第十四話 消失共同体
「ううん……」
ようやくマーブルの瞳が少し開いた。俺はマーブルに呼びかけ続ける。
「ごめん!疲れてるだろうけど今は起きてくれ!非常事態なんだ」
羅閃は天羅に攻撃を仕掛け続けるが、まったく当たる気配がない。逆に攻撃をもらっては倒れ、立ち向かうごとにそのスピードは低下し、俺でさえたやすくいなせるようなヘロヘロの打撃を繰り出していた。無茶だ。
天羅は羅閃の突きを軽く払うと、羅閃はそれだけでバランスを崩し、倒れた。
「あれから四日。弱虫は弱虫のままか。なんのために生かされたのか。遠い地で静かに暮らせばよいものを。救いようのない馬鹿ね」
羅閃は地に伏せたまま獣同然の唸り声を上げると、再び手甲からオーラが迸る。
「イッチさま」と、マーブルが呼びかける。ようやく起きてくれたか。
「とても大きなドラゴンがいます。絵を描いてもいいでしょうか」
「悪いけど後にしてくれ。今は逃げることだけ考えて。俺は……」
羅閃は手甲に手をかざす。天羅は退屈そうに欠伸をしていた。
「俺はあの男を見殺しにしたくない。一緒に逃げたいんだ」
あの男、とマーブルが呟いて俺と同じ方向に目を向ける。
「なぜ一緒に逃げるのですか。あの人は敵ですよ」
マーブルは首を傾げている。そりゃそうだ。自分でも言ってて意味がわからない。
「うん、マーブルは正しい。俺は間違っている」
「はい」
「でも、ごめん。俺はあいつを助けてみるよ」
我ながら思う。つくづく馬鹿だ。ガチで死ぬかもしれない選択肢を俺は取ろうとしている。体力は残りわずか、武器はもうない。相手は遥か格上。一矢報いることだって夢のまた夢だ。
でも、放っておいたらあいつは死ぬ。
マーブルを見捨てられない理由と同じなんだ。放っておけない。
唯一、天羅を出し抜ける手があるとすれば、神隠ししかない。
マーブルと羅閃、二人の手を取り、飛ぶしかない。どこに行くのか予測不能だけど、少なくともこの男の視界からは消失する。
最大の問題は、どうやって神隠しを発動させるかだ。
ずっと考えていた。発動条件は何か。
十年前のあの日。
十年後の二度目。
そしてつい数時間前の三度目。
偶然?そんなわけない。たまたま神隠しに三度も遭う人間なんているわけない。しかも、三度目に至っては、マーブルが行きたいと願った場所への神隠しだった。俺自身はその場所を思い描くことさえできなかった。行ったことがないから。
その意味は何か?まだ答えは出ない。でも、確実なことはいくつかある。
大前提として、俺は神隠しを発動させる能力を持っているんだ。そうとしか考えられない。
ただし、俺自身「神隠しに遭いたい」と思ったことはないし、神隠しを技名のように唱えたこともない。
つまり、能力の使用どころか能力の存在さえ無自覚でも、何らかの条件を満たすことで発動する能力ということだ。
「マーブル。聖なる書架へ移動した時のことを教えて」
「どういうことでしょうか」
「ほら、急に辺りが暗くなって、気付いたら聖なる書架にいただろ?あれ、俺の仕業っぽいんだけど、移動する前に何を考えていた?」
マーブルの返答よりも先に、羅閃の雄叫びが聞こえてきた。
「うおぉおおぉおおお!!」
手甲から竜を形どるオーラが噴出している。それは、俺と対峙していた時よりも更に大きく、赤く燃えていた。
天羅は腕を組み、道着の裾に手を突っ込んだまま微動だにしない。
明らかに、まったく脅威に感じていない様子だ。そして、遠目でもはっきりわかるような大きなため息をついた。
