第十九話 地の脈動
マーブルは退屈していた。
全身がすっぽり入っている円の結界の中で仰向けに寝転がり、ハンモックのように前後に揺れる遊びにはもう飽きた。一刻も早くこの球体から抜け出し花壇のスケッチをしたかったが、サンドラのお許しは出なかった。
「ごめんなぁ、マーブルちゃん。今は辛抱してくれ」
サンドラはカーテンの隙間から外の様子を窺っていた。その表情は彼らしからぬ緊迫感に満ちていた。空気を読めないことに定評のあるマーブルでさえも気軽に声をかけられないほどだった。
「この本を狙う敵が来ているのですか」
マーブルはサンドラの側まで転がった。
サンドラはそっと人差し指を自分の口に当てた。声を出すな、ということらしい。
マーブルも同じ仕草をすると、サンドラはかすかに頬を緩めた。
「お察しの通り……マーブルちゃんは声、出さんといてな。結界にいるうちは大丈夫やと思うが、万が一にも感づかれたくない」
ひそひそと話すサンドラは、人差し指を口に当てながら、もう片方の手でカーテンを指差した。
その隙間から、巨大ななにかが通り過ぎるのをマーブルは見た。
「早くしいや、ガキども。雷獣なんかに時間をかけている場合じゃないで……」
かすかに汗を滲ませるサンドラに、マーブルは小さな声で尋ねる。
「イッチさまは大丈夫でしょうか。ラセンはちゃんと助っ人になってくれるのでしょうか」
「あいつらのことはなんも心配いらんよ」
サンドラはマーブルを包んでいる結界にそっと手を置いた。
「ちびっこくなっても羅漢族や。取引は守るし、ちゃあんと役に立つ。イッチとかゆう小僧も、まあ大丈夫やろ。それよりも問題はこっちや。そやろ、村長さん」
モコモ村長は両手で口を押えたまま身体を震わせていた。村長もまた、マーブルと同じく巨大ななにを目撃していた。
「な、なん、な……なんなんですか、あれは……」
「吸魔生物の一種や。おそらくな」
「なんですか?キュウマ?」
「あいつらが接近しているのはわかっとった。魔力の性質を探ろうとしたら、逆にこっちの位置を探知された。その時にちょいと魔力をもっていかれた。わざわざ魔力を消してこの宿屋に移動してきたのはそのためや」
「ええっ?賢者様の魔力を?」
しっ、とサンドラは人差し指を再び口に当てた。モコモ村長は慌てて口を押える。
「もっていかれたゆうても、ほんの上っ面や。しかし、そんなことができる妖魔はここ数十年見かけてない。というより、そんな奴がこの界隈に生息しとるとは思えん。ワシから魔力をとるなんざ、性悪な魔女くらいしかできんからな。天然ものやない。十中八九、城の連中のペットとみて間違いないやろな」
「城といいますと、ラットウィッジ王が?」
「ありゃただのアホや。問題はその取り巻き……っと、今はいいか。気になるのは、その吸魔どもの向かっとる先や。さっきまでこの辺ぐるぐる徘徊しとったのが、こぞって花壇の方に行ったな」
「雷獣たちの魔力を狙っているのでは?」
「違う。雷獣は電気系統のエネルギーを扱うが、魔力量は決して多くない。一般的なレベルの魔法使いと遜色ない量や。そんなもんのためにあれだけの軍勢が食いに行くとは思えん。何か別の狙いがあるんや。そこで一つ尋ねたい」
サンドラは口元にずっと立てていた人差し指を床に向けた。
「あの花壇にはなにを植えたのか、教えてくれ」
ちっ、と鋭い舌打ちが飛んでくる。
「話を聞いていなかったのか。邪魔だと言ったんだ」
俺はハンマーを振りながら答える。
「いくらお前でも多勢に無勢だ」
「余計な手出しをするな。これしきのこと、なんら問題ない」
「こいつらの攻撃を喰らうと痺れて動けなくなる。人手は来た方がいいだろ」
ぶおん、と勢いよく振るったハンマーは、標的にかすりもしない。雷獣は軽やかなフットワークで俺の一打を難なくかわす。
「そりゃ避けるよな」
相対した雷獣とは別の雷獣が、俺の斜め後方から飛びかかってくる。俺は慌ててその場に突っ伏すると、なんとか攻撃は回避できた。すぐに体勢を立て直すと、息継ぐ間もなくさらに別の雷獣が襲い掛かってきた。
「グルルゥウオオ!!」
俺は野球のボールを打つようにハンマーを横一文字に振った。たまたまタイミングが合ったのは、その打撃はうまく雷獣の鼻先を捉えた。両手に重い感触を味わうと同時に、雷獣は短い悲鳴を挙げると吹っ飛んでいく。
「――よし!どうだ!」
ガッツポーズの間もなく、これまた別の雷獣が怒ったような声を上げて鋭く接近してくる。
噛みつきではなく、爪による襲撃だ。
ハンマーを長く持ち、柄の部分で爪撃を受ける。
見える。見えるぞ!
