第五十六話 餓狼の牙
<羅閃サイド>
薄く鋭い風圧の刃が無数に飛んでくる。回避に全神経を注ぐ。どの方向に動けば致命傷を避けられるのか、思考は邪魔だった。これまでの戦闘経験だけを頼りに本能に身体の操縦を委ねる。
そうしなければ、とうに俺の首は落ちていただろう。
この風圧の刃を発生させている斬撃の連続攻撃の回数は見切った。十三回だ。瞬きほどの短い数秒で強力な斬撃がいくつも飛んでくる。今の俺では受け切れない。
敵は強い。これほどの剣士と一戦を交えた経験はない。
「グルルルル……!!」
黒い狼は唸り声と共に人間の姿へ変化する。
「ガキィ~やるじゃねえか」
鋭い眼光を放つ瘦身の男が、刀の峰で自身の肩を叩く。
「俺の太刀筋を見切りやがるとはな。まだ楽しめそうだ」
男の口角が吊り上がる。仕事柄こういう人間とはたまに遭遇する。命のやり取りのみを生きがいとする戦闘狂だ。
「貴様、獣人か。なぜ俺を狙う」
人間と魔獣、両方の性質を併せ持つ獣人は、訓練次第でどちらの姿にも自在に変化できるという。
動きが早く、十三もの斬撃を放つのは狼の姿での技のようだ。
「いちいち説明するのも面倒だ。知りたきゃ力ずくで聞き出すんだな!」
言い終えると同時に狼へ変化しながら飛び掛かってくる。カウンターの蹴りを繰り出すが、難なく回避される。無防備となった背後に第二撃、風圧の刃が即座に飛んでくる。身を屈めて躱す。目の前に回り込んだ狼が、一瞬にして人間の姿へと変化する。無骨に振り降ろされる一太刀を回避する。
「――ぐっ!」
肩を斬られた。完全に躱したつもりだったが、風圧の刃に触れてしまったようだ。直接太刀に当たったわけではないから傷は浅い。
風圧の刃を飛ばしたり、刀身に纏わせることができるのか。くそっ、面倒な技を使ってきやがる。
しかも変化が早い。狼の攻撃は速く、手数が多い。その対処で精一杯なところに人間の姿の斬撃を織り交ぜられると対処しきれん。人間の姿だと攻撃のスピードは落ちるが、威力がデカい。回避しても余波でダメージを受ける。
苦戦は承知の上だがあまりに防戦一方だ。まだ一度もまともに攻撃を当てていない。
なにか勝利への糸口はないのか。
(苦戦しているようだね)
「は?」
ヤオの声が脳内に響く。サンドラの治療の邪魔になると思い、連中からは少し離れた場所に狼を誘導し交戦していたが、あの婆さんにはお見通しらしい。
(アドバイスでもしてやろうか?バハハ)
これも魔法か。驚かせやがって。
「要らん世話だ!いいからあんたはサンドラを全快させろ」
(そうかいそうかい。なら教えてやろう)
「話を聞け!」
(向こうが飛び道具を使うならこっちも使いな)
飛び道具……。
「――うおっ!」
一際大きな風圧の刃が飛んできた。
「集中力が足りてねぇよ」
腹立たしいが奴の言う通りだ。今のは危なかった。回避が間に合わなければ終わっていた。
「集中……」
ものは試しだ。どの道、これが通じなければ奴を倒す方法はないだろう。
身体が縮み、契約していた竜は呼べなくなった。しかし、龍気そのものがなくなったわけではない。わずかではあるが一定量の龍気がある。この気そのものを攻撃に転化することができれば。
狼男が斬りかかってくる。今の俺には斬り結ぶ得物も膂力もない。したがって、これは避けるしかない。
落ち着け。冷静に攻撃範囲を見極めろ。そして着実に力を溜めろ。
俺は復讐のために生きなければならない。あいつらに報復を果たすまでは何があっても死ねないと思っていた。だがそのためには生き残ることだけを優先しても意味がない。生きるか死ぬかの修羅場を何度も潜り抜けて力をより蓄えなければ、今のままでは戦いにすらならない。
ここで死ぬなら、それまでの男だったということだ。その程度の器ならどの道復讐は果たせん。
回避だけに集中していた意識を反撃に向ける。
「グルルルゥウウオオオ!!」
遠吠えが聞こえる。十三連の斬撃が来る。
内部で力を溜めつつ、斬撃の一つ一つをギリギリで避ける。腕や脚に多少の傷を負うが、いずれも致命傷には至らない。単なる切り傷程度だ。
「てめー、さっきまでと雰囲気が変わったな。本気で俺に勝つつもりかあ?」
大振りの斬撃を、躱す。
「当然だろう」
「グハハハ、俺に一撃も当ててないのにか」
躱すごとに血が滴っていく。とめどなく溢れていくのに不思議と痛みは感じない。むしろ頭は冴えていくようだった。
「もういいぜ。てめえみたいなガキ相手にいつまでも時間かけてられねえ。相手が悪すぎたなぁ。俺は千勝無敗の剣士だ。多少は動ける程度のガキが勝てる道理はねえんだよ!」
男は刀を振りかぶったまま、渾身の力を込める。
「せいぜい目先の勝利に飢えていろ。だがな、俺の飢えはお前以上だ」
「グオオオオオ!!」
落雷のような一振りが迫る。その太刀が俺を捉えるよりも一瞬早く、俺の拳が奴の顎先に届く。拳に込めた全霊の龍気が、奴の顎から脳髄を駆け巡る。自身が得た竜の気を圧縮し放出する気拳。
「龍弾と名付けよう」
男は声も上げずに倒れた。




