第十二話 p1『炎の一撃』
羅漢族は戦闘部族だ。
遥か古の時代、陸海空の三界を支配した竜と巫女との間に半身半獣の龍人が生まれた。この龍人こそが羅漢族の祖だ。龍人はあらゆる戦を勝利へと導き、勢力を拡大し一族を繁栄させた。人々は敬意と畏怖の念をもって龍人族と呼んだが、その歴史は長く続かなかった。
年月を経るごとに竜の血は薄まっていき、外見は人間となんら変わりない人の血を色濃くした者たちが生まれてきた。その者たちは龍人と遜色ない高い戦闘能力を有していたものの、肉体の構造上竜の能力を使うことができなかった。当時の長は自らを羅漢族と改め、竜の技を武術として後世へ語り継いでいった。
羅漢の里に生まれた者は誰もが至高の戦士を目指す。そこに性別や体質による例外は存在しない。全員が生涯現役の戦士だ。
子が生まれると、どこの家庭でも戦士としての英才教育を施す。幼児の頃から日常生活は訓練そのものであることを学び、七つになると単独での狩猟を経験し、猛獣や災害などの脅威から身を守り戦い抜く術と、自然の恵みへの感謝を学ぶ。
幾度かの狩猟で一定程度の成果を修めた者は、文武を極めるべく居住区にある学問塾と武道場に所属する。早朝に武道場へ向かい、昼食の時間まで体力作りの鍛錬後、常人では胃に収まりきらない量の料理を食す。
食後は一定時間の休息を取り、学問塾にて五時間の勉学を行う。それから就寝するまでの更に五時間を、武道場での鍛錬に費やす。
とりわけ武道場での鍛錬は熾烈を極めた。
ある者は真剣勝負に敗れ命を落とし、ある者は鍛錬中に力尽きて野垂れ死に、またある者は己の限界に気付き発狂死した。至高の戦士への道のりは果てしなく長く、あまりにも険しい。
文武の学び舎で卒業試験に合格した者には、外界での実戦という更なる飛躍の場が与えられる。羅漢の最大の収入源は、戦士の派遣による高額な報酬だ。羅漢の武力を必要とする者たちから依頼を受け、命じられた仕事をこなす。戦士たちは里で培った力を存分に発揮し、更に強さを増していく。
時には、己と同等あるいはそれ以上の力量を有する敵と遭遇する。羅漢にとっては、強敵との戦いこそが何よりの喜びだった。勝敗がどうあれ、難敵との戦闘経験がもっとも己を成長させることを戦士たちは知っているからだ。そうして、世界の広大さと、修行に終わりがないことを学んでいく。
膨大な戦闘経験を経て磨き上げる心技体。戦士としての力量が円熟期に達した頃、戦士はとうとう竜の祝福を得る。
羅漢の戦士たちは竜の祝福によって得た力を「龍気」と名付けた。
龍気を極めた者が龍人へと至る。
「召龍儀」
羅閃が何か呟いて手甲に手をかざした途端、風向きが変わった。手甲が烈風を起こしているかのようだ。とても目を見開いていられない。
「始まりの火を授けし羽の竜よ。今こそその力を示せ」
羅閃のその言葉を合図に、手甲から炎が噴出した。
帯状の炎が大蛇のようにあちこちに伸び、俺はマーブルの方へ駆けだした。
「マーブル起きて!火事だ!マーブル!」
かなり強めに身体を揺さぶっても、まったく起きる気配がない。
天使のような寝顔ですやすや寝息を立てている。
なんて美しいんだ。いや、そんな場合じゃない!