落ち着いて、冷静に構えれば、普通の攻撃は捉えられる。
問題は――。
バチバチバチッ!
雷獣の体毛が青白く変化し、無数のスパークが全身を包む。
これだ!雷を纏った時の動きだ!
これが――
「速っ!」
繰り出される攻撃を受け切ろうとしたが、やはり見えない。
ハンマーで受けたつもりが、頬や肩、脇腹など爪撃を喰らってしまった。
「いででで……んなろっ!」
雷獣の体毛の色が戻った瞬間、俺はハンマーを横に振り、雷獣の身体にヒットさせた。
「え?当たった!」
当てておきながら、自分でびっくりした。なんで当たった?
ここで、一つ仮説を立ててみた。
雷モード(仮称)の時の攻撃は見えないし完全には防げない。
でも、雷モードの持続は数秒間だけなんじゃないか?
何分も保つなら、最初からそのモードで攻撃してくればいい。
つまりあれは必殺技みたいなもので、発動直後、つまりこちらが攻撃に耐えた後の一瞬、雷獣は無防備になる。そういうことなんじゃないか。
きっとそうだ。でなければ、あんな大振りは絶対当たってくれないだろう。
羅閃は気づいただろうか。気づいていそうだけど、一応教えておいてやろう。
「羅閃!どこだ?おい、聞こえるか?こいつら、雷みたいになるのは一瞬だけだ!その後、隙だらけになるぞっ!」
叫んだ直後、再びスパーク音が響く。
最初に打撃を当てた雷獣が、雷を纏って立ち上がった。その姿はまるっきり熊だ。
「ゴグルルルルル……ゴバァッ!」
地獄の底から響くような唸り声を上げたかと思うと、口から眩い光を吐き出した!
「うおわっ!!」
反射的に突っ伏し、なんとか回避した。この勢いよく地面に倒れる避け方、回避率高いな。
先ほどまで立っていた場所に大穴が空いた。
雷を吐き出したのか?無茶苦茶だ!当たったら一発で死だろ!
雷獣の体毛の色が褪せていく。
俺はすぐに駆け寄り、ハンマーを振るう。その打撃は完璧に顎を捉えた。雷獣は仰向けに倒れる。
「よし!よし!」
この調子だ――。
そう思った矢先、足元が大きく揺れた。
「なんだ?」
地震じゃない。生物じみたリズムがあった。まるでそう、鼓動のような……。
地面に視線を向けていると、すぐ目の前に雷獣が接近してきた。
「うぉっ!」
慌ててハンマーを振るが、雷獣は素早く飛び上がり、俺の打撃は空を切った。
ダメだ、今は目の前のこいつらに集中しないと――。
視界の端に、閃光が見えた。雷か。
瞬間、天が裂けるような轟音が鳴り響いた。思わず身体をすくめる。
「なんだ、今のバカでかい落雷は――」
俺は自分の目を疑った。
最初に飛び込んできたのは、羅閃だ。重力を無視しているかのような身のこなしで、降り注ぐ雷を避けているように見える。
そして、その雷を落としているのは……全身に大きな雷を纏ったボス雷獣だ。まるで生きている太陽のようだ。感覚でわかる、あれは少し触れただけでも溶けて死ぬほどの電熱だ!
羅閃がアクロバティックな動きで雷を避けながら、こちらへ近付いてきた。
着地の際、少しよろめいた。息切れも激しく、明らかに余裕がない様子だ。
「体力が保たん。この身体は想定以上にハンディが大きい」
「そりゃそうだろ――っと!」
再び襲い来る雷獣に、カウンターの打撃を当てた。
「貴様は武器を持つと別人格が目覚めるのか?」
「はぁ?なんだその恥ずかしい設定は」
「まぁいい。今は貴様でもいないよりはマシだ。力を貸せ。今の俺では火力が足りん」
素直に助けてって言えばいいのに、と思った時だった。
先ほどの薄気味悪い鼓動が、再び足元で脈打った。
「ら、羅閃、今のって……」
黙れ、と羅閃は短く言った。その表情は青ざめている。
「なんだ。この異様な気は……」
羅閃が呟くのと同時に、ボス雷獣が雄叫びを上げた。
その時だった。
雷が穿った大穴から、無数の悪意が噴出した。




