第三十五話 必ず助けに行く
ワンダフルニュース社専属記者タブレー・コミヤの手記より
『パラミダ号は死者が住まう黄泉の国へ運航する異次元の列車である。
運転手は存在せず、列車自身の意思で走行する。機関室のある第1号車や食堂車両、娯楽車両を除く第5~12号車の計八つの車両が独立し、各地から乗客を集める。乗客は生死の境をさまよう者や現世に長らく留まっていた霊魂、ごく稀に生者が迷い込むことがある。
乗客が一定数に達すると車両が結合し、その後は運航に支障がない限り停車することなく黄泉の国へと向かう。列車の運行を妨げる者、あるいはこの期に及んで現世へ留まろうとする浅ましい魂には厳しい罰を課した。その厳罰の執行者が死神である。
乗客の大半はこの世に未練を残した者であり、無謀な逃走によって死神の餌食になる事態が多発していた。死神に魂を吸い尽くされた者は黄泉の国へ入国することは叶わない。それは列車の本懐ではなかった。列車の設計者は、乗客が死への絶望に囚われないようにあらゆる試みを施した。食堂車両や娯楽車両が設置されたのはそのためである。
さらには、定刻になるとベルが鳴り、乗客の部屋が一斉解放される。乗客は第1号車を除く全車両への通行が認められ、死神は機能停止する。奇しくも、マーブルとパルテスが危険を冒して第4号車へ向かっている時、その自由時間は突如訪れた。』
「嘘でしょ、信じられない!」
もし、第1号車に留まっていたら、逆に第1号車に取り残される形になっていた。そうなったらマーブルちゃんの腕を解凍するチャンスは二度と訪れなかっただろう。それどころか、あのまま凍死していたかもしれない。
「パルテスさん、今の音はなんですか?」
「自由時間だよ。今のうちなら死神に襲われない。確か前は十分くらいあった。急がなきゃ」
あたしとマーブルちゃんは、不気味なほどすんなりと食堂車両の厨房へ向かうことができた。食堂には他の乗客が何人か集まっていた。
ぬるま湯を張った大きなボウルに、マーブルちゃんは腕を沈める。もくもくと蒸気が立ちのぼる。あたしは蛇口を捻って温度を確かめながらお湯をボウルに継ぎ足した。
「だ、大丈夫?痛くない?」
彼女が一言も発さないのが気になって、声をかけた。
「もくもく」
「え?」
「もくもく、すごい煙が出ています。煙はどのように描けばよいのか考えていました」
「……すごいのは、マーブルちゃんだよ」
この子は本当に絵のことで頭がいっぱいなんだな、と感心した。普通、こんな目に遭ってまで絵を描きたいだなんて思えるだろうか。あたしには無理だ。そこまでの情熱は持てなかった。
なにが?と言わんばかりの大きな目がこちらをのぞき込む。星のような輝きを放つ瞳に、あたしの姿はどう映ってるのだろう。
「マーブルちゃんって、生まれた時からその髪の毛なの?」
初めて会った時から気になっていた疑問を口にした。
少し長めのショートボブは、白いキャンバスを色とりどりに塗り潰したかのようだ。比率で言えば白い部分の方が多いけど、瞼の上できっちり揃えられた前髪も、無造作に伸ばしているような襟足も、ブルー、グリーン、イエロー、オレンジ、レッド、ピンクと様々なカラーで鮮やかに染まっている。いかにも染めました、という人工的な感じはしない。まるでそう、花のような――。
「わかりません。昔のことはあまり覚えていません」
「えっ、あ、そ、そうなんだ」
「……」
「……」
あたしってどうしてこんなに会話が下手なんだろう。たぶんあたしの方が年上なのに。うう、情けない。
「え、ええと、あと何分くらいかな」
あたしは食堂車両の壁掛け時計に目をやった。
「まだ七分くらいあるけど、とりあえずこのまま腕を温めながら5号車の空き部屋に入ろうか。タブレーさんのことも気になるし」
「なにか変です」
マーブルちゃんはそう言うと、厨房を出て食堂の座席へ向かっていった。
「ちょっと待って!腕はまだ治ってないでしょ」
「匂いがしなくなりました」
「匂い?」
「ここにいた人たちの匂いです」
食堂車両にはいつの間にか誰もいない。
「みんな自分の部屋に戻ったんだと思う。まだ5分以上あるけど、あたしたちも早く部屋に戻らないとまた死神が――」
ジイイイーー。
螺子を巻いたような変な音がした。音は時計の方から聞こえる。
時計を見ると針が異常な速度で回転していた。透明人間が指で針を乱暴に回しているみたいなおかしな光景。
針はある位置で急に止まると、バン!バン!と扉が閉まる音が連続して聞こえた。
「え?え?」
あたしは慌てて扉の窓から外の様子を――。
「きゃああああああ!!」
弾かれたように扉から離れた。信じられない!信じられない!
通路で人が凍っていた!
死神が。でもどうして。まだ時間はあったはずなのに!
