第四十話 擬態
パルテスは目の前で繰り広げられている光景に唖然としている。
「パルテスさん、ちょっと待っていてください。なぜ喋れるんですか。なぜ今までは黙っていたんですか……え?では、なぜ急に聞こえるようになったのですか……質問が多いと言われましても。会話ができる本と出会ったことはありませんから仕方ありません。中に誰か入っているんですか?」
なにを馬鹿なことを言っているのか、この小娘は。
「あ、あの……マーブルちゃん?」
パルテスはマーブルの一人芝居に見かねておそるおそる声をかけた。
「一人芝居ではありません」
「さっきから誰と喋ってるの?すごい怖いんだけど」
「だから本です。さっきからずっと喋っています」
「本……本が、マーブルちゃんに話しかけているの?」
「聞こえないんですか?」
聞こえないもなにも、本が喋るはずがない。マーブルちゃんは本当にどうかしてしまったんじゃないか。本だけに。
「ほら。パルテスさんの口調を真似て、わけのわからないことを言いました」
わけがわからないのは君の方だよ。ギャグの通じない奴だ。
「ほら!さっきからずっとこうです」
ううーん、とパルテスは頭を悩ませている。目の前の人間が正気を失っているのだ、さぞ対応に苦慮することだろう。
「失っていません」
「本と話せる魔法……?ううん、だったらマーブルちゃんにしか聞こえてないのは変だし、幻覚の魔法をかけられるタイミングもなかったと思うけど……」
パルテスは必死に考えている。暴力アホ女マーブルと違って好感が持てるので少しだけヒントを与えてやろう。
パルテスの考えは正しい。マーブルに魔法はかかっていない。当然、私にも。そもそも魔法的な力は私には通用しない。
「魔法はかかっていないそうです」
「今のも本が喋ったの?」
驚きタイムはその辺でいいだろう。そろそろ本題に戻ろう。本だけに。
「先ほどからなんですか。その、本だけにというのは」
そこは触れなくていいから。さっと流す部分だから、そこは。
それよりも、あの小動物くんの後を追わなくていいのかな。
「小動物くん?」
「デンちゃんのこと?」
パルテスの方が話が早いな。できれば生きている君と話がしたかった。
素質もあったろうに残念だ。
話を戻そう。
そう、そのデンくん。
死ぬ寸前だよ?助けなくていいの?
「あら。死神に捕まったんですか」
リアクション薄っ。
ひどいなぁ。マーブルにとって小動物くんの命なんてどうでもいいのかな。
「そんなこと言っていません」
「えー!?デンちゃんが!?」
そうそう、そのリアクションが正解だよ。
やっぱり君はいいなあ、パルテス。
「死ぬ寸前と言っています。あと、パルテスさんのことを気に入っているみたいです」
「大変!すぐ助けに行こう!」
「はい」
どうやって?彼、カチンコチンに凍ってるよ。
「そのカチンコチンごと持ち去って、氷を溶かします」
やめた方がいいねえ。彼は霊魂ごと死神の冷気で凍結させられているんだ。生身の君の腕が凍らされたのと同じに考えない方がいい。キッチンの火力じゃあ溶かしきれないだろう。
「カチンコチンって、凍らされてるってこと?」
「そのようです。どうしたらいいですか?それに、イッチさまは無事なのでしょうか」
「俺なら無事だ」
その声の方向を二人とも振り返る。そこにはイッチこと犬房一志が立っていた。
「良かった。無事だったんですね」
パルテスが歩み寄ろうとした時、マーブルがパルテスの腕を引いた。
「マーブルちゃん?」
「あなた、誰ですか」
しん、と一瞬の沈黙が訪れた。その沈黙を打ち破ったのはイッチだ。
「だ、誰って。イッチだよ、犬房一志」
「違います」
「え、いや、違いませんよ。イッチです。ちょ、ちょっと、どうしちゃったの?」
イッチは困惑しながらこちら側へ近付く。彼は困った時に手を頭の後ろにやる癖がある。その癖も話し方も、彼の仕草の真似としては完璧に近い。大した擬態だ。
「イッチさまはどこですか。デンさんは凍らされたと聞きましたが、まだ助かりますか」
珍しくマーブルの声に怒気が含まれている。
そう、この娘は感情がないわけではないのだ。感情表現がひどく乏しく、喜怒哀楽が表情に出ることはない。自身の心の機微に疎く、たとえば涙を流すようなことがあってもなぜ涙が流れるのか、説明ができないタイプだろう。なにが原因でそうなったのかは知らないが、このような性質は本を書く上では――
「ちょっと黙っててください」
はい。
「ど、ど、どうしたの、マーブル。なな、なに、なにか、ヘンだよ、よ、よ」
イッチの表情が人形のような無機質なものに急激に変わっていく。
「えっ?え?な、なに!?」
「パルテスさん、私の後ろに」
擬態が剥がれかかっている。もはや時間の問題か。
マーブルがパルテスの腕を引いたので、そのまま逃走する気かと思ったら、違った。
そうだ。この女がここであっさり引くようなら、私も苦労はせずに済んだろう。
ばちん!
マーブルはイッチ、いやイッチもどきに思い切り平手打ちを喰らわせた。
ほれぼれするほど気持ちの良い平手打ちだ。全女性に参考にしてもらいたいほどだ。
「行きましょう、パルテスさん」
マーブルはパルテスを連れて食堂車両を出た。
「い、ぎ……ぎぎ、ぎ。ぎぎぎぃぃいいい!!」
車両から人外の悲鳴が響いた。先のマーブルの一撃で化けの皮が剥がれたのだろう。
あいつはイッチに化けた死神。本物のイッチもまたデンと同じく氷漬けだ。
しかし、マーブルが初見で看破するとは意外だった。先ほども述べた通り、死神の擬態は完璧に近い。死神は魂に触れた者の記憶を読み取り、再現することができる。つまり、さっきまでのイッチは我々が目にしてきたイッチそのものなのだ。見破る方法はいくつか存在するが、そのどれもがマーブルたちでは成し得ない手段だ。
「だからうるさいです」
マーブルはぶすっとした声でそう言うと、本を開いたり閉じたりを高速で繰り返した。
って、いてててて!思ったより痛い!そしてなんかすごい嫌な気持ちになる!
やめて!私一応神の書物とか言われてるんだよ!
「それよりイッチさまやデンさんを助ける方法を教えてください。簡潔に」
わかった、わかりましたよ。
なんで私に対してはそんなに辛辣なんだ。




