第三十六話 間もなく終点
ようやく会えた。無事で良かった……。
安堵と緊張で破裂しそうな胸に手を当てる。再会を喜ぶのは後回しだ。一刻も早くこの列車から脱出しなければ。
この幽霊列車と死神の存在はヤオさんから聞いた。俺がさっき殴り飛ばした、全身に鎖を巻いている黒装束が死神なのだろう。
氷の塊を殴ったような感じだ。冷たくて、固い。
ヤオさんには死神と戦うなと忠告されていた。これ以上の応戦は危険だ。
それにこの車両は明らかに様子がおかしい。なんでこんなに乗客が部屋の外に出ているんだ。しかも、よってたかってマーブルを襲っていた。今は全員がぴたりと立ち止まってこちらの動きを見ているようだが、その目は虚ろだ。
「とりあえずこの車両を――」
離れようと言おうとした時、マーブルの腕が目についた。
「マーブル、その腕……」
「またですね。さっき凍らされた腕を治そうとお湯をかけたばかりなのに。またも凍らされてしまいました。これでは絵を描けません」
「くっ……」
なんてことだ。俺がもたもたしている間にマーブルが負傷していたなんて。
『死ぬ覚悟はあるかい?』
ヤオさんの問いかけが蘇る。
『ないです』
あれこれ考えた末に俺はそう答えた。
自分の命を捨ててまで人を助けるって、美談のように聞こえてしまうけど、決していいことじゃないと思う。
『でも助けたいです。マーブルを助けて、俺も死なない。それってそんなに難しいことですか』
『バハハ!そうさね、虫のいい話だが、口先だけの命がけよりは百倍マシさ。ただ、マーブルのところへ行くなら覚悟は必要だ。あの子は今、死ななければ行けない場所にいるからね』
それがこの幽霊列車。霊魂を死者の国へと運ぶ異空間の列車。
ヤオさんに行き方を示してもらったものの、俺はかなりの時間をかけてしまった。俺がもっと早くこの列車に乗り込めていれば。
「ごめん、マーブル。俺がもっと早く……」
「なぜ謝るのですか?」
「本当にごめん」
自分の不甲斐なさに腹が立つ。助けるって決めたならとっとと行動しろよ。
「これを」
俺はマーブルにペンを手渡した。マーブルが消えた場所に落ちていたペンだ。
「ありがとうございます。きっと持ってきてくれると思っていました」
珍しく感情が籠っているような言葉を噛み締め、俺はどういたしましてと答えた。
「この車両をまっすぐ進んでいくと食堂車両がある。あそこならお湯が出る」
「はい。私たちはそこに行こうと思います」
「私たちって?」
「私とパルテスさんです」
マーブルはそう言うと、項垂れて部屋に戻ろうとする女の子を指差した。パーマがかった藤色のツインテールに、フランス人形のような服。俺と同じ高二くらいの年齢だろうか。でも、この人さっきマーブルの首を絞めていなかったか?
「マーブルちゃん、あたしはもうだめ」
パルテスは涙を拭いながら言った。
「信じてもらえないかもしれないけど、身体が勝手に動いたの。手を放そうとしたのにダメだった。この車両の人たちもきっとそう。悪い魔法使いに操られているの」
「信じます。私の首を絞めたのはパルテスさんではありません。パルテスさんにしては力が強すぎましたから」
ううむ、事情はよく知らないけど、最後の一言が要らないことだけはわかる。
いやいや、今はつっこんでいる場合じゃない。
「いろいろ話を聞きたいけど、そろそろ時間切れだ。パルテスさん、事情はまだ飲み込めていないけど、一つだけ忠告しとくよ。マーブルはね、言い出したら聞かない」
死神がゆらりと起き上がる。完全に姿勢を正す前に、俺は蹴りを見舞った。
――固い!足が痛い!
死神は少しのけぞったが、想像通りダメージはない。さっき殴った時もそうだった。こいつには物理攻撃は無効だ。
俺は6号車側の出口に向かって走り出した。
「死神!こっちだ!俺はこの列車を止めようとしている!狙うなら俺だろ!」
ヒュオオオオ、と冷気が吹き出す。これが死神の発する冷気か。
死神に捕まったら確実に死ぬ。逃げるしかない。ただ、場所は列車だ。いくら逃げても出口はない、必ず追いつかれる。
ならばどうするか。隠れてやり過ごすしかない。
死神の目をかいくぐり、列車を止めるためことができる先頭車両の機関室へ到達する。それが唯一の脱出方法。と、ヤオさんが言っていた。列車の運行に妨げになる者を優先的に攻撃するという死神の習性についても学習済みだ。
しみじみ思う。あの魔女はいきなり現れる上にやたらと事情に詳しい。なんでそんなに詳しいのか聞いてもいると、昔うっかり死にかけてこの列車に乗ったことがあったらしい。その時に乗客全員を列車から脱走させることに成功したんだとか。
おそらく膨大であろう彼女の武勇伝について触れるのはまたの機会にするとして。
俺は息を吸った。
「マーブルたちは食堂車両へ!俺はこの黒ずくめをなんとかするから!」
先頭車両へ向かって走り出した。
強い冷気が背中を刺す。俺は構わず直進した。
「さあ行きましょう、パルテスさん」
マーブルちゃんはそう言って手を差し伸べてくれる。こんな最低なあたしに。
でもあたしはその手を取るわけにはいかない。
「マーブルちゃん、あたしはダメ。一人で行って」
「なぜですか」
「なぜって、言ったじゃん。悪い魔法使いに操られるから。あたしはまたあなたを殺そうとしてしまうかもしれない」
「パルテスさんが来ないと私が困ります。一人では腕の治し方がわかりません。それに、悪い魔法使いはきっとこの先の車両にいます。探し出して一緒に殴りましょう」
「だったら、なおさらあたしはいない方がいいよ」
あたしは部屋に入って扉の取っ手を掴んだ。
「怖いの!自分の手が自分のものじゃなくなって、マーブルちゃんになにをするかわからない!」
「その時はおれがかみついてやるよ」
唐突に、幼い声が飛んできた。声の主は子どもではなく、見たことのない小さな魔獣だった。
「あ。デンさん」
「マーブルちゃんのお知り合い?」
「はい。珍獣デンさんです」
「雷獣だよ!」
がるる、と彼はかすかな唸り声を上げた。雷獣デン。なんてかわいい生き物なの!
「おい、なに見てんだよ」
あたしの方を睨んでいる。かわいい!
「ごめんなさい、つい」
「まあいいや、それよりお前ら、悪い魔法使いを探しているんだって?それっぽい奴ならさっき見かけたぞ」
雷獣デンが短い指を自分の背中側、8号車両へと続く通路へくいっと向けた。かわいい!
その時、ベルの音が鳴り響いた。今までとは違う音色。
なんの根拠もないのに、あたしは終わりが近づいていることを感じた。




