第四十四話 p3『いつかまた死ぬ日まで』
人はどういう風に死ぬのが幸せなのだろう。
あたしはそんなことばかり考えて生きていた。
自殺願望とは違う。死はすべての生命の宿命だ。緩やかに向かっていくこともあれば、時には理不尽に訪れることもある。いつか必ず訪れる死に怯えて暮らすよりも、自分から死を迎えに行く。それが両親の教えだった。
あたしの生まれ育った村では両親は祈祷師の仕事をしていて、生来の祈祷師よりも絶対的な権力を持っていた。死者への弔いや悪霊祓いといった祈祷師の仕事とは別に、宣教師として村人に特殊な思想を植え付けていたからだ。
人は生きていく上で多くのものを失っていき、最後には自分自身を喪うとか。人が生きるということは苦しみを背負うということで、人が死ぬということは苦しみから永久に逃れることだとか。
要するに、生きていくのは辛いからさっさと死んじゃおうというとんでもない話だ。
村人の多くは両親の話を心から信じていて、自分の子どもを清らかな身体のまま一刻も早く天に送りたいと懇願する人たちまでいた。
そして実際に何人もの人たちを黄泉の国へ送ってしまった。両親の言うことになにひとつ疑問を持たなかったあたしも同罪だ。
両親がどうしてそういう考え方に至ったのか。友人に裏切られて借金を負わされたとか貧困生活で家族が病死したとか、よくある悲劇が理由だ。幼い頃から何度もリピート再生で聞かされた。話の最後には死の安寧を楽しみましょうと添えられて。
今思うと、あたしの両親はなんて馬鹿なんだろう。自分たちが辛い思いをしたからと言って、一生懸命に生きている人たちの人生を否定するなんてナンセンスだ。
死ぬことが救済?誇大妄想も甚だしい。
今ではそう思う。でも、両親の言葉をもっとも間近で浴びてきたあたしにとって、その思想の異常性に気付くことは至難の業だった。自分の親が、村が、異常であると気付けたのは奇跡だ。
村を出てからの一年間で出会ったいろんな人たちがあたしの目を覚ましてくれた。死に彩られた人生に新しい色をつけてくれた。
それはマーブルちゃんも同じだ。あたしの唯一の趣味は絵を描くことだから、もっと色んな話ができたのに。
もっと早く、生きているうちにマーブルちゃんと出会えていたら。
一緒に絵を描きたかった。色んなことを教えてあげたかった。
でも、あたしはこのまま死ぬべきだ。
両親と一緒に多くの人を死に追いやったのだから。
突如出現した獣の咆哮が響く。
獣の名はイッチ。つい先ほどまで氷漬けになっていた人間だ。
姿形は人間のままだが、あのけたたましい咆哮に唸り声、死神の姿を確認するや否や瞬時に飛びかかる闘争心、そしてなにより身に纏う異質な気。イッチの全身に迸る、赤く燃え上がる気の性質は確かに魔力によるものだ。
死神は氷の槍で応戦しようとしたが、その鋭い刺突はなんなく回避され、代わりに強烈な打撃を与えられたようだ。仰向けで倒れた体勢から起き上がろうとしているが、イッチの追撃が迫る。
グルルル、と獰猛な唸り声を上げながら。あれはまるで――。
「魔犬……」
マーブルがそう呟いた。知っていたのか。
「いえ。少し昔のことを思い出しました。それよりもページを開いて準備をしなければ」
死神の顔を描いたページをマーブルはじっと見つめる。
「もう少しで死神の仮面が割れます」
その言葉は期待や願望ではなく確信に満ちたものだった。
事実、イッチ改め魔犬は死神を追い詰めているように見える。死神の繰り出す攻撃は悉く回避され、逆に魔犬による容赦のない攻めを一方的に浴びている。
相手が並の妖魔ならとっくに決着はついていただろう。しかし相手は死神だ。たとえ千の妖魔を滅ぼす力があったとしても死神は殺せない。己の正体を突きつけて恐怖を与える。それ以外に殺す手段はない。
「グルルルォオオ!」
魔犬が咆哮と共に強襲を続行しようとした時、ガクン、と列車全体が揺れた。
死神は魔犬の攻勢、そのリズムに狂いが生じた隙を見逃さなかった。氷の槍を自ら砕くと、その破片を魔犬に向けて放った。死神の冷気による散弾。魔犬は鋭く身を翻したが、散弾の数が多く回避しきれなかった。死神に飛びかかろうとして体勢を崩す。左足と床が凍りついている。
もはやこれまでか。
速度は落としたものの完全には停車しきれなかった列車は緩やかに、しかし確実に黄泉の国へと向かっていた。そして今、列車は黄泉の国のすぐ近くにある三途の川へと入っていった。
ということは、もうまもなく――。
「マーブルちゃん、なんか聞こえない?」
「はい。水が流れる音が聞こえてきます。だんだん大きくなりますね」
「マーブルちゃん、あたし――」
パルテスが言い終わる前に車両の扉が破壊されて大量の水が押し寄せてきた。水は瞬く間に室内を埋め尽くした。これが黄泉の国へ入国する一歩手前の段階だ。
入国まであと一分もないだろう。これで終わりだ。
マーブルとイッチか。なかなか面白そうな人間ではあったが、ここでお別れのようだ。私は死神の持つ筆を回収してから現世に戻ることに――って、痛い痛い痛い!
