第十六話 賢者の無茶振り
西洋風の家屋が並ぶ通路を何度か曲がった先に、古めかしい酒場があった。酒場とすぐにわかったのは、店先に大きな樽が積んであったからだ。加えて、マーブルが鼻をつまみながら、ここは酒浸りになる場所だと教えてくれた。……酒浸りってなんだ?
「この悪臭を放っているボロ屋の中に村長がいます」
マーブルは鼻をつまんでいるせいでダミ声だ。しかも早口。
「お酒の匂いが苦手なの?」
マーブルにそう尋ねて、店の入口まで近付く。確かにかなりの酒臭さだ。
「いいえ、苦手ではありません。私はここで待っています」
マーブルはそう言うと、少し離れたところにあるベンチに腰を下ろした。
「大丈夫?そんなにきついなら宿屋に戻った方がいいよ」
「いいえ。私は大丈夫です。おばあちゃんの言いつけを守ります」
「言いつけ?」
「おばあちゃんは『お前は絶対に酒を飲むな、いや酒の匂いを嗅ぐことも酒に近付くことも禁止だ』と言いました。だから鼻をつまんで離れました。私はここで待っていますのでイッチさまは中に入って村長を連れ出してくださいお願いします」
すごい早口でまくしたててくる。かわいい。
しかし、そこまで酒を警戒するように教えているとは、なにかきっかけでもあったんだろうか。実はマーブルは酒に弱くて、匂いを嗅いだだけで酔っぱらって大暴れしたことがあるとか。
想像を膨らませながら酒場のドアを開けた時だった。
びたん、と顔に何かが貼り付いた。
「――ぁぁあああっちぃぃいい!!」
衝撃よりもその凄まじい熱さに俺は飛び上がり転がり回った。
「どうしたのですか」
マーブルがダミ声のまま近付いてきた。
「あ、すみません。これ以上は近付けませんのでここから話します。大丈夫ですか」
「大丈夫じゃありません!いろいろ、もう、なっ、なにがなんだか」
俺は顔についた何かを両手で払い落とす。
「これは……?お、お好み焼き……?」
そうとしか思えない見慣れた具材が地面に散らばっている。
「おうおうおうおう!」
威勢の良いがなり声が近付いてくる。
「やってくれたなあ、あんちゃん。店に入るなりワシのランチを無茶苦茶にしよってからに」
「……は、はひ?」
「『は、はひ?』じゃねえよ!おう、どう落とし前つけるんだい、あんちゃん!」
ようやく視界が開けた俺の目の前に立っていたのは、黒と金のストライプという虎柄の見本のような着物を着た男だった。年齢は五十代くらいだろうか。酒のせいか、顔面が真っ赤だ。グレーの髪の毛は乱暴に結わえられており、不格好なちょんまげのようになっていた。
「何をぼけっとしてやがる!立ちやがれ!」
「は、は、はいっ!」
こんなに機敏に動けるのか、と自分でも驚くほどの速度で立ち上がった。
「んで?いくらもってんだい、あんちゃん」
「あの、あれ、えーと?な、何か弁償するみたいになってません?」
「そりゃそうだ。ワシのランチを台無しにした分、1000ドロー!きちっと払ってもらおうか!」
「1000!?そんな!俺はただ店のドアを開けただけで――」
「今日はなあ、ワシの貸し切りだったのよ。それをお前がいきなり入ってきたもんだから、てっきり借金取りが追いかけてきたかと思って、ワシの混ぜ物をすっ飛ばしちまったんだよ!そら、誰が悪いのか一目瞭然だろうが!」
「そ、そんなの無茶苦茶だ!」
こんな世界に来てまでカツアゲに遭うとは。これじゃあ現実と変わらないじゃないか。
ていうか二度目だな。この展開。
「おらおら、どうすんだぁ?」
胸ぐらを掴まれる。
そもそも俺はなにをしに来たんだっけ?賢者に会いに来たんじゃなかったっけ。なんでこんなことになってんだ。
この虎柄男が賢者?賢い者と書いて、賢者?ヤクザにしか見えん。
「大人しく1000ドロー払うか、ワシの実験材りょ……」
急に言葉を切った虎柄男は、俺の背後に視線を奪われて固まっていた。
振り返ると、マーブルが首を傾げて立っていた。まだ鼻をつまんでいる。
「なにをしているのですか?村長」
「マ。マ。ママ、マーブルちゃん!?ななな、なんでここに?」
「いろいろありまして。それよりもイッチさまになにをしているのですか?」
「あ、いやな、このあんちゃんがワシのメシを……ん?イッチさま?さまってなんや。え?マーブルちゃん、このガキと知り合いなんか?」
さっきまでの虎のような威勢はどこへやら、猫なで声を出して媚びへつらっている。明らかにマーブルの顔色を窺っているが、一体二人はどんな関係なのだろう。
ていうか、さっき『実験材料』って言いかけた気がしてならないんだけど。
考えないことにしよう。そしていい加減手を放してくれないかな。
「イッチさまが苦しそうです。放してください」
