第四十七話 次なる目的地へ
ひんやりとした風が頬を撫でる。あまりの心地良さにそのまま二度寝したくなったが、身体を伸ばしながらベッドから起き上がった。見ると、窓が少しだけ開いている。空気の入れ替えのつもりで開けてくれたのだろう。
部屋を出て階段を降りると、モコモ村長が洗濯物を折り畳んでいた。
「おや、イッチさん!もうお身体は大丈夫ですか?」
「はい、もうバッチリです」
モコモ村長の手厚い看病のおかげでHPは満タンだ。
ヤオさんの分身が消えた後、俺は朦朧とする意識の中で「少し寝かせて」となんとか言葉を絞り出した。
「はい。わかりました」
マーブルはそう返事をして、ヤオさんのメモをポケットにしまったかと思うと、こてん、と地面に寝そべってしまった。
「疲れました。私も寝ます」
いやいやいや。待って、待って。
ダメだよ、女の子が野宿なんてしちゃあ。現実世界でも危険極まりないのに、どんなモンスターが現れるかわからないこの非現実的な世界でそんなことしたら自殺行為だ。
デン、マーブルを止めてくれ。と、喋るのも億劫だった俺は寝そべったままデンの姿を探したけど、姿は見えなかった。
クルルルル、クルルルル、とかわいい寝息が聞こえてきた。マーブルはすーっ、すーっという寝息だから(就寝早すぎるだろ)、これはデンの寝息だ。
みんな疲れてるんだなあ。
……うん、ダメだ。ちょっと起き上がろうとしたけど、まったく無理。
ねむ…すぎ……る……。
そして次に目を開けた時は、ちゃんと部屋の中で、モコモ村長が顔を覗き込んでいた。
例によって倒れている俺たちを見つけてくれて、例によって宿屋に運んでくれたのだとか。ちなみに、俺たちを最初にヴィラ村に運んでくれた馬車の御者は梅太郎さんといい、今回運んでくれた菊次郎さんとは兄弟だという。
「しかしどうしてまたあんなところで寝ていらしたんですか?」
モコモ村長がテーブルの上に料理を置きながら訊ねた。俺たちの身に起きた一連の出来事を村長は知らない。
俺は本のことをぼかしながら事情を説明した。
「な、なんという……。それではサンドラさんの安否はまだはっきりしていないわけですね。羅閃さんと、そのヤオさんという魔女の方が救出に向かっていると」
「そうです」
「なんというか、とても驚きました。あの恐ろしい植物の一件からそう日も経っていないうちに、まさかこんな事態が起きていたなんて」
「俺もびっくりしましたよ。まさか三日も経っていたなんて」
その事実は村長と話しているうちに判明した。俺とデンが幽体離脱してから現世に戻ってくるまで、せいぜい一、二時間くらいと思っていた。向こうと現世では時間の流れがまるで違うらしい。
改めて考えると、ヤオさんが偉大すぎる。分身を三日以上維持して俺やデンの身体を守っていてくれたのだ。
「それにしても、ヤオさんはどうしてマーブルさんが列車に乗ってしまったとわかったのですか?」
「おばあちゃんは私の居場所がわかるんです」
村長の背中からマーブルがひょっこりと顔を覗かせた。
わっ、と村長は身体をびくつかせた。
「マーブルさん、いつの間に」
「ほんの少し前に台所の窓から入ってきたみたいです。そうだよな、デン」
「よくわかったな。意外に鋭い奴だ」
マーブルの背中からデンが顔を見せた。かわいい。
「さっきマーブルは居場所がわかるって言ったけど、ヤオさんの家からここまではすごく離れているし、常にマーブルの位置が把握できているわけじゃないんだ。でも、マーブルが消えた時に発動する魔法があるってヤオさんが言ってたろ。簡単に言うと、マーブルが死にそうになった時に、その場所に瞬間移動できる魔法なんだってさ」
ヤオさん曰く、元々は身内の危篤の時に駆けつけるために開発した魔法だという。この魔法は時が来れば自動的に発動するが、そこに対象者がいないとなると、肉体ごと消滅するようなダメージを受けたか、生身のまま幽霊列車に乗ったか、どちらかしか考えられない、ということだった。幽霊列車の存在は、その時にヤオさんから概要を聞かされた。
俺はヤオさんに、神隠しに遭ったとは考えられないかと質問した。すると、マーブルがどこかへ移動したのであれば、たとえそこが別の世界であったとしても、その転送先に自分が現れるはずだとヤオさんは答えた。例外があるとすれば、肉体を持っている者が行けない場所、つまり霊界であると。さらには、幽霊列車はごく稀に生きている人間を引きずり込むことがあるらしいと。
ということで、マーブルは幽霊列車に乗ったのではないかという説が濃厚になった。サンドラさんのことも気がかりではあったが、状況的にマーブルの方が危機的だとヤオさんは言った。なにしろ、あとどのくらいで列車が終点である黄泉の国に到着するのか、こちらには知りようがない。
死ぬ覚悟はあるか、と問われた俺は、わからないと答えた。そんなことは後で考えるから、助けに行かせてくれとヤオさんに懇願した。
意外だったのは、デンも一緒に来てくれたことだ。
「お前たちについていけってオサに言われたんだ。オサの命は絶対だ。おれも行ってやるよ」
デンは渋々といった様子で言っていたが、俺は彼から勇気を分けてもらった。
「デンが一緒に来てくれたのは嬉しかった。今だから言うけど、正直一人だと不安だった。ありがとう」
「イッチさま。デンちゃん。ありがとうございました」
「へ……へっ!べ、別に、おれは大したことしてないだろ。それよりお前、またちゃん呼びになってるぞ」
「デンちゃんさん」
「ちゃんを抜け!」
二人のやり取りを微笑ましい思いで眺めながら、村長が作ってくれた野菜のスープを口に運んだ。
「うんまっ!めっちゃ美味しいです、このスープ」
「ありがとうございます。それで、皆さんはこれからどうされますか?サンドラさんを助けに行かれるのであれば、旅支度を手伝わせていただきたいのですが」
「あ、いや、そこも少し事情がありまして、サンドラさんのことは羅閃とヤオさんに任せています。あの二人なら大丈夫です。俺たちには、他に行かなくちゃいけない場所があるんです。マーブル、あのメモ持ってる?」
はい、とマーブルはポケットからメモを取り出した。俺はそのメモを受け取り、そこに書いてある町の名前を口にした。
「芸術の魔法都市『ルテティエ』ってところで、ここから近いみたいですけど」
「ルテティエですか?近いというか、まあ馬を二日ほど走らせれば到着する距離ですね」
「あ、そうか、これヤオさんにとっては近いって意味か」
「ルテティエといえば有名な――あっ!」
モコモ村長がぽんと手を叩いた。
「そうそう、思い出しましたよ!マーブルさんのお名前!」
マーブルはきょとんとしている。
「ずっと気になっていたんですよね。『マーブル』ってどこかで聞いたような、懐かしさを感じるお名前だなあと思っていました。絵本です」
「絵本?」
俺とマーブルとデン、三人がほとんど同時に聞き返した。
「ルテティアには有名な絵本屋がありまして、とある絵本の主人公の名前がマーブルです」