「その程度の龍気を練るのに時間かかり過ぎね。そんなことだから敗北する」
喋るのも面倒といった口調で、足の幅を少し広げる。左足の踵を地面につけたまま、足の先を浮かせたかと思うと、とん、と地面に置いた。天羅はたったそれだけの動作で、羅閃の竜のオーラを遥かに上回る巨大な竜のオーラを発現させた。目の前にいる翼竜と同等か、それ以上のサイズだ。
あと、ほんの数秒後には決着がつく。そんな予感がした。
「聖なる書架に行きたいって願わなかった?」
俺は慌ててマーブルに尋ねた。
「はい。あの時はそのことしか考えてませんでした」
「それがわかれば十分だ。よく聞いて。俺はもう一回、神隠しを使う。どこに飛ぶのかはわからないけど、もうそれ以外にここから逃げる方法はない」
「しかし、イッチさまは自分の意思で使えない能力だと言っていました」
その通り、確証はない。ちょっと考え出すと、不確定要素だらけで一歩も踏み出せなくなる。
だから、もう考えないことにした。
「なんとか……なる、かも。たぶん。きっと」
「まるで自信がないということですね」
「いや、なんとかする!俺が羅閃をここまで引っ張ってくるから、そしたら俺の手を掴んでくれ。もう一回、一緒に飛ぼう」
早口で言い終えると、羅閃の下へ走った。
距離は五十メートルも離れていない。その半分ほどだ。
けれど、走り始めてすぐに急ブレーキをかけた。バランスを崩し、前のめりに転倒してしまう。
天羅の眼がこちらを向いた。それだけで俺の足はちゃんと竦んだ。
威嚇をされたわけじゃない。あの眼にそこまでの力はこもっていなかった。どちらかと言えば戸惑いに近い。
『え?なに余計なことしようとしてんの?殺すよ?』
たぶん、そういうニュアンスの眼だ。
時間にして、ほんの二秒くらいの一瞥は、俺から戦意を奪いかけていた。
やっぱり根本的に甘かった。相手は正真正銘の怪物なんだ。我ながら馬鹿なことをした。そんなに都合よく物事が運ぶわけがないでしょうに。
たかが十七年の人生でも、悲しいかな、うまくいかないことだらけだったから、そのくらいは学習しているつもりだった。世の中甘くない。
余計なことはしない方がいい。
だったら。
なんで俺はここに来たんだ?
なんのためにこんなヘンピな能力を身につけているんだ?
余計なことをするためだろうが!
両膝を手で叩き、何とか立ち上がった。天羅はもうこちらを見ない。けど、俺が何か余計なことをしようとしていることは、きっともうわかっている。
「行きましょう、イッチ」
パシッ、と勢いよく手を取られ、身体が引っ張られる。否が応でも俺の足は走り出す。
「マーブル?」
「このままあいつの手を握ればいいのでしょうか」
「あ、ああっ、たぶん……」
「飛ぶのですね」
「たぶん、いや、うん。飛べる!」(きっと)
「来るな!!」
羅閃の一喝に、さすがのマーブルも足を止めた。
「失せろと言ったはずだぞ。邪魔をすればお前らも殺す!」
「言うと思った。でも、あんな奴に勝てっこないだろ。とっとと逃げよう」
緊張感のない俺のセリフに、羅閃の竜はますます激しく燃え上がるようだった。
「黙れ!羅漢族の決闘に水を差すな!」
「決闘?」と、天羅が嘲るように呟く。
「冗談のセンスは褒めてやるね」
それが引き鉄だった。
羅閃は獣のような雄叫びを上げて天羅に向かっていった。
竜のオーラが腕から全身に燃え上がる。復讐の炎を纏った猛獣は、凄まじい勢いで天羅との距離を詰める。
天羅はゆらりと腕を前に出した。すると。
ドドドンッ!!
