第三十話 三人寄らば
扉の開けたのは、先刻まで寝言のうるさかった小娘だ。
反対側の隣室の住人が止めたにも関わらず、部屋を出てしまったようだ。死神が巡回する通路を見つからないように移動するつもりか。無謀も甚だしい。
また一人消えるな。これで十六人目か。
扉の小窓から小娘が通り過ぎるのを確認した。その特徴を私は手帳に書き記す。真っ先に目につく特徴は虹色の髪だ。年齢は十四から十八といったところか。魔女が好んで着るような黒い服を着用している。そして図鑑のようなサイズの大きい本を抱えていた。
それにしても、死神が通過したばかり通路を恐れなく進んでいる様子を見るに、死神がどういう存在か、ここはどういう場所なのか、なにも知らないと見える。無知とは恐ろしいものだ。
じゃら……じゃら……
鎖の音と冷気。
予想以上に死神の戻りが早い。通路を移動する気配を感じて戻ってきたに違いない。
軽快な足音がこちらに向かってくる。次の瞬間、目の前の扉が開かれた。
「な……」
私は言葉を失った。扉を開けたのは虹髪の小娘ではないか。
「さささ、寒いです。こ、こ、凍りそうです」
死神の冷気にあてられて戻ってきたのか。
「ここはきみの部屋ではない。きみの部屋は隣だ。自分の部屋に戻りなさい」
「毛布を貸してください」
「貸しません。話を聞きなさい。毛布から手を離しなさい」
「毛布を貸してくれたお礼にあなたにもお肉をあげます」
「要りません。毛布から手を……」
私の目は小娘の持つ本に釘付けになった。
魔力こそ感じられないが、この本。なにか異様な気配がする。
「すみません。それはなんの本ですか」
「空白の本です」
「え……」
くうはくの本。くうはく……空白の本!!
「えええぇぇぇ!!」
「わ。びっくりしました」
いやいやいや。待て。落ち着け。冷静に考えなさい。
常識的に考えて、こんな奇天烈な小娘がそんなものを持ち歩いているはずがない。百歩譲って空白の本だとして、それを馬鹿正直に他人に教えるわけがない。
「冗談ですよね。まったく。驚かせないでください。く、空白の本だなんて、そんなもの、あなたが持ち歩いているはずがないでしょう」
「あ。そうでした。人に言ってはいけないんでした」
「ちょ、ちょっと、そういう思わせぶりな発言はしないでいただきたい。それは、その、図鑑かなにかでしょう?」
「図鑑ではありません。それでは失礼します」
「ちょちょ、ちょっと待ちなさい。毛布は貸すから、そこに座りなさい」
私は深呼吸をしながら、運命の本に関する情報を頭で整理した。
すでに決定された歴史が記されている運命の本。新たな歴史が記される日を待つ空白の本。それらは聖なる書架に格納されている。そこまでは三流ゴシップ記事の読者でも周知の事実。
しかし、私は知っている。空白の本は複数冊存在しており、そのすべてが書架に格納されているわけではないということを。異境の地で見つけたという本のようなものを国王に献上した冒険家は、一族末裔に至るまでの財産を約束されたという話もある。
これは確かな筋からの情報だ。もちろんこの事実を知るのは私だけではない。近い未来、必ず訪れる争奪戦に向けて、歴史を覆さんとする者たちは蠢いているのだ。
私がここに潜入したのも、その動向を探るためだ。
当然、空白の本を持つ者に遭遇するなんて超絶イレギュラーは予期していない。そんな都合良く巡り合えるような代物ではないことは重々承知している。しかし……。
「私はお腹がすきました。お肉を食べに行きます」
「お肉なら後でいくらでも食べさせてあげますから。まずは私の言うことを聞いてください。いいですか」
「わかりました」
急激にものわかりが良くなった。この小娘の交渉には食料が有効のようだ。
「その本についてですが」
「すみません。お断りします」
「ちょっと!まだなにも言っていませんよ」
「この本に関することは言えません。サンドラさんもイッチさまも、本のことは誰にも言うなと言っていましたから」
「サンドラ?賢者サンドラですか?」
「はい。お知り合いですか?」
「いやいや、知り合いでなくとも、賢者サンドラの名を知らない者はいないでしょう。賢者の中でもあの方は、その、なにかと有名ですから」
この小娘、賢者サンドラの縁者かなにかか?
