第三十八話 臨死に佇む瞳
タブレーと名乗った男は、刃物の切れ味を確かめるように名刺の角に指を滑らせた。
「列車を止めるなら協力は惜しみません。ですが、その前に」
タブレーは椅子にくくりつけられている男を一瞥すると、男の腕に名刺を鋭く振り下ろした。
「ぐああっ!」
男は悲鳴を上げる。その二の腕には何枚もの名刺が手裏剣の如く突き刺さっている。
「サギョウゴさん。もう時間がない。次の質問で最後です」
俺は困惑していた。これは一体どういう状況だ。
死者の国へと向かう幽霊列車の中で。タブレーという記者が中年の男を拷問している。今にも死神が向かってくるかもしれないのに。
「墓場まで持って行こうとした秘宝の在り処……教えてください」
サギョウゴと呼ばれた男は、荒い息づかいのまま首を横に振った。
タブレーは小さな舌打ちをすると、サギョウゴの首を掴んだ。
「あなた、このまま自分が死ねば秘密が守られると思っていませんか。我々は必ず真実に到達しますよ。どんな手を使ってもね。あなたが口を開かなければ、あなたの親族や友人、知人に至るまで一人残らず追及しますよ」
「ちょっと待てよ」
俺はタブレーという男の腕を掴んだ。
「事情は知らないけどやりすぎだろ。大体、こんなことをやっている場合か」
「死神なら来ませんよ」
タブレーはスーツの袖を正しながら言った。
「どうやらこの列車には魔法使いが紛れているようです。確証はありませんが、どうも死神を一瞬で移動させることができる能力を持っているらしい。私と協力関係にある少女がその事実を突き止め、魔法使いを探しています。彼女が魔法使いに近づけば近づくほど、魔法使いは死神を自分の近くへ移動させるはず。つまりここは安全なのです」
「安全?なに言っているんだ、こんなところで手をこまねいている間にも魔法使いに近付こうとしている子が危険な目に――」
そこまで言ったところで俺は言葉を切った。
「待って。その協力者って、マーブルのことか」
「その通り。そしてあなたの名前はイッチさんですね」
「なんで俺の名前を知っている?」
「この名刺が教えてくれました。持っている者の生命反応や感情を感知できる。その気になれば、近くの会話も拾えるというなかなか役立つ魔法です」
「ふざけるな!」
思わず声を荒げた。
「あんた、なにやってんだ!?さっきマーブルがどんな目に遭ったのか知っているのか?」
「感知しているのだから知っていますよ。相当危険な目に遭ったようですね。私だって彼女を死なせたくはない。ましてや取材相手だ、無事に逃げ延びてほしいと思っています。しかし、だからと言ってどうします。あの死神相手には逃げること以外になにもできない。だったら自分のやるべきことに専念すべきでしょう」
淡々と語るタブレーの横っ面に一発くれてやりたくなったが、言っていることは間違っていない。マーブルのために命を賭けろ、なんて言うつもりはない。けれど、都合良くマーブルを利用していることに悪びれた様子もない態度には腹が立つ。
「そんな役立つ魔法なのに、なんでそんな残念な使い方をしているんだ」
俺は精一杯の皮肉を込めて呟いた。
タブレーはサギョウゴを見やる。汚いものを見るような嫌な目だ。
「私とこの男との因縁は、いずれお話ししますよ。あなたたちにも関係してくる話ですから」
「なんの話だ」
「マーブルさんの持つ運命の本に歴史を記すことができる筆の話です。この列車が黄泉の国へ到達するまでになんとしても聞き出す必要が――おっと、これは……」
そう言うと、タブレーは一枚の名刺を取り出した。
「マーブルさんたちがこちらへ向かっていますね。もう魔法使いを倒したのか?いや、いくらなんでも早すぎる。なにかおかしい……」
「死神に追いかけられているんじゃないのか?」
言わんこっちゃない、と思った。拷問なんかしてないで、さっさと脱出の手はずを整えれば良かったんだ。
バン、と勢いよく扉が開いた。とっさに身構えたが、そこにいたのは――。
「デン!良かった、無事に乗り込めたんだな」
「イッチか!おい、今すぐこの列車を出るぞ!どうやったら列車を止められるかわかったか?」
雷獣デンは俺を見上げながら声を張り上げた。
「これから機関室に入るんだ。マーブルたちはどうした?それに死神とは遭遇しなかったのか?」
「マーブルなら一緒にいた女と腕の応急処置をしている。じきにこっちに向かってくるはずだ。それよりも早く列車を止めろ!なにか変なんだよ!」
「落ち着いて。変ってなにが?それにマーブルたちは魔法使いを探していたんだろ?そいつは見つかったのか?」
「死んでたよ!」
「え……」
「魔法の匂いがする部屋に入ったら、カラカラに干からびたじいさんが座ったまま死んでいた!その辺にいた人間どもは全員凍っているのに死神の姿はどこにもない。もうわけがわからない!」
「死神がいない?どういう――」
「知るもんか!とにかくこの薄気味悪い列車から――」
「ハァハハハッ、ハハハハッハアア」
突如、不気味なほど明るい笑い声が響いた。
タブレーかと一瞬疑ったが、彼も目を丸くしている。
笑い声の主は、その視線の先にいる男。椅子にくくりつけられ、何枚もの名刺が腕に突き刺さっている、サギョウゴという中年男。
その眼窩は深く窪み、痩せこけた頬がまた一層と骸骨を連想させた。
「ハハハッ……おい、三流記者さんよぉ!遅かったな!俺たちの勝ちだ!」
急激に豹変した男の態度に、その場にいる全員が戸惑った。サギョウゴは自らを痛みつけていた冷酷な男に、どす黒い笑みを向ける。
俺は男の顔に恐怖を覚えながら、先ほどのセリフに引っかかるものを感じた。
……俺“たち”?
「ハッ、ハァッハ、ハァアアッ、アァアィイイィギィイイイ!!」
サギョウゴは白目を剥き、青筋を立てて叫んでいる。こめかみや首筋に、黒いヒビが走る。
「やっ、やばいっ!」
俺はデンを抱え、後部車両へ戻ろうとした。しかし。
「こ、こいつら、いつの間に!おい、放せ!」と、デンが俺の腕を振りほどく。
後部車両へと続く扉は開きそうにない。扉の向こう側には、虚ろな目をした乗客がびっちりと隙間なく並んでいた。
「イイィイギギィィイギイイ!!」
サギョウゴの顔面が割れる。卵の殻のように割れた顔が、崩壊していく。
その中から現れたのは。
黒いフードで顔を隠した死神だった。
死神はこの世の負を詰め込んだような雄叫びを上げると、瞬時に車両の温度を奪った。
一番近くにいたタブレーは、身を翻したところで全身を凍結させられた。
そう認識した時にはすでに遅かった。
俺も、デンも、一瞬も声を発することなく極寒地獄へ閉じ込められた。
凍らされると思った瞬間、俺は確かに見た。
とてつもなく暗く冷たい目をした死神の顔は。
底のない闇を瞳に携えた死人の顔は。
あれは――俺の顔だった。




