第二十九話 お肉食べたい
じゃら……じゃら……
鎖同士がこすれ合う音。
扉の隙間から吹き込んでくる強烈な冷気。
それらは死神が徘徊している合図だ。
あたしは慌てて毛布を頭から被った。その必要もないのに、つい息を潜めてしまう。死神が自分で扉を開けることはない。扉の内側にいる限りは安全だけど、外に出てあいつに見つかったら一巻の終わりだ。
この扉を開けて外に逃げようとした人は……っ!
さっき目の当たりにした恐ろしい光景を思い出して、ガタガタと音が出そうなほど全身が震えた。
落ち着け、落ち着け……。
ここは基本的には快適だ。扉の外に出ること以外は不自由がない。希望すればきちんと食事が与えられるし、歌おうと踊ろうと扉の内側は自由だ。部屋の壁には足元に指一本分くらいの隙間があるから、その気になれば隣人とコミュニケーションを取れる。聞かない方がいい話ばっかりで気が滅入るけど。
とにかく、今はじっとしていなくちゃ。脱出のチャンスはまだある。きっと。
「すやすや。すやすや」
まただ。隣の部屋から女の子の変な寝言?が聞こえる。
すやすや寝ている、とか言うけど。寝ている人が言うセリフじゃない。
「イッチさま……お肉食べたいです……」
こんな環境でよく熟睡できるなあと感心していると、
「ふわ」
と棒読みしたような欠伸が聞こえた。
それからしばらくの沈黙。
また寝たのかしらと思ったけど、あのおかしな寝言が聞こえてこない。
「起きてる?」
あたしは壁越しに声をかけた。
「……にく」
「え?なに?」
「お肉の夢を見ました。でも今はお肉がありません。どこにありますか」
この状況でよく寝ぼけていられるなあと呆れつつ、あたしは注文書を壁の隙間に差し込んだ。
「お肉なら注文すれば食べられるよ。それ、注文書。食べたいものを書いてドアポストに入れておけば、作ってきてくれるよ」
「ほほう。とても素敵な仕組みですね」
彼女の声のトーンが少しだけ上がった。あたしは思わず口元が緩んだ。少し変わっているけど悪い子ではなさそうだ。
「あたしの名前はパルテス。あなたの名前は?」
「私はマーブルです。お肉が食べたいです」
「マーブルちゃん……」
「はい。なんでしょう」
「あ、ううん、ごめん。なんか、どこかで聞いたことがある名前だと思って」
「パルテスさんのお名前は初めて聞きました」
「そうだよね、はじめましてだよね」
「それはどうでしょうか」
彼女の言葉の意味を図りかねて、あたしは首を傾げた。でも、マーブルちゃんの方からはそれ以上の言葉はなかった。
しん、と急激に辺りから音が消える。
話題、話題と頭の中を探していると、マーブルちゃんの部屋から物音が聞こえる。それこそなにかを探しているような。
「パルテスさん、なにか書くものを持っていませんか。さっきまでペンを持っていたのに失くしてしまいました」
そう言われて、辺りを見回したけどペンがない。
「ちょっと待ってて」
どこかに転がしちゃったかな。部屋中を探してもどこにもない。
もしかして、なにかの拍子にペンを蹴飛ばして、隣の部屋に入っちゃったのかな。
マーブルちゃんに事情を説明し、そちらの床に落ちていないか確認してもらう。反対側の部屋にも声をかけたが返事がない。
「いいえ。どこにもありません。部屋の外にならあるでしょうか」
「待って!」あたしは反射的に制止した。「扉は開けちゃダメ!」
「なぜですか。私はお肉が食べたいです」
「扉の外に出ていい時間帯は決まっているの。その時になったら自動的に扉が開く。それまでは、ここでじっとしてなきゃダメ。そういうきまりなの」
「きまり、ですか。そのきまりを守らないとどうなるんですか」
「扉の外には死神がいるの。見つかったら魂を吸われちゃう。さっき逃げようとした人も、ぬ、布切れみたいにヘロヘロになっちゃった」
「しにがみ?」
初めて聞いた単語のように繰り返している。死神のことを知らないなんて、まだ小さい子なのかな。自分がどうしてここにいるのかさえわかっていないのかもしれない。
「しにがみはどんな姿をしていますか?しにがみもお肉を食べますか?」
「えっ。わ、わからないよ。怖くって、とても見れない」
「しにがみ……おばあちゃんから聞いたことがあります。あらゆる生物の命を奪う能力を持つそうですね。是非描いてみたいです」
「か、描くって……死神だよ?」
「そうですね、今はできません。ペンがありませんから」
マーブルちゃん、なんでこんなに淡々と話せるんだろう。死神のことを知っているのに描いてみたい、なんて。
なんだか悔しい。私も絵を描くことが好きなのに、そんな発想まったく浮かばなかった。
ふと、ペンをどこに置いたのか思い出した。そして、思いついたことをそのまま言ってしまった。それが私の最大のミスだった。
「そうだ。トレーの上に置いちゃったんだ」
「とれえ?」
「注文した料理はトレーの上に乗せられて届くの。私、さっきご飯を食べた時にトレーの上にペンを置いたまま戻しちゃったんだ」
「そうでしたか」
がちゃり、という音。
扉を開けた音だ!
「マーブルちゃん!ダメだよ!」
「お腹がすきました」
「え?」
「もう限界です。直接お肉を食べてきます。そしてペンを探して、しにがみを描いてみます」
「無理無理!それ全部無理だから!」
「すみません。行ってきます」
「マーブルちゃん!本当に危ないからやめて!マーブルちゃん!」
あたしの制止もむなしく、マーブルちゃんは部屋の外に出て行ってしまった。
マーブルちゃんの無事を願う一方で、胸のもやもやが膨らんでいくのを感じた。
やっぱりどこかで聞いたことあるなあ。マーブルって名前。




