第二十四話 虹を見るために必要なこと
木々の間を縫うように移動する同胞の後を追っていると、遠雷。それが集合の合図だった。
先頭にいる者が応じるように吠えると、さっきよりも更にスピードを上げて移動する。オレは全速力で追いかける。でも、逆にどんどん引き離される。同胞たちはまだ全速力じゃないのに。
必死に走っていると、なにかにつまづいて激しく転がった。地面から突き出ていた石を踏みつけてしまった。それも、足の置き方がまずかったみたいだ。前脚が痛む。
はっと顔を上げた頃には同胞たちの姿は遥か彼方だ。
オレは同胞たちの匂いを辿って歩く。
待っていてくれなんて言わない。どれだけ時間がかかっても必ず追いついてみせる。
オレだって皆と同じ雷神の化身なのだから。
そこでオレは目を覚ました。
どうかしている。昔の夢を見るなんて、老いぼれた獣じゃあるまいし。
「おはようございます」
オハヨウゴザ……?
なんだ?
人間の声がしたぞ。それも自分の頭の上から――。
そこでオレはようやく自分の現状に気付いた。信じられないことに、オレは見知らぬ人間に抱きかかえられていた。
「~~~!?!?!?」
手足をばたつかせながら人間の腕から脱出する。
慌てていたせいで、着地に失敗して地面にあごをぶつけた。なんてことだ!
「あら。大丈夫ですか」
オレにそう挨拶をしたのは人間の女だ。ずいぶん派手な髪の色の――女だって!?
人間の、しかも女が、オレを!?
オレは女に向かって吠えついた。
『一体なんのつもりだ、人間め!オレを捕まえて喰うつもりか!』
しかし、女は目をぱちくりとさせるだけだ。
ああ、そうだった。人間の言葉で喋らないと通じないんだ。
人間の言葉は複雑で嫌いだ、ええと……
「おい、人間!お前――」
「食べれるんですか?」
「え」
「そう言われてみると、屋台村で食べたことのあるフクロネズミと体型が似ていますね。外側はカリッと、中はふわふわしておいしかったです……思い出したら食べたくなってきました」
「オレを見て舌なめずりするな!」
なんなんだ、この人間は!
山大蛇と出会った時以来の悪寒を感じるぞ!
――あれ?
ちょっと待てよ。こいつ、なんでオレが最初に言ったことがわかるんだ?
『お前、オレの言葉がわかるのか?』
獣の言葉で話しかける。
女は振り子のように首を左右にゆっくり傾ける。
「はい。なんとなくわかります。難しい言葉や早口はわかりにくいです」
『な、なんでわかるんだよ!さてはお前、魔女か!髪の色もヘンだし!』
魔女の存在は同胞から聞いていた。賢者と同等の魔力を持ち、獣や悪魔の言語を解する者と。魔女はオレたちのヒゲやしっぽを自分の魔術に利用するから、もしも出会うことがあったら一目散に逃げろと教わっていた。
「ええと、私は魔女ではありません。マーブルです。ちなみに魔女はおばあちゃんです。あと髪の色は私もよくわかりません。でも気に入っています」
『知るかよ!ていうか、魔女のマゴかよ!だったらお前も魔女だろ!』
「孫?ああ、いえいえ。おばあちゃんとは血は繋がっていません」
『じゃあなんでオレの言葉がわかるんだよ』
「たぶん、友だちがいなかったからだと思います」
予想外の言葉に意表を突かれた。
「私はおばあちゃんに拾われるまで周りの動物しか話す相手がいませんでした。いつも私の方ばかり話していたので、動物たちがなにか話していないか耳を澄ませていました。そうしているうちに、なんとなく」
『ふざけるな!人間がなんとなくで獣の言葉がわかるもんか。うさんくさい奴だ。大体お前、なんでオレに触っていたんだよ。人間ごときが気高い雷獣に触るなんてもってのほかだぞ』
「すみません。早口で聞き取れませんでした。もっとゆっくり喋ってください」
『なんでお前に合わせなきゃいけないんだよ!』
まったく、ヘンな人間だ。オレは雷獣なんだぞ。そこらのザコ動物じゃあるまいし、フツウに話しかけてきやがって。
オレはその場を立ち去ろうとして、あることに気付いた。
自分にはもう帰るべき場所がない。
オレたちの縄張りに戻っても意味がない。そこには誰もいない。いなくなってしまった。空から突如現れた黒い手によって。
マーブルという奇妙な女に尋ねた。
