第五十二話 激震の玉座
ラットウィッジ五世は憤慨していた。
ここ最近ろくなことがない。なぜだ。何年もずっと平和が続いてきたのに、余が王に就任した途端に問題ばかり起きる。今年の余は厄年か。
「王よ、恐れながら申し上げます」
七三分けの家臣の一人が深々とお辞儀すると、書類を読み上げた。
「第三料理長のシーユウが退職届を提出しました。退職届の受理及び新たな第三料理長を任命いただきたい」
渋面のラットウィッジ王は受け取った書類にサインをして家臣に突き返した。
「第三料理長は副料理長にしろ」
「副料理長は三人いますが」
「ならば最年長の者にしろ。年功序列だ」
「三人とも同い年ですが、生まれ月の早い者でよろしかったでしょうか」
「ぬう、それでいい」
そんなことより、あの盗人どもの件は一体どうなったのだと問い質したかった。あの羅漢の男からも何の報告もない。
ラットウィッジ五世がその件について触れようとした時、前髪の長い家臣が挙手した。目が完全に隠れるほどの長さだ。
「あの、ご報告させていただいてもよろしいでしょうか」
「ぬ、今度はなんだ」
報告を聞いた後で前髪を切れと言おう。
「王がご不在の間、スラーサ様がいらっしゃいました」
「ぬう!?あの酒飲みが来ていたのか!?」
「はい。スラー様からご伝言をお預かりました。僭越ながら私から申し伝えます」
家臣はおほん、と軽く咳払いし、大きく口を開いた。
「“酒だ!酒をくれ!今年は全然アレが取れねえから酒が足りねえ!てなわけで、酒を少し分けてくれ!この際、お前んとこのまずい酒でガマンしてやるからよ!じゃあまた来週、取りに来るからな!用意しといてくれよ!”……以上です」
「ぬぬぬ……あの酔っ払い女めが!誰に向かって言っておるのだ!」
前髪のことはすっかり頭から消え去ってしまった。
「恐れながら申し上げます」と、七三分けの家臣が前に出る。「これはラットウィッジ王に対するお言葉かと」
ラットウィッジ五世は椅子の肘掛けを拳で叩いた。
「そんなことは言われんでもわかっとる!軍事大国の王女だからと下手に出ていればいい気になりおって」
「あ、あの……お、おおお王様っ!」
一番背の低い家臣が、声を震わせながら挙手した。
「ご、ごご……ごこっ、ごコウホクが、あります!」
「なに?お前今なんと言った?」
七三分けが三度前に出る。
「恐れながら申し上げます。この者は今『ご報告があります』とお伝えしたかったのです。新参者ゆえ、王の威光を前に極度の緊張のあまり、言葉をうまく発せなかったと推察されます。つい先日までは平民の小娘だったのです。どうかお許しを」
「わかった、わかった。とっとと報告しろ」
「さすがは我らが王、寛大なお心に感謝申し上げます。そら、チプィ。落ち着いて、ゆっくりでいいから王へご報告を」
「は、はいぃ……。え、ええと、その。賢者サンドラが逃げました」
「ったく、何かと思えばそんなこと。そんなのお前たちで……ぬ?」
ラットウィッジ五世は重い腰を上げて玉座から降りた。
「逃げました?誰が?どこへ!」
「に、に、逃げました。け、賢者サン、サンドラが。ど、どこかは知りません」
「サンサンドラ?何者だ!?」
「まま、間違えました。正確には、その、賢者サンドラが逃がされました」
「だからなんの話をしておるのだ!誰だ?賢者サンドラというのは?」
「恐れながら申し上げます。賢者サンドラとは、あの憎むべき国賊マーブルと首謀者イッチに協力している可能性がある人物です。監獄棟に幽閉し尋問していましたが――」
「ぬうう……」
ラットウィッジ五世は懸命に自身の記憶を辿った。数時間前には、誰かが監獄棟に侵入したという報告を受けていた。それは確かだ。しかし、大したことではないと思った。なぜか。あそこには取り上げるような重罪人はいないからだ。
「待て。そんな報告は受けていないぞ。賢者サンドラという名前も初耳だ」
七三分け、前髪、新参者、そして片膝をついていた四人の家臣が立ち上がり、お互いに目配せをした。
「なんだ、その意味ありげなアイコンタクトは」
「王よ、恐れながら申し上げます。今から私の言うことを冷静に聞いてください」
七三分けがそう言うと、背の低い老いた家臣がラットウィッジ五世の顔を覗き込んだ。
「近いぞ!な、なんのつもりだ!」
「落ち着いてくだされ、王よ」
老いた家臣は悪びれた様子もなく平然と言ってのけた。
「ふうむ。やはりこうしてご尊顔を拝むと、はっきりわかる。王は記憶の一部に障害がありますな」
「な……」
ラットウィッジ五世は言葉を失った。
障害。余の人生とは無縁のものだ。王に障害?そんなことがあっていいはずがない。
「このような魔法を使うのは闇の者しか考えられぬ!闇大帝だな!先日の謁見で余に何かしたのだな!?」
闇の中でしか活動できないとぬかす圧倒的陰気の闇の王。運命の本について何やら嗅ぎまわっていたようだが、余の見事な答弁を前にすごすごと退散した。さてはその腹いせか。
「いいえ。大帝が手を下したとは考えられません」
「なぜそう言い切れる!」
「王城に来客が訪れた際には、いかなる魔法も使用できぬよう結界を張っているからです。闇大帝ほどのお方でもこの城内で魔法を使うことは不可能です」
「ぬ……」
そうであった。余はこの城内にいる限り、魔法による攻撃は一切受け付けない。そうでもなければ、あんな得体の知れない者に誰が会うものか。
「それに、仮に闇大帝の仕業であれば、このような記憶の齟齬に気付かせぬよう全員の記憶を奪っていたことでしょう」
「ならば、そちは誰の仕業とぬかすか」
「王よ、恐れながら申し上げます。今考えるべきなのは誰が記憶を奪ったか、ではなく、何のために奪ったのか、ということかと存じます」
「理由など知るか!」
ラットウィッジ五世の怒りを受け流すように、老いた家臣はぶつぶつと呟いた。
「監獄棟にサンドラを収監したことを王には知られたくない。なぜか。正式な手続きを踏む手間を省きたい……いや、それだけで一国の王を欺むとは考えにくい。とすると、何らかの違法な取り調べをしている可能性が高いか……ふうむ」
家臣はヒゲを撫でると、ラットウィッジ五世へこともなげに告げた。
「王よ。とりあえずですが、今起きている事実を包み隠さずお伝えしましょう。先ほどもお伝えしました通り、賢者サンドラは二名の国賊に力を貸している可能性が高い。慎重に尋問を重ねておりましたが、二名の侵入者によって逃がされました。侵入者は、羅漢族の羅閃と大魔女ヤオです」
「国賊が倍になった、と。そういうことだな?」
「左様でございます。現在、魔導兵が羅閃とヤオの後を追っていますが、いかがいたしましよう」
「決まっておる。二人ともボコボコにして余の前に連れてこい!」
家臣たちは口を揃えて言った。「かしこまりました」