炎の帯が周辺の草花に飛びかかり、ぼうぼうと音を立てて燃え広がる。
俺はマーブルに激しく呼びかけるが、ぜんぜん起きやしない。
「案ずるな」羅閃が近付いてくる。「そいつは生け捕りにしろと言われている。焼き殺すのはお前一人だ」
「生きたまま焼かれるなんて、そんなむごい死に方してたまるか」
俺は枝木を握り締めた。固定した状態で蹴ると、ぽっきり折れてしまいそうな枝木。
今更ながら、なんて頼りない武器だ。せめて修業時代の棍棒があれば、さっきの渾身撃で倒せていたものを。
ないものねだりをしても無意味だとわかっていても悔やまれる。もっと早く思い出していれば。まともな武器さえ準備できていれば……。
額の汗をぬぐう。
単純に暑いだけじゃない。すごい“圧”をかけられている。
羅閃の手甲には炎の帯が巻かれている。全身が燃えているように見えるが、あれはオーラだ。いわゆる闘気ってやつだ。この世界にはそれも実在する。魔法もドラゴンも、なんだって存在するんだ、この世界には。逆に存在しないものを指摘する方が困難だ。
ただでさえまともに当たれば悶絶もののパンチの威力に、炎+オーラ分の攻撃力が加算されている。破壊力は見当もつかない。こんな満身創痍の状態であんなものをもらったら、さすがの俺も死ぬな、たぶん。
何とか直撃を避けて、もう一発、きついやつを叩き込むしかない。
それ以外に勝機はない。
ゆっくり息を吸い、長く息を吐いた。
ここが正面場ってやつだ。
「……?」
いつまで経っても攻撃が来ない。
羅閃は俺の方を向いているが、その目はどこも見ていない。
「……うっ!」
かすかな呻き声を発すると、体勢を崩し、片膝をついた。
俺は警戒しながら羅閃の様子を伺った。纏っていたオーラが薄れていく。
「ぐぅえっ、げぇっ」
羅閃は激しくえずいているが、口からは何も出てこない。
痩せこけた頬と土気色の顔。こいつ、ここ数日間何も口にしていないんじゃないのか。胃の内容物がまったくないから何も吐けない。
「おい、もう止めよう。お互い満身創痍だ。これ以上やったら死んじまう」
「黙れ……」
俺の提案はあえなく一蹴される。地の底から轟くような声だ。
「中断など……ありえない……。みすみす勝利を逃す者が、どこにいる……」
羅閃はぐらつきながら立ち上がろうとする。
「よせよ、顔色が悪いなんてレベルじゃない、土気色を通り越してゾンビみたいになっているぞ」
「敵の、心配とは……余裕だな……。お前の言葉のせいで、思い出したくもないことを……。それだけだ……」
さっき羅閃に投げかけた言葉を思い返す。
『生きたまま焼かれるなんて……』
あのセリフか?
確かに、その直後に羅閃の様子はおかしくなった。
だとすると、この男の思い出したくないこととは……。
「すぐに思い知らせてやる」
羅閃のオーラが再び燃え上がる。
「くっ……」思わずたじろいだ。なんでさっきより強くなってんだ!
切り替えろ。もやもやしている場合じゃない。
とにかく、直撃を何とか避けて、大技をぶつけるしかない。
俺が死ねばマーブルが連れて行かれるんだ。この男はマーブルを殺す気はないと言ったけど、あの王様のところへ連れて行かれたらどの道殺されるだろう。
マーブルは連れて行かせない!
集中しろ!
羅閃はバックステップで距離を取った。
突進型の攻撃か?
いや、決めつけるな。相手は技のバリエーションが豊富だ。思いがけない方法で攻撃を仕掛けてくる可能性もある。
予測が立てられない。
見てから対応するしかないけど自信はない。オーラを纏えば、パワーもスピードも強化される。知らないけど大体そうだろ、あの手のやつは。
「う……うぅうん……」
この声は!
「マーブル!?起きたか?」
反射的に振り返ると、マーブルが立っていた。しかし、目は開いていない。
「ふわぁあああ……んん」
マーブルはカバさながらの大あくびをした。かわいい。じゃなくて!
「寝起きのところで悪いけど火事だ!今すぐ逃げてくれ!」
「……むにゃ」
「むにゃ?」
「まだ眠いです」
マーブルはそう呟くと、俺の背中にのしかかってきた。
「いやいやいや!二度寝している場合じゃなくって!」
「覚悟はいいな」羅閃の声だ。
「いやちょっと待った!どう見ても“待った”でしょう!」
羅閃は右手を大きく振り上げた。手甲を取り巻いている炎が一層激しく燃え上がる。
ダメだ!あの野郎、完全にスイッチが入っている。
マーブルを抱えて逃げるしか――。
「え」
火の玉が猛スピードでこちらへ向かってくる!