「あわわ」と虎柄男はおどけながら俺の襟元を正した。
「ごめんな、あんちゃん。しかし人が悪いわあ~。マーブルちゃんと知り合いなら最初にそう言っといてもらわんと」
「まったく言う隙がなかったんですけど!」
俺は自分で襟元を正しながら文句を言ったが、虎柄男はまったく聞いちゃいない。
「そ、それでマーブルちゃん。このあんちゃんとはどういったお知り合いで?」
「イッチさまは神隠しの能力を持つ放浪人です。私はイッチさまの能力のおかげで聖なる書架に侵入し、空白の本を手にすることができました。でもイッチさまは能力を駆使できず困っています。神隠しの能力について知っていることを話してください」
マーブルが理路整然とことの経緯を説明した……って、ちょっと待て!
「マーブル!本のことは内緒に――」
「あ。本のことは内緒です。誰にも言わないでください」
「なんていった」
低く、感情のない声を発したのは虎柄男だ。
「聖なる書架?空白の本やと?ま、まさか、その本が!」
その時だった。
ファンファンファンファン……
大音声のサイレンが響いた。
「皆さん!ただちに家の中に避難してください!」
この声はモコモ村長だ。どこかから放送しているのか?
「雷獣が出ました!繰り返します!雷獣が出ました!現在外に出ている方はただちに家の中に避難してください!」
アナウンスが終わるや否や、空が一瞬光った。
それが合図であるかのように、すぐにゴロゴロゴロ……と重低音が鳴り響く。
雲一つなかった青空は、いつの間にか曇天になっていた。
「ちっ、またかいな」
虎柄男改め賢者サンドラは、苦々しい表情で空を見上げて呟いた。
「待てよ、雷獣か……それも悪くないな。しかしワシが取るとなれば……」
賢者は顎のひげを撫でながら、何やらぶつぶつ呟いている。
イッチさま、とマーブルが声をかけてきた。
「ライジュウとはなんですか」
「わからないけど、雷の獣かな?なんか急に雷雲が出て来たし……」
「マーブルちゃん、ちょいとごめんなあ」
俺とマーブルの間にサンドラが割って入ってきた。サンドラはマーブルの頭を撫でるような仕草をすると、マーブルの全身が淡い光の球体に包まれた。
「防護壁を張った。ひとまずこれで魔力を感知されることはない。おっと、迂闊に触れるなよ。火傷じゃ済まんで」
俺は前に出していた手を慌てて引っ込めた。
「私の方は特に影響なさそうです」
マーブルは球体から手を出したり引っ込めたりしている。
「マーブルちゃんは自由に出入りできるようにしとかんと窮屈やからな。さて、小僧。お前に頼みがある。雷獣のボスのヒゲを抜いて持ってこい」
唐突な申し入れに俺はただ目を丸くした。
「時間がない。簡単に説明するで。マーブルちゃんの持つ空白の本は世界中のワルが狙っている代物や。魔力の制御が完璧でないうちは本を使うべきやない。防護壁にいる間は誰にも感知できんが、いつまでもこのままってわけにはいかん。ここまではいいな」
「は、はい」
正直展開の早さについていけない感はあるが、のんきに質問している余裕はなさそうだ。
「魔力を封じるためのアイテムを作る必要がある。それには魔力を蓄える性質を持つ材料が必須や。そこで都合よく雷獣が現れてくれた。あいつらのヒゲは魔力を蓄える性質があるからな、まさにうってつけの素材や。しかし事情があってな、今のこの状況下ではワシは戦えん。当然マーブルちゃんもNGや。頼りないがお前がやるしかないんや」
「えっと、うーんと……」
話の内容を必死に整理する。
なんとなく話の筋はわかったけど、肝心な部分は説明されていない。
「あ、あのっ、どうやってヒゲを取ってくればいいんですか?」
「あん?なにアホなこと言っとるんや。引っこ抜くんや、簡単やろ」
「いや、だから、どうやって引っこ抜くんですか?雷獣って、そんな大人しい生き物なんですか?」
「アホ言え。そんな生き物なら警報の意味がないやろ。実力は個体差でピンキリだが、群れのボスなら一秒あれば四、五人は造作もなく殺す」
さーっ、と血の気が引くのがわかった。
「絶対無理!俺、魔法とか使えないんですよ?」
「そんなもん、ドアを開ける前からわかっとる。お前の魔法の才能はゼロだ」
「ど、どうしろってんですか?そんな化け物相手に俺一人で」
賢者サンドラは不思議そうな表情で顎を撫でた。
「別にどうってことはないだろ。ほら、なんて言っている間に――」
バリバリバリバリィッ
雷が落ちた時のような激しい轟音。
しかし、さっきのような光はなかった。雷が落ちたわけではなさそうだ。
「ありゃ~……ふぁ、ボスの鳴き声だ」
サンドラが欠伸をしながら言った。
「な!鳴き声?あれが!?」
まるっきり雷みたいな音だったぞ。どんな生物だ!