耳をつんざくほどの衝撃音が響き、大地が大きく揺れた。
「うわああああ!」
俺とマーブルはほとんど同時に声を上げてひっくり返った。
それは一瞬の大地震だった。木々が倒れ、土が隆起し、木の葉が舞い散る。
俺は体勢を立て直し、羅閃の姿を探したが、見当たらない。倒木の下敷きになったんじゃないだろうな、と要らない心配をしてしまった。
「イッチさま、上です!」
マーブルの声で見上げると、羅閃は木々よりも高く飛び上がっていた。
「すごい、あの一瞬で」
思わず素直に感心した。天羅の攻撃をいち早く察知して回避したのか。
羅閃は燃える隕石の如く落下してくる。
「火龍焦獄・燦燼!!」
炎の竜が天羅を飲み込み、火柱が上がった。熱風が吹き荒れる。
「マーブル、伏せて!」
俺は咄嗟に火柱に対して背を向け、マーブルを抱き寄せた。そのまま地面に埋まるような勢いで伏せた。
「ううぅっ!あっちぃいいい!」
ケツが熱い!ケツが火傷しそうだ!
「あちちちち!ケツがあちち!」
そう言ったのは、マーブルだ。
「マーブルっ……女の子がケツとか言うなっ……」
「わかりました。おしりが、あちちちち!」
十秒ほど続いた熱風が止み、振り返ると、周辺の景色は黒に変わっていた。
あのでたらめな空のせいか、夜中でも妙に明るく木の色もはっきり見えていたが、今は見る影もない。焼け野原だ。
天羅との衝突地点であろう場所は、白煙が濃く二人の姿はまだ見えない。
これだけの威力だ。いくら相手が強くたって、無傷でいられるはずが――。
そこまで思ったところで、俺は考えを打ち消すように頭を振った。
こういう考えはフリになってしまう。
『やったか?』って時は大抵やってないし、『気のせいか?』って時はほぼ間違いなく気のせいじゃない。『いくら相手が強くたって、無傷でいられるはずが――』って思う時は、無傷だ!
「気が済んだか?」
嫌な予感ほど当たるのはどうしてだろう。
白煙が晴れ、最初に見えたのは天羅だ。
羅閃は、突き出した拳が天羅の掌で押さえつけられ、空中に浮いていた。その体勢を維持しているのは羅閃自身の力によるものか、天羅にそうさせられているのか、俺にはわからない。
わかったのは、この男にはどう足掻いても勝てないということ。
立ち向かうほどにその絶対的な事実を突きつけられる。間違っても、根性とかまぐれとかでどうにかなる相手じゃない。
「理解できたか。お前はそんな程度ね」
「ぐ、は……」
竜のオーラが消えかかっている。やはりさっきの一撃で全力を使い果たしたんだ。
羅閃の身体が地面に落ちるよりも先に、天羅が素早く蹴りを繰り出した。180㎝超のガタイの羅閃が、ボールのように飛んでいった。地面に落ち、転がる。
「瀕死の状態です。生命力がもうわずかしか感じられません」
「くそ……マーブル、一緒に!」
俺はマーブルの手を取り、再び走り出した。天羅に蹴り飛ばしたことは怪我の功名だった。おかげですぐに羅閃の下に駆け寄ることができた。
「さっきからちょろちょろ目障りな連中ね。何故逃げない?」
天羅が歩み寄ってくる。
俺は地面に片膝をつき、羅閃の手を取った。
「よし、マーブル!行きたい場所を心の中で願ってくれ!」
「特にありません」
「どこでもいいから!聖なる書架に行った時みたいに!」
「ええと……それでは、屋台村に」
「あっ、ダメだ!言ったら相手にもわかっちゃうだろ!今のなし!別の場所を、口に出さずに願うんだ!」
「難しいですね。どうしましょう」
すぐ目の前まで天羅が迫っている。
「早く!」
「決まりました。あそこにします」
「願って!早く!!」
「…………」
「マーブル!?」
マーブルは目を閉じ、両手を合わせている。
「すでに願っています。行きたいです~行きたいです~あの場所にすごく行きたいです~」
天羅が目の前にしゃがみ込む。本当に眼前だ。