『一応質問するけど、オサのヒゲを抜いた人間がどこにいるか、知っているか』
「なんですか?オサ?」
『オレたち雷獣の指導者だ。別格の強さと知恵を持つリーダーのことだ』
「ああ、これのことですか」
マーブルはオレの方に右の手首を向けた。細かく複雑な編み目の入った白黒の組みヒモが巻かれている。
『なんだ、これ……ん!?』
なんのヘンテツもないヒモだと思ったけど、この匂いはとても覚えがある。いや、覚えがあるどころの騒ぎじゃない。オレとほとんど同じ匂いだ。――まさか。
『おい!これもしかしてオサのヒゲか!?』
「そのようですね」
『わけがわからないぞ、ちゃんと説明しろ!どうしてお前がオサのヒゲを持っているんだ?オサのヒゲを抜いた男の仲間なのか?なんで腕に巻いているんだ?』
「すみません。早口で聞き取れませんでした」
『ぐぬぬ……』
落ち着け。焦るな。一つずつ、冷静に聞き出すんだ
『いいか、一つずつ聞くぞ。まず』
「あ、そうでした」
マーブルはオレの言葉を遮って手を叩いた。
「雷獣さんにはお礼を言わなくてはいけません。このヒゲをいただいたおかげで、私は散歩ができています。どうもありがとうございました」
そう言うと、深々と頭を下げた。
『ヒゲのおかげで散歩?どういう意味だ』
「詳しくはわかりませんが、どうも私は色んな人から狙われているようです。この組み紐を身につけているうちは魔力を感知されることがなくなるそうで」
『じゃあ、オサに対抗していた二人の男はお前の仲間なんだな』
「イッチさまとラセンくんのことでしょうか」
『ラセン。そうだ。チビの方はそう呼ばれていたな』
間違いない。この女、本当にあの二人の仲間なんだ。
よし、ついている。ヒゲを抜いた人間たちの行方なんて知りようがないと思っていた矢先に、都合よく仲間が見つかった。
『おい、人間。オレをその二人のところに連れて行け』
「お腹がすいていませんか」
『は?』
「なんだか雨も降りそうですし、一旦どこかで雨宿りしましょう」
『おい、目の焦点が合っていないぞ。身体もなんかフラフラしてるし。お腹がすいているのはお前の方だろう。メシなんか後にしろよ』
「すみません。聞き取れませんでした」
これで三度目だ。
こいつ、オレを怒らせようとしてわざとこんなことを言っているのか?
一瞬そう疑ったけど、違う気がする。こいつはそんなに頭がいい感じがしない。
「……わかったよ、人間の言葉で話してやるよ」
「ありがとうございます。さて、そうと決まれば早速行きましょう」
いつの間になにがどう決まったのか、まるでわからないままオレはマーブルの後についていった。
歩き出してまもなく、本当に雨が降り出してきた。それもかなり勢いが激しい。
「このお店にしましょう」
マーブルは店に入るやいなや、身体を素早く左右に振って水滴を飛ばした。動物みたいな奴だ。
店の中は地面から天井まで至る所に花飾りの絵が描かれている。
いかにも人間が作った不自然な空間だ。
「おい、メシを喰ったらさっさと出るぞ」
オレはマーブルにそう耳打ちしたが、マーブルは「いいえ」と答えた。
「雨が止むまで少しゆっくりしましょう」
「なに言っているんだ、そんなに待ってられるか!」
「大丈夫、通り雨ですから。そんなに時間はかかりませんよ。たぶん」
「たぶんじゃ困るんだ。大体オレが店に入っちゃまずいだろ。あれだけ花を食い荒らしてきた害獣だぞオレは」
あれを、とマーブルが店の貼り紙を指差した。
『魔獣でも歓迎!』と書いてある。
「どんな店だよ!」
「それにイッチさまもラセンくんもまだ寝ていますよ。お二人ともかなりの怪我でしたから。サンドラさんの回復魔法でも少し時間がかかるようです」
そういえばそうか。あの二人ももちろん無傷では済まなかったはずだ。オサとの攻防、根との対峙。むしろ命が残っているのが不思議なほどの激戦だった。
「そんなに焦らなくても大丈夫です」
マーブルは料理の写真に釘付けになりながら、ぽつりと言った。
「こういう時間は、きれいな虹を見るためにあると思ってください」
ざーっ、と外の雨の勢いが強くなる。窓が風で揺れている。
「よし。私の注文は決まりました。えっと、雷獣さんは……」
「デン」
「はい?」
「オレの名前だよ。オレは雷獣デンだ」