「悪い魔法使い」
ぽつりとマーブルちゃんが呟いた。
「きっと、そこに座っていた人たちの中にいたんですね。死神よりも先にその人をなんとかしないと、私たちはやられちゃいますね」
マーブルちゃんがそう言うと、テーブルの上にあった布巾を手に取り、お湯に浸けた。その布巾を凍った腕に押しつけたかと思うと、もう片方の手と口で布巾を腕に巻き付けた。
「だいぶ良くなった気がします」
「ど……どうするつもり?」
答えを聞くのが怖かった。マーブルちゃんはなにかしようとしている。
「悪い魔法使いを探して、イジワルするのはやめてくださいと伝えます」
「……どこからつっこめばいいのかな。ええと、まず、どうやって探すの?」
「あの時計から魔法の匂いがします。同じ匂いを辿ってみます」
「もしそれで見つけられたとして、そんな説得に応じると思う?」
「応じないと思います」
「え!?じゃあ見つけても意味ないじゃん」
「その場合はその人を無理やり連れて行きます。その方が安全です」
「あ、そうか!死神を瞬間移動させられる魔法使いと一緒に行動すれば、死神に襲われずに済む!」
あたしはポンと手を叩いた。
よく考えると説得に応じても応じなくても関係ないんだ。魔法使いが自殺志願者じゃない限り、死神が接近したら瞬間移動の魔法を使わざるを得ないはず。
課題は二つ。死神に捕まらないように魔法使いを探す。その魔法使いを無理やり連れて行く。
魔法使いの実力は未知だ。対峙した瞬間にやられちゃう可能性だってある。
「また寒くなってきましたね。このままここにいても凍り死にしちゃいます」
マーブルちゃんの言う通りだ。彼女の突拍子もないような大胆な行動力には驚かされてばかりだけど、言うことはいちいち的を得ている。
「頑張りましょう」
「慎重にね」
あたしたちは死神を警戒しながら5号車の方へ向かった。
「死神の匂いは覚えました。近くにはいません」
「で、でも瞬間移動してくるんでしょ。あと、もうちょっと声を落とそうか、マーブルちゃん」
「急に出てきたら急いで部屋に駆け込みましょう」
「それしかないね。死神からは逃げるしかない」
「はい。叩いても蹴ってもぜんぜん手応えがなかったです」
「そんなことしてたの!?」
「パルテスさん、声が大きいです」
「う……どうもすみません」
それから事態が急変したのは、あたしたちが出会った7号車まで戻ってきた時だった。
「この車両から魔法の匂いがします」
マーブルちゃんがそう言ったのと同時に、あたしは通路の奥にいる人物に気づいた。
「あの人が……?」
その着物姿の人物は背中を向けていたけど、あたしたちに気づいたのか、ゆっくりと振り返った。魔法使いという言葉がまったく似つかわしくない、どこにでもいる感じの男子だ。短い前髪にきれいな顔立ちをしている十代後半の男子。
彼はぼうっとした眼差しであたしたちを見つめて、呟いた。
「見つけた」
そう言うと、ぱあんと手を叩いた。ゆったりした動作からはイメージできないほど大きな音に身をすくめると、通路の両端にある部屋の扉が次々と開いた。男性や女性、子どもやお年寄り、いずれも死に近しい人たちが部屋の数だけ出てくる。
「人がたくさん出てきました」
「ど、どうして、みんな出てくるの?今はもう自由時間じゃないんだよ!」
あたしの声はみんなには届いていない。明らかに正常な状態ではなかった。虚ろな瞳で口をぽかんと開けてよだれを垂れ流したまま、あたしたちに近づいてくる。
「マーブルちゃん、逃げて!」
そう言ったものの、逃げ場なんてなかった。6号車へと続く扉の方には死神が立っていた。
「なんで……」
鎖の音も冷気も、なんの予兆もなかった。
ということは、瞬間移動してきたんだ。
じゃあこの中に魔法使いはいない……?この人たちはなんなの?
「痛いです。離してください」
あたしが狼狽と混乱をしている間にマーブルちゃんが大人たちに捕まった。
「マーブルちゃん、なんとか振り切って!8号車に逃げよう」
「は、はなして、ください……パルテスさん」
「……え?」
あたしは自分の手を見た。あたしの両手は、マーブルちゃんの首を――。
「え?え?なに、なに!?手が!手が離れない!嫌!いやああああああ!!」
死神が静かに近づいてくる。黒いフードから覗く口が大きく開かれる。
「いやあぁぁ!!やだやだ!あっち行って!!」
マーブルちゃんの呻き声が聞こえる。あたしが、あたしのせいで、マーブルちゃんが!
「マーブルちゃん、ごめん!自分でも手が離せないの!指を折ってでもかじってでもなんでもいいから、あたしを引きはがしてぇ!!」
「いっ、い……いっち……さ、ま……」
いっちさま。
マーブルちゃんが信じて待っている人。
本当にそんな人がいるなら、助けに来てよ。今すぐ!
あたしはどうなってもいいから、マーブルちゃんを助けてよ!
「いっち……いっち、助けて!!!」
死神の口がマーブルちゃんの魂を捉えた時。
「うおおおおぉぉぉ!!」
獣の咆哮と共に素早く横切った影が、死神に殴りかかった。死神はじゃらじゃらと鎖の音を立てながら床に転がった。
死神に殴りかかったのは、獣ではなく男の人だった。その人はあたしの手を掴み、ゆっくりとマーブルちゃんから引きはがした。
「大丈夫か!?マーブル!」
マーブルちゃんは激しい咳を繰り返した後、いつもの調子で答えた。
「ふう。死ぬところでした」
「あ、あなた……が、あなたが、いっち…?」
まだはっきりと状況が飲み込めないあたしの呟きに、彼は元気よく答えた。
「俺は犬房一志。通称イッチ。よろしく!」