ガラス玉のような無機質な眼だ。感情なく、俺とプリエルの顔を交互に覗き込む。
俺は蛇に睨まれたカエルさながら脂汗をかく。
「マ、マママ、マ~ブル~!早くー!!」
「行きたいです行きたいです行きたいです行きたいです行きたいです……」
ぶつぶつと念じていたマーブルは、すっと両手を下ろした。
「もう飽きました」
「あ、あ、諦めるなよ!」
「いえ、諦めたのではなく飽きました」
「どこまでも冷静だね!羨ましい!」
「何の児戯ね?敵を前にして仲良くお手手繋ぎとは……」
天羅が無表情のまま問いかける。
「お前ら二人。邪魔ね。今すぐ消えるなら見逃してやる」
「承知しました。イッチさま、逃げましょう」
「…………」
俺はマーブルの顔を見た。
そうだよな。マーブルが正しい。
羅閃は俺を殺してマーブルをさらう命令を受けてやってきた、ただの敵。
よく考えなくたって、助ける義理なんてない。
俺はマーブルの手を離した。羅閃の手は握ったまま。
「マーブルは逃げろ」
「ん?どういうつもりね。お前、私と戦うつもりか」
「いや無理!絶対殺されるとわかってて戦うかよ!」
天羅はかすかに口の端を歪めた。
「潔いね。ならば何故そのカスの手を離さない」
「羅閃とは俺との喧嘩の決着がついていない。決着をつけないまま死なれるのは後味が悪い。あんたも戦士ならわかるだろ?」
「ふむ」
天羅は頷くと、すっと立ち上がった。
「じゃれ合いの勝敗判定など私の知るところではない。どうとでも解釈すればよろしい」
そう言うと、待機していた翼竜の方へ向かっていった。
「私は端から殺す気なんてない。こいつにはその価値さえないね。こいつは心身共に敗北を認めた。それは竜に対する裏切りも同義ね」
「ぐっ、あっ……!!」
羅閃が呻き声を上げると、身体が大きく揺れる。
「うぐぅおおおお!!があっ!!」
羅閃の身体から蒸気が噴出し、全身がガクガクと震えだす。
「なっ、なんだ!?どうなってる!?」
「対価を求めている。お前は契約を破った」
羅閃は断末魔のような雄叫びを上げた。
「お前、こいつを何と呼んだか。羅閃?」
天羅は侮蔑に満ちた目で羅閃を見下ろした。
「そいつは“羅落ち”ね。こいつの名前は閃。ただの閃だ」
俺は羅閃の身に起こっている異変の正体に気付いた。
握っている羅閃の手が、どんどん小さくなっていく――!
思わず手を離す。やはりだ、どんどん縮んでいく!
「どんどん身体が小さくなっていきます。イッチさまの魔法ですか」
「いや俺なわけないでしょ!」
「く……はぁっ、はぁっ……」
羅閃は激しく息切れしながら、地面に両手をついた。ボロボロの甲冑から出ている手足は、ほんの少し前に俺を痛めつけたものではない。羅閃はその顔も身体も、小学生高学年くらいの年齢のものへと変化していた。
「な、な……何をしたんだ?」
「私ではない。その愚か者は竜との契約に反した。竜はその代償として年齢を奪っただけのこと。見た限りでは十年といったところか。このような間抜けは初めて見たね。そのままどこぞで野垂れ死にすると……」
天羅は振り上げた右手をそのまま宙で止めた。
ゆっくりとこちらを振り返る。
「……否。やはり死んでおくか、お前たち」
「え」「え」俺とマーブルが同時に声を発した。
「私が手を下すまでもないと思ったが、こうなると惨めね。羅漢四天龍士に命を取られる方が箔がつくというもの。せいぜい黄泉の国で自慢すると良い」
天羅が腕を前に出す。親指から中指までを伸ばしたまま、銃に見立てた手をこちらに向ける。同時に、天羅の側にいる翼竜が、大口を開ける。
翼竜の口腔、その奥が光り出す。
「やばいぞ!!どこでもいいから逃げる場所を思い浮かべて!!」
マーブルと羅閃の手を握る。
羅閃は俺の手を払いのけようとする。
「何の真似だ、手をはな――」
「バン」
天羅がそう言った瞬間、激しい光に辺りが包まれた。




