第十八話 再起
寝室を出ると狂った光景が広がっていた。
「あ。おはようございます」
虹髪の女が車輪の如く回転しながら挨拶をしてきた。
「なにをしている」
「回っています」
「見ればわかる。なんのためにそんなことをしているのかと聞いている」
「特に理由はありません。この中だと回るくらいしかやることがありません。退屈です」
女の周囲には結界が張られている。強力な結界だ。間近で女の姿を視認しているにも関わらず、存在感が希薄で気配が感じられない。
奥のソファーに浅く座っている男に興味本位で尋ねた。
「その結界は貴様が施したものか」
男は、ほう、と偉そうな感嘆の念を漏らした。
「よくわかったな。羅漢族は魔力操作が不得手やと聞いとったが、魔力感知はちゃんとできとるな。感心、感心」
「なぜ俺が羅漢族だと知っている」
「そんなん簡単や。ワシは賢者やで?この世界で生じる気ィの種類くらい知り尽くしとるわ」
俺の身体に染みついている龍気の残滓を感知したということか。
「聞きたいことが山程ある」
ここはどこなのか。
なぜ俺は生きているのか。
なぜ賢者がここにいるのか。ついでにそこの虹髪もなぜいるのか。虹髪がいるのなら犬房もここにいるのか。
そして、この近辺に漂っている妖気の正体はなにか。
それらの疑問を口にする前にもっとも重要なことを尋ねた。
「俺はどうすれば力を取り戻せるのか。賢者のあんたなら知っているんじゃないのか。教えてくれ。俺には力が必要なんだ」
賢者は立ち上がると、親指を立てて奥の広間を示した。その方向からは料理の匂いがする。
「まあ、まずは食え。そして、食ったら動いてくれ。あいつ一人でも充分やと思ったが、どうも嫌な感じがする」
「なんの話だ。あいつとは誰のことだ」
「決まっとる。イッチのことや」
目の前の景色はひどく歪んでいた。
目は開いているのに、周りの景色を正確に捉えられない。物体の輪郭がぐちゃぐちゃで、色彩も混じり合っている。
自分の身体が仰向けのまま回転しているような気さえした。
なにがどうなった?
ひげに触れようとした瞬間、いや触れたと思った瞬間、電撃が走った。比喩表現ではなく文字通りの電撃だ。身体の内側を荊の鞭が走ったかのような衝撃を感じた。
立てない。痺れ、などという生易しい症状ではない。
全身の骨がバラバラになっているんじゃないか――?
俺は愕然として雷獣を見上げていた。虎よりも大きな未知の獣は、花を貪っていた。
モコモ村長の誇らしげな顔が浮かんだ。
「やめろ……」
かろうじて声が出た。まだ立てない。
誰が、その花を食べていいなんて言ったんだ。
くそっ、立て……立ち上がれ!
地面に置いた手に渾身の力を込めようとするが、力がうまく入らない。がくがくと腕が震える。
ダメだ。こんな状態で立ち上がったって、またやられるだけだ。
武器が必要だ。ハンマー、取らなきゃ……。どこにいった……。
どうにか四つん這いの姿勢になった。
なんとか、ハンマーを取りに――そう思った時だった。
「ぶ!」
鼻先に何かが当たった。その衝撃で俺は吹っ飛ばされて、ごろごろと地面を転がった。
殴られたのか?
鼻を触るまでもなく、ぼたぼたと鼻から血が滴っていた。
「グルアアアアッ!」
一頭の雷獣が俺に飛びかかってきた。
やけにスローな動きに見えた。全力を出すまでもないってことだ。連中にとって俺は、それだけ容易い生物なのだ。
俺はとっさに両手を前でクロスし、目や首を隠した。その直後に、両腕への激しい衝撃と共に、俺の身体は後方へ吹っ飛んだ。
「ぐっ!」
痺れは感じない。電流は流されていないということか。つまり本気の一撃じゃない。それでこの威力だ。
「――うっ、わっ!」
なにかが飛んでくる気配を感じ、とっさに屈んだ。
別の雷獣だ。危なかった。避けていなければ、頭に致命傷を喰らっていた。
しかし、完璧に見えていたわけじゃない。ほとんど勘で、屈んだだけだ。二匹以上、同時にかかって来られたら、避けられない。武器もないからガードも反撃もできない。
くそっ、ハンマーどこだよ!
雷獣たちは、唸り声と共に体勢を低くする。臨戦態勢か。
ボスの方に視線を向ける。
どうせ逃げたって追いつかれるんだ。そして、もう二度とボスに近付くチャンスはなくなる。だったらもういっそのことボスの懐に飛び込んだ方がいいんじゃないか。
いや、いやいや、冷静になれ。飛び込めたところで、ひげを抜き取ったところで、その後はどうする?生きて帰れるのか?
神隠しなんてしている状況じゃない。マーブルたちを置いていけない。
一瞬の光と、轟音。
雷がボスに直撃した。いや、雷を呼んだのか?
ボス雷獣の全身にスパークが走っている。赤い眼は異様な輝きを放ち、青白い体毛はとげとげしく逆立っている。明らかにパワーアップしている様子だ。まるで雷神。
俺は身動きが取れなかった。
ダメだ。今度こそ本当にどうしようもない。
何かが光った。すると、視界からボスは消え失せていた。
そう認識した瞬間には、俺は仰向けに倒れていた。
意識はあった。
逆に、それが地獄だった。
「はっ、はっ、はあっ、はっ、はっ……」
呼吸が苦しい。全身が熱い。
熱い熱い熱い熱い熱い……。燃えるようだ。
震える手を顔の前に上げると、血でべったりしていた。
やられた。
ボスがやったのか。
「ガオ」
短い吠え声。
それがボスから手下たちへの合図だったらしい。
曇天だけだった視界を、何頭とも雷獣が塞ぐ。
……終わった。
そう思った瞬間、今度は雷獣たちが吹っ飛んでいった。
「こんな連中に何を手間取っている?」
少年の声。
胸倉を掴まれ、無理やり身体を起こされる。
「食後の運動にはちょうど良いかもな」
少年姿のシバ・羅閃が立っていた。
「らせん……?どうして……」
「お前は引っ込んでいろ。この薄汚い獣どもは俺が片付ける」
俺の問いは華麗にスルーされ、あまつさえそのまま投げ飛ばされた。
「いってぇな!なにすんだよ!」
羅閃を睨みつけようとすると、探しものがそこに落ちていたことに気付いた。
「得物のないお前など取るに足らんが、それがあれば多少マシになるだろう。少なくともこの戦場から逃げられる程度にはな」
その憎たらしい台詞を聞いて、羅閃の意図を理解した。俺よりも先に見つけてくれていたのか。それで俺をこの場所に投げ飛ばした、と。なるほど、なるほど。もっと丁寧なやり方があった気がしてならないけど、今は素直に感謝しよう。
「なんか背が縮んだ分だけ憎たらしくなったな。ていうか、逃げないから」
「あ?」
「あ、間違えた。ごめんなさい」
「なんだその棒読みは」
「サンキュー。マジで助かったよ」
俺はハンマーを掴んだ。