こ、こら!背表紙を折るんじゃない!
「ぶあっでにばびらべばびでぶだばい」
なに?勝手にあきらめないでください?
もう無理だろう。溺死寸前の君になにができる。
「――描きたい絵があります。イッチさまやデンさん、パルテスさんと一緒に帰る絵です」
待て。なぜ喋れる?この水は三途の川だ。現世での穢れを落とすために体内に入り込み、霊魂まで洗われる水だ。喋れるはずが――。
「パルテスさんのおかげです」
――そうか。あの娘は水の中でも息ができる魔法を使えるのか。なんて都合のいい展開!
「もう1ページだけ使わせてください。それで解決します」
いいだろう。足場も定まらない水中で絵を描くなんて体験は滅多にできない。存分に描いてみるがいい。私も楽しみだ。残り数十秒もないこの状況でどんな――。
「うるさいです。黙っててください」
はい。すみません。
マーブルちゃんは本当に不思議な子だ。
こうなることがわかっていたわけじゃない。あたしがこの魔法を使えることを、マーブルちゃんは知らないのだから。この話はタブレーさんにしか言っていなかった。
それなのに、水に飲まれる直前、彼女はペンを手に取った。
生きるとか死ぬとか、彼女にとっては大したことじゃないのだろう。絵を描けないことに比べれば。たとえ死ぬ寸前でも彼女は絵を描いている。
もっとたくさんの絵を描いてみてほしい。あたしは素直にそう思う。
満天の星空のような綺麗な瞳で、色んな景色やものを焼き付けてほしい。
もっともっと、生きてほしいな。
みんなには絶対に生きて帰ってもらう。それがあたしの生きた証になるから。
あたしはレバーを押さえながら、残された魔力をすべて放出する。この水は霊体でも溺死してしまいそうになるほど苦しくなる。マーブルちゃんとイッチさんとデンちゃん、あたしのちっぽけな魔力だと三人同時に使うだけで精一杯だ。でも、これでいい。
列車を満たす水が死神の作った氷を融かしていく。
イッチさん、お願い。マーブルちゃんを助けて――。
「ウオオオオオオ!!」
イッチさんは赤いオーラを額に集中させると、死神の頭を片手で掴み、頭突きをした。
衝撃の余波が水中でも伝わってくる。とんでもない威力の頭突きだ。
死神の仮面が割れると、マーブルちゃんはすかさず死神に向かって本を開いた。
そこに描かれているのは、死神自身の顔。
自ら隠し続けてきた顔、その正体を知った死神は断末魔を上げた。
「きぃいいいいいいいやあああああああ!!!!」
甲高い悲鳴に頭が割れそうに痛くなるけど、それも一瞬だった。目を開けた次の瞬間には、死神の姿はなかった。
マーブルちゃんは室内を泳いで移動し、筆のようなものを拾うと服の内側にしまっていた。
「パルテスさん、ありがとうございます。さあ帰りましょう」
マーブルちゃんが手を差し出す。その背中からは光が差していた。マーブルちゃんが描いた絵の効力なのだろう。光の方に向かっていけば列車から脱出できる。でも。
あたしはゆっくり首を横に振る。次に、手も横に振った。
レバーの部分の氷はなくなったから今は停車状態だけど、このまま三途の川の流れで黄泉の国へと入国してしまう。黄泉の国が近いせいか、感覚でわかってしまった。
あたしはもう間に合わない。コードが切れてしまったみたいだ。
でもマーブルちゃんたちは違う。生きなくちゃいけない人たちだ。
「パルテスさん」
いつの間にか正気に戻っていたイッチさんは、気を失っているデンちゃんを抱え、マーブルちゃんの手を引こうとしている。同じ霊体のイッチさんは気付いたみたいだ。
イッチさんはあたしの顔を少し見つめて、口を開いた。
「パルテスさん。ありがとう。君がいたからマーブルを助けられた。本当に、ありがとう!」
そう言うと、その優しそうな瞳から涙が零れた。イッチさんは慌てて顔を背けて涙を拭う。
「助けてあげられなくてごめん……」
ああ、そんな。どうか謝らないで。お礼を言いたいのはこっちの方だ。
あたしは今、本当に幸せな気持ちなの。
「パルテスさん」
マーブルちゃん――!
「私が死んだら一緒に絵を描きましょう」
マーブルちゃんの言葉が、涙が、あたしの心を深く満たしていく。
みんな、ありがとう。本当に大好きだよ!
優しいイッチさんもかわいいデンちゃんも、お願い。これからもマーブルちゃんを助けてあげて。
そして、幸せに生きてね!
マーブルちゃん、みんな、またね――




