第三十三話 パラミダ号脱出計画
身の毛もよだつような絶叫が響いて、あたしとタブレーさんは硬直してしまった。
おそるおそる耳から手を離すと、辺りはしーんとしていた。いつまた引き裂かれるとも知れない静寂が、逆に怖い。
ふうーと息を吐いて、呼吸を落ち着かせようとする。
変なの、と思った。呼吸なんて必要ないくせに、生きていた時の記憶がそういう行動を取らせる。呼吸どころか、あたしにはもう脈も痛みもないのに。
タブレーさんは懐から取り出した眼鏡をかけて言った。
「どうやらマーブルさんは死神と遭遇したらしいですね」
「ええっ」
「しかし魂は吸われていない。うまく逃げているようです」
「どうしてわかるんですか?」
あたしが質問すると、タブレーさんは一枚の名刺を取り出した。
「マーブルさんに渡したものと同じです。これには私の魔法が仕込んであります。この名刺を持つ者の健康状態やおおよその位置がわかります」
へええ、とあたしは素直に感心した。
「タブレーさんも魔法が使えるんですね」
「私が使えるのは感知系の魔法だけです。現状を打破するには頭と身体を使うしかありませんので、悪しからず。それよりパルテスさん、『も』と仰いましたね。あなたはどのような魔法を?」
「あたしは全然!水の中でも呼吸ができるような魔法しか使えないんです」
「列車が水没した際にはよろしくお願いします」
「お役に立てずすみません……」
「いえ」
それから、あたしとタブレーさんは扉の外、先頭車両へと続く通路を進むことにした。死神をマーブルちゃんが引き付けてくれている今が絶好のチャンスだ。
タブレーさんは列車から脱出する手段をあたしに説明してくれた。
「列車の外に出れば我々は現世に帰ることができます」
あまりにもあっさりと断定するものだから、あたしは少し呆気にとられてしまった。タブレーさんは眉をひそめてあたしに尋ねる。
「どうかしましたか」
「あ、いいえ。列車の外に出るって、それだけでいいんですか?」
「もちろん根拠はあります。通常、肉体と霊体は管のようなもので繋がっています。これを辿れば肉体に戻ることは容易です」
「管?そんなのどこに……」
「そう、列車内にいるうちはその管を見ることも触ることもできない。どういう理屈かは知りませんがね。列車の外に出れば管を認識できるようになるはずです」
「タブレーさんはどうしてそんなに詳しいんですか?」
あたしがそう聞くと、タブレーさんは指を二本立てた。
「二度目なんです。この列車に乗るの」
タブレーさんは、子どもの頃に流行り病で生死の境をさまよったことがあるらしい。初めてこの列車に乗ったのはその時だったけど、タブレーさんは幸運だった。列車には当時高名な魔法使いが同乗していて、その人のおかげですべての乗客が解放されたという。
「その方から死神や黄泉の国の存在を聞きました。脱出の際の記憶はおぼろげですが、たしかに管を辿った記憶がある。まさか二十年後に再び列車に乗ることになるとは思いませんでしたがね」
「今回はどうしてこの列車に?」
「取材のためにわざと魔法で仮死状態になり、乗り込みました」
「……え」
「あなたには信じられないかもしれませんが、世の中には部下の命よりも仕事に重きを置く人種がいるのです。私とて本意ではない。そういう上司がいる組織に属してしまったことを恨む日々です」
どんな言葉をかけていいかわからないあたしにタブレーさんは言った。
「ご心配なく。私はその気になればいつでも仮死状態を解除することができます」
タブレーさんの言う通り、あたしは耳を疑った。なにか一つでも間違えたらそのまま死んでしまうかもしれないのに。
話を戻しますが、とタブレーさんは続けた。
「列車から脱出するには最低でも二つの条件を満たす必要があります。列車を停車させること。死神のいる車両を切り離すこと」
先頭車両にある運転室に行けば停車はできる。最大の難関は後者。死神のいる車両を切り離すこと。
「とりあえず今は列車を停車させることに集中させましょう」
あたしたちは鎖の音と冷気に細心の注意を払いながら進んだ。どのくらいの音を立てれば死神が反応するのかはわからないから、なるべく足音を立てないようにした。
あたしはびくつきながらもなんとか先頭車両に辿り着いた。もし死神が近付いてきたら空いている部屋に逃げ込もうとタブレーさんと話していたけど、そんな必要は一度もなく、不気味なほど順調に進むことができた。
タブレーさんもまたせわしなく後ろを振り返っていた。
「どうしたんですか」
「マーブルさんは無事に食事を終えたようですね。それはいいが、どうも動きがおかしい。移動速度が速すぎる」
「速いってことは、もしかして死神に追いかけられているんじゃ」
「だとすれば、まずは部屋に逃げ込むはず。立ち止まっている様子がないんです。ずっと動いて――いや、これは……生命力が減ってきている……?」
あたしとタブレーさんは顔を見合わせた。
「列車を停車させて、すぐにマーブルちゃんのところに向かいましょう!」
タブレーさんは頷き、あたしたちは運転室に乗り込んだ。そこには誰の姿もない。色んな計器が自動的に動いているだけだ。
「停車レバーはこれですね」
タブレーさんは二つの座席の間にある取っ手を掴んで、手前に引く。
でも列車は止まらない。
「これだけではないのか。スピードを落とすレバーが他にあるはずです、探しましょう」
あたしはあちこちを見回したけれど、そもそも『レバー』がなにかがよくわからない。さっきの取っ手のようなものを探せばいいのだろうか。
なにげなく座席の下を見た時、銀色の取っ手のようなものが見えた。
「あの、これですか?」
あたしが指を差した先をタブレーさんが見る。
「あれっぽいですね。私が座席に座って、足でレバーを押し込みます。パルテスさんは私の合図に従って、私が先ほど引いたレバーを操作してください」
「わ、わかりました!」
「3、2、1、ゼロ、の『ロ』のタイミングでレバーを引いてください。あ、レバーは固いので、力強く引くこと」
「はい!」
「3、2、1、ゼロ!」
あたしは目一杯の力でレバーを引いた。
ギギギギギギギ!!
重厚な金属音が鼓膜に刺さる。
あたしはいつの間にか閉じていた目を開いた。タブレーさんはすでに座席にはいなかった。
「停車には成功しましたね」
運転室の外からタブレーさんの声が聞こえた。
「え、これ、止まっているんですか?」
「異空間の奇妙な力の流れのせいで車体が微妙に揺れているのでわかりづらいでしょうが、この列車は稼働していません。後は死神のいる車両を切り離すだけですが――」
どがあん!
突如、なにかが激突するような音が響いた。
運転室の外に出ると、車両と車両を繋ぐ扉は破壊されていて、そのすぐ傍らにはマーブルちゃんが通路に倒れていた。
「マーブルちゃん!」
あたしは慌てて駆け寄る。
「はい」
彼女は返事をし、よろめきながらも立ち上がる。その頭から、すっと一筋の血が流れ落ちた。
「ふらふらします」
「もう立たないで!」
両手を差し出して彼女を支えようとした時、あたしははっと息を呑んだ。
「マーブルちゃん、その腕……!」
「はい。かちこちに凍ってしまいました。ひじが曲がりません」
「パルテスさん、マーブルさんを連れて空いた部屋に入ってください!」
タブレーさんが鋭く言い放つ。
ほとんど同時に、鎖の音が聞こえてきた。