「十五、六匹か。思ったより数は少ねえな」
「いや充分多いでしょ!っていうか、そんなことまでわかるんですか」
「サンドラさん。私は雷獣を見てみたいです」
マーブルが球体の中でくるくる回転しながら言った。
「はいよ、お安い御用や」
パッ、となにもないところから水晶玉が出てきた。サンドラはそれを右手で受け取り、宙に放った。すると、水晶体がプロジェクターのように映像を映し出した。
賢者らしからぬ態度だけど、言っていることもやっていることも人間離れしている。ヤオさんと同等か、それ以上の実力を秘めた男。
この人が探し求めていた賢者……もう少し話しやすい人が良かったけど、この際文句は言ってられないか。
「わ」と、声を出したのはマーブルだ。
「ういいぃっ」と、呻き声を上げたのは俺だ。
そいつを一言で表現するなら、虎だ。ただし、柄は逆だ。黒い体毛に黄色の縦縞。眼は血のように赤く、牙はサーベルタイガーのように鋭く突き出ている。全身の毛は逆立っているように見え、バチバチとスパーク音を立てている。
シンプルに化け物!怖え!
こんなのが十五匹もいるの?絶対無理だろ!
「ほら、ヒゲ。左右に四本ずつ生えとるだろ?」
サンドラが割り箸で雷獣のヒゲを示す。確かに、アンテナのような太いヒゲが確認できる。
「やっぱ太さはボスの方がいいわ。一本抜いてこい」
「いやいやいやいや……」
俺は手刀を左右に振る。なにを簡単に言ってくれるんだ。
「爪や牙には気をつけろ。当たったら高電流を流される」
「いやいやいやいや!」
「こいつらは落雷と同じスピードで動くから、それ以上の速さで動け」
「いやいやいやいや!!」
手首が取れんばかりの勢いで手刀を左右に振る。
「さあ行ってこい、イッチくん」
「頑張ってください、イッチさま」
「もう!話聞かない人ばっかり!」
俺は両手で頭を抱えた。
「ちょっと本当に待って!あの、無理ですよ。俺はただの人間です。一瞬で殺されますよ」
「なに言っとるんや、さっきから。お前がただの人間なはずがないやろ」
「え……」
どういう意味かと詰め寄ろうとした時、サンドラはこちらになにかを放り投げた。
俺は慌ててそれをキャッチする。
「武器くらいは用意してやるよ」
「な、なんですか、これ」
それは懐中電灯の持ち手の部分に似ていた。しかし肝心のライトの部分はなく、いわば刀剣の柄のようなパーツだった。
「そいつを両手で握れ。力一杯な」
「こ、こうですか」
言われるがまま、ぎゅっと握りしめる。すると、柄の先端から何かが飛び出した。
「ハ、ハンマー?」
柄がハンマーになった。それ以外に言いようがない現象だ。ほんの数秒前まではなにもなかった部分が如意棒のように伸び、先端は左右に広がり、太くなり、鉄のような色に染め上がった。
「そういう武器で戦ってきたんだろ?さぁ、今度こそ行ってこい、イッチ」
「今度こそ頑張ってください、イッチさま」
「初めておつかいに行く子みたいな扱いしないでください!」




