第十五話 花の香りと死の匂い
その丘には、色も大きさもてんでバラバラの色んな種類の花が咲いている。
これらの花が現実世界でも咲いているのか、それともこの世界特有のものなのか、バラとかヒマワリとか幼稚園児でも答えられそうな花しか知らない俺には判別がつかない。
丘には柔らかい風が吹き、色とりどりの花がそよぐ。何羽もの白い蝶が風のメロディに誘われたように舞う。スマホが壊れていなければ何枚か写真を撮っているところだ。
ポケットからスマホを取り出し、電源ボタンを長押しする。が、反応がない。最初は電源切れかと思ったけど、どうやら故障らしい。携帯用のバッテリーで充電はできるのに電源が入らない。最後に画面を見たのはいつだっけな。ヤオさんの家で寝る前だったか。
あれだけの無茶をしてきたんだ、そりゃ壊れるわな。
「どうでしょうか。これがヴィラ村自慢の丘花壇です」
モコモ村長はわたあめのような頭を揺らしながら自慢気に両手を左右に広げた。白く、ふわふわした体毛が頭の先からあごの下まで包んでいる。まるで羊をそのまま人間にしたかのようだ。薄い黄色のシャツに水色のサロペットジーンズはどちらも土で汚れていて、村長というよりも農作業をしている人といった雰囲気だ。
「いやあ、すごいですね」
自分の語彙力のなさが恥ずかしくなった。
「ええ、ええ、そうでしょうとも!」
そんなことはお構いなしといった様子で村長はずいと前に出た。
「ここに咲き誇る花の種類は実に四千種を超えています」
「四千!?そんなに?」
俺のリアクションに村長は満足そうに頷く。
「この丘花壇は今でこそヴィラ村随一の名スポットですが、実は二十年前まではただの荒れ地だったのです」
「えっ、そうだったんですか?」
「はい。私はその頃旅商人をしていたのですが、旅の途中で大層珍しい花の種を入手しましてね。故郷に持ち帰り、ダメもとで植えてみたのですよ。すると、しばらくしてから芽が出ましてね」
「へええ。花には詳しくないけど、芽が出ておしまいじゃあないんですよね。そこから手入れとか、大変だったんじゃないですか」
「ええ、ええ、そりゃあもう。何しろこの広さでしょう、雨風に晒されてダメになってしまう芽もありましたし、虫に食べられてしまったり……。それに、後で説明しますが、花を食べる害獣もいましてね。ここまで花が育ち切ったのはほんの五年前なんです」
えー、と俺は声を上げた。
「じゃあここまで花を育てるのに十五年もかかったってことですか?」
俺の素の反応に村長は感心そうに頷いた。
「イッチさん、あなた先ほどからリアクションが実に良いですね!こちらも説明しがいがあるというものです。ノ~ッホッホッホッ!」
すっかり上機嫌になった村長は、その後もうきうきしながら村を案内してくれた。地に足がついていないかのような軽やかな足取りだった。
一通り村長の案内を受けた後、俺は用意してもらった宿屋に戻り、ふかふかのベッドに寝転んだ。マーブルはまだ戻ってきていない。
宿屋の主人の話では、俺より先に目覚めたマーブルは、村中を探検してくると言ってスケッチブック片手に出て行ったらしい。もちろん、マーブルはスケッチブックなんて持っていない。空白の本だ。
俺は慌ててマーブルを探しに行ったが、どこにもいない。そんなところを村長に見つかり、狼狽を誤魔化すため村の見学をしていると言ったら、モコモ村長によるヴィラ村ツアーが始まったというわけだ。
スマホが壊れた今、正確な時刻がまったく分からなくなったけど、空の具合からして夕方の時間帯だろうか。もう少し暗くなって夕食の時間になったら、マーブルもお腹を空かして戻ってくるだろう。そう思うことにした。
なんだかひどい倦怠感だ。俺はベッドの上で仰向けになった。
羅閃と天羅、二人の羅漢族から急襲を受けて丸二日が経った。
羅閃の目的ははっきりしている。王の差し金だ。考えるまでもなく空白の本の件だろう。俺の命を狙い、プリエルを拉致しようとした。
天羅はといえば、何をしに来たのか、冷静に思い返してもいまいちわからない。羅閃を殺そうと思えば簡単にできたはずだけど、天羅は明らかに加減していた。もっとも、最後の一撃だけはまともに喰らえば間違いなく死んでいただろうけど……。
最大の疑問はそこだ。俺たちはどうやって助かったんだ?
ベッドから身体を起こし、あの瀬戸際の記憶を辿る。
俺たちを助けてくれた村人の話では、林道に三人仲良く倒れていたという。俺がおぼろげな意識で確認できたのは、周囲が焦土と化した光景だ。それは間違いなく、あの巨大な翼竜の放った光球によるものだろう。そこに俺たちが倒れていたということは、つまり神隠しは発動しなかった。
だとしたら、あの竜の破壊光線を受けて、なぜ無傷で済んだんだ?
