど、ふとしたきっかけで一度暴れ出すと本当に手が付けられない。鎮静剤をはじめ、人間に投与する薬はほとんど効果が見受けられなかった。唯一効いたのがこの麻酔だったのよ」
現実の話として受け止め切れない俺を置き去りにするように、母は続けた。
「話を戻すわね。あなたに話しかけた子……淡澤彩子のことだけれど、あの話しぶりからすると、向こう側の世界であなたと会った子なのでしょう。おそらく名前も容姿も別人だけれど、同じ魂を持っている。生まれ変わりと表現した方が適切かしら。彩子は偶然あなたを見て前世の記憶が蘇った。そんなところでしょう。あのまま彩子ちゃんと話をして、あなたの記憶が完全に戻りでもしたら、あなたはまた神隠しで消えかねない。だから強制的に会話を止めさせたわ」
俺は……俺には、もう何が何だか……。
何から聞けばいいのか、脳がオーバーヒート寸前の状態だ。かろうじて、拘束を解くように懇願したが、まるで聞き入れてもらえない。
「なんで母さんにそんなことがわかる?拘束していれば神隠しは起きない、とかどうして断言できるんだ?」
「俺が教えてやったからさ」
急に男の声が聞こえて、びくっと身体を震わせた。
「はっ?え?だ、誰?」
「はーヤだヤだ。こんな情けねえヤツのおかげでオレ様が目を覚ましたなんて屈辱だぜ」
「言っている意味が分からない!誰なんだよ、母さん、目隠しを外してくれ!」
「我慢して、とさっきも言ったわ。そんなに怖がらなくて大丈夫よ、あなたに危害を加えるつもりはない」
あまりに悠長な物言いにむかっ腹を立てた。
「怖がらなくて大丈夫だ~あ~?ふざけるな!なんの説明もせずに人を拘束しやがって。誰だってビビるに決まってんだろ!」
一瞬の静寂の後、はっ、と鼻で笑うような声が聞こえた。
「てめえらしくねえランボウな物言いだな。ちゃ~あんとオレ様と共鳴してやがるじゃねえか」
「あ?だから意味分かんねーんだよ、誰だてめえ!」
「今のてめえにオレ様の名前はもったいねえよ。だが魔犬ってことだけは教えてやる」
魔犬。
「お前が……魔犬?」
母の言う通り、パルテスは向こう側の世界の住人だったはずだ。彼女とは死者が集う列車の中で出会った。その列車の中には強大な敵がいた。パルテスを助けるために、俺は魔犬の力を借りた。
そう……そこまでは、なんとか思い出すことができた。
「てめえとの付き合いはもう七年、いや今のてめえからすれば十年か。せっかくこいつの中で気持ちよく寝てたのによ、すっかり目が覚めちまった。ま、そのおかげでお前の中にもいる魔犬がだいぶ表に出てきたみたいだがな」
不思議と沸いてくる怒りや苛立ちを抑えながら思案する。
「……つまりお前は、三年前の俺だな。ただし俺の自我はなくて、俺の中にいる魔犬が喋ってると。そういうことなんだな」
「当たり!へえ、三年も経てばオツムは少しはマシになるもんだな」
「なぜ今頃になって目覚めた」
「はっ、てめえが魔犬の力を使ったからだろ。こんなでけえ妖気をプンプンさせといてオレ様が気付かないわけねえだろ」
「あ、そう。まあ目覚めたもんは仕方ないとして……それで?俺はいつまでこうしてりゃいいの。そろそろ限界なんだけど……」
「ああ。それに関しちゃマザーから重大発表があるぜ。心して聞きな」
「大して愉快な話ではないわ」と、マザーこと母の声が横から聞こえた。
「一応断っておくことにしたわ。私はこれからパルテスを殺す。彼女に何か伝えたいことでもあるかしら」