いや、小娘からも本からも魔力は感じられない。派手な頭髪以外は平民と変わりないように見受けられる。しかし、なにか匂う。なにか重要な見落としをしている感覚がある。理屈ではない。一流記者としての私の嗅覚が告げている。この小娘にはなにかあると。
「そうそう、まだ名乗っていませんでしたね。私の名前はタブレー・コミヤ。ワンダフルニュース社の一流記者にして一流ルポライター、あるいは一流ジャーナリストです」
私は懐から名刺を取り出し、小娘に手渡した。多少は態度を改めるかと思ったが、私の想定は甘かった。
「なにを言っているのか全然わかりません」
小娘は目をぱちくりさせ、あろうことか名刺を私の胸ポケットに戻した。
「こういうのはね、もらったら自分の懐にしまうものです」
私は小娘の手に名刺を握らせた。これは持っていてもらわないと困る。
「それで、あなたのお名前は」
「マーブルです」
「マーブルさんですか、珍しいお名前ですね」
頭の中でマーブルという名を検索したがヒットしてこない。聞いたことのない名前だ。
「あの、早くお肉を食べさせてください。私はもうお腹がすいて」
「わかりました、では簡潔に。本のことは話さなくていいですから、ただどこで拾ったのかだけ教えてください」
もし本当に空白の本だとしたら、まさか聖なる書架から持ち出せたわけではないだろうし、どこか未開の地で拾ったのだろう。本の存在が推測されている場所にはいくつか心当たりがある。マーブルという小娘がその場所で拾ったというのなら、空白の本であるという主張はぐんと信憑性が増す。
「その質問に答えてくれたら、お肉の場所を教えますから」
「聖なる書架です」
「そうですか、聖なる……え。えええぇぇぇ!?」
「うるさいです」
「すっ、すみません……じゃなくて!ウソでしょう!」
「お肉の場所を教えてください」
「あなた、自分がなにを言っているのかわかっているのですか!そんなこと、ウソだとしても厳罰対象になりますよ」
「もういいです。自分で探します」
絶対ウソだ。持ち出せるはずがない。
そもそも侵入さえ不可能だ。失われた古代魔法をもってなお、あの書架には入れないことは証明されている。大賢者だろうと悪魔の王だろうと侵入は不可能。そういう理だ。侵入できるのは王族の血を引く者と言われているが、あの小娘が王族の人間とは到底思えない。
「はっ……」
私は自分の口に手を当てた。臓腑が飛び出るかと思った。それほど衝撃的な気付き。
あの不自然な国境封鎖。理由の不明確な警備体制。
もしも本が盗み出されたとしたら?
絶対に公表はできない。他国の耳に入れば即刻戦争が始まってしまう。
この小娘、まさか本当に――。
「マーブルさん。死神と出会ったらすぐに逃げてください。絶対に戦おうとしてはいけない」
扉に手をかけていたマーブルが振り返る。
「魂を吸われるとパルテスさんから聞きました」
「その通りです。それは死神と向き合った瞬間から始まりますが、一瞬で魂が吸い尽くされるわけではありません。魂を吸われながらでも、とにかく逃げてください」
「わかりました」
「逃走の際はなるべく明るい場所に出ること。死神は暗い場所を好みますから、暗がりに隠れたらあっという間に見つかると思ってください。それから……」
私は自身の知る限りの情報を開示した。マーブルにはなんとしても生きてもらわねば。この小娘は私の記者人生の中でも重要な意味を持つ人間となり得る。
「ありがとうございます。ところで、気になっていましたが」
マーブルは私の頭を指差した。
「どうして頭の上に輪っかが浮いているのですか。タブレーさんも、パルテスさんも」
「やはり知らなかったのですね。無理もない。ここには時折生身の人間も迷い込んでしまう」
私は車窓を開けた。生暖かい風が流れ込んでくる。
「遠くに紫色の光が見えるでしょう。あそこは黄泉の国です。この列車の最終目的地です」
「よみのくに?」
「死者の国と言い換えてもいい。この列車は死にかけている人間の魂を運んでいるのです。黄泉の国に入国したら死んでしまう」
「私も死ぬのですか」
マーブルの問いに頷いた。実際、死神に魂を取られた者の中には生身の者もいた。
「生きたければ、この列車から脱出しなければなりません」
がちゃり、と急に扉が開いたので身構えた。勢いよく部屋に入ってきたのは、髪の毛を雑に結わえている少女だ。マーブルよりも幼く見える。
「なんですか、あなた」
「パルテスさんです」
私の問いにマーブルが答える。そうか、こいつがマーブルとなにか言い合っていた奴か。
「脱出って言いましたよね。あたしも混ぜて!」