それとも逃れたのか?
あの一瞬でどうやって?
天羅は俺たちの死を確認しないまま去っていったのか?
わからない。謎だらけだ。どうして助かったのか。
神隠しじゃないとすれば、真っ先に思いついたのは空白の本の力だ。マーブルが本に何かを描いたと考えれば……いや、無理があるか。あんな数秒間で何をどう描けばこんな結果になるんだ?
羅閃がなにか技を使ったのだろうか。いや、どう見ても羅閃は限界を超えていた。天羅のいう『対価』とやらで年齢を奪われた羅閃は、今も小学生姿のまま深い眠りについている。
……じゃあ、俺?
消去法で考えると俺しかいないよな。神隠し以外にも何か特殊な技が使えるのか……?
うーむ、一番の謎は俺自身かもしれないな。
困った時は賢者に尋ねる。十年前の経験で知った鉄則だ。
当初は賢者を見つけて元の世界へ戻ることしか頭になかったけど、その前に神隠しについて本格的に調べなくちゃダメらしい。仮に元の世界に帰れたとしても、いつまた神隠しに遭ってこちらの世界に戻ることになるか分かったものじゃない。
おまけに、自分以外の第三者も神隠しに巻き込めるときたもんだ。自分の意思で制御できないとダメな能力だ、これは。
自分の頬に張られた大きな絆創膏に指を当てる。村の人たちが手当てをしてくれたおかげで、だいぶ腫れが引いた。
今回みたいな戦闘は、本来なら断固回避するべきだ。十年前の修行の経験のおかげで、なんとか羅閃に一矢報いることはできたが、俺は戦闘民族でも何でもなく、ただの人間だ。人間である俺がいくら鍛えたところで竜には勝てないし、そもそもマーブルの援護がなければ羅閃にやられていた。
神隠しの能力なんて戦闘に使えそうもないけど、どんな化け物が相手だろうと、神隠しが発動すれば絶対に逃げ切れる。コントロールさえできれば、これほど逃走に有用な能力はないんだ。
そこまで考えたところで、よし、と声に出した。
目標が明確になった。まずは神隠し能力をもっと知ろう。
ちょうどマーブルが戻ってきたので、俺は自分の考えを説明した。
「おばあちゃんなら何かを知っているかもしれません」
「確かにそうだね。俺もヤオさんのことは真っ先に浮かんだけど……」
俺はマーブルが手に持つ本を指差した。
「そりゃあもう、こっぴどく怒られるだろうね。縛り上げられて、そのまま城に連れてかれなければいいけど」
マーブルは目を見開いて本を両手で抱えた。
「おばあちゃんに会うのは世界を創った後にします」
「そうした方が良いかもね。この村って羅漢の里からどのくらい離れているんだろ」
「羅漢の里からはかなり離れています」
「え、わかるの?」
「匂いでわかります」
マーブルは窓を開け、外に顔を出してすんすんと匂いを嗅いだ。すると、マーブルはかすかに眉をひそめた。
「花の匂いしかしません。私は鼻が良いので少しきついくらいです」
言葉の意味を図りかねていると、マーブルが説明を続けた。
「羅漢の里の匂いがまったくしないんです。あれだけの匂いなら相当遠く離れていても感じると思います。なので、ここはだいぶ遠いです」
羅漢の里の匂い、というフレーズがピンとこない。
「えっと、よく分からないんだけど、羅漢の里ってそんなに、その、きついもんなの?」
「いろんな匂いが混ざっていますが、特に強いのは血の匂いです」
「え……」
「多くの人が死んでいます。ラセンという人からも同じ匂いがします」
羅閃のセリフが脳裏に蘇る。疑っていなかったけど、本当に起きた出来事なのだと改めて知らされると、鉛を飲み込んだような気持ちになる。
どう返事したものかわからず、そうか、と曖昧に頷いた。
「気絶していた俺たちを運んでくれたっていうから、てっきり里から近いのかと」
「イッチさまは覚えていないのですね。馬車に乗せてくれたのです」
「馬車?っていうか、マーブルは起きてたの?」
「馬車に乗せられた時に目が覚めましたが、まだ眠かったので寝ました」
それは初耳だ。馬車で運ばれたとなると、かなりの距離を移動していたとしてもおかしくない。
「じゃあ、その馬車の運転手に帰り道を聞いてみようか」
「それよりも、サンドラさんから話を伺ってみましょう」
サンドラ……?
あれ。その名前、どこかで聞いたぞ。
「イッチさまが探していた賢者です。どうやらこの村にいるようですから」