「どわっ!」
咄嗟にマーブルを抱えたまま屈んだ。
なんとか回避したと思う間もなく、第二弾、第三弾の火球が襲い来る。一つ一つがドッヂボールくらいの大きさだ。
マーブルをおんぶし、力の限り走り出す。
ちょうど踵の付近に火球が落下して、ますます足を動かすスピードを上げる。
少しでもスピードを緩めたら一巻の終わりだ!
――っていうか、あの野郎!焼き殺すのは俺一人だってさっき言ってたくせに!
「――ん?うわっ!」
羅閃が目の前の中空に現れた。
火球を放った直後に俺の逃げ出す方向に先回りしたのか。
羅閃は手甲を装着している右腕を大きく振りかぶっている。腕に集中したオーラは竜の頭部を形成している。今にも火炎を吐き出しそうな貌に見えた。
「うおおおおおお!!」
羅閃が咆哮と共に振り下ろした手甲から二本の火柱が巻き起こる。瞬時に熱波が襲いくる。俺はすぐに方向転換して駆け出すが――ダメだ、速い上にでかい!絶対逃げ切れない!
「マーブル!しっかり掴まってて!」
俺はマーブルを背に抱えたまま、枝木を降りかぶった。
どうせ逃げきれない。だったら、思いっきり抵抗するしかない。
二本の火柱には隙間がある。その隙間を突き進んで渾身の一撃をお見舞いするしかない。
唐突に、とん、と肩の辺りに軽い衝撃。直後、肩が異様に軽くなる。
マーブルが俺の背中から離れた。ようやくお目覚めか。
「イッチさま、そのまま突き進んでください」
「わかってる、それしかない!」
「炎は私がどうにかします」
「えっ?ど、どう――」
振り返ると、マーブルは本を開いていた。『空白の本』だ。
マーブルは周囲の炎などお構いなしに本に何かを描きだした。
もう迷っている時間は少しもない。やるしかない!
俺は渾身の力を枝木にこめ、二本の火柱、その間へ向かっていった。
「うぅううおおおああああああああ!!」
熱い熱い熱い熱い!
直撃していないのにこの温度!本当に全身が燃えてしまいそうだ。
抜けろ!
この先に、あいつが――。
「これで終わりだ」
ぞくっとした。羅閃は俺の抵抗を予期していたのか。
「火龍牙ノ砕破」
火柱の通路、その先に待ち構えていた竜のオーラが、がばっと口を開いた。俺を喰いちぎらんばかりの勢いで噛みつこうとする。
俺は咄嗟に枝木を前に出した。これが失敗だった。
枝木は粉々に噛み砕かれ、燃え散った。
両手が握る“柄の部分”しかない。
俺はそれを振りかぶった。でも届きっこない。リーチが短すぎる。
背後の火柱も消え去ってはいない。背中が熱い。
「イッチさま!」
マーブルの声だ。しかし、振り返っている余裕はない。
あと一秒か二秒後。前から、後ろから、俺は焼き殺され――。
「え」
背後にあった火柱が消えた。
いや違う!
火柱が渦状に縮小していく。ぐるぐると回転しながら、俺の持つ柄の部分に吸い込まれていく。瞬間、掌を灼熱が襲う。
「熱ッ、ちぃぃぃいああああ!!」
腕が燃えたのかと思った。
でも違う。
燃えているのは、枝木だった部分。
柄の先端から、伸びていたはずの刀身部分を担うように炎のエネルギーが棍棒を形作る。
「ぬおおおおお!!」
羅閃の咆哮。螺旋の炎に包まれた右の拳が迫る。
と、認識するよりも前に、俺もまた炎の棍棒を振り下ろしていた。
「ぐぅおおおおお!!熱っちぃぃぃぃ!!」
ずがん!
強い衝撃音が辺りに、両手に、響いた。
枝木だったそれは木炭と化し、俺の手からぼろぼろ崩れ去っていった。
羅閃はその場に倒れていた。
俺は茫然と突っ立っていた。
マーブルは、うん、と力強く頷いた。その視線は本の一ページに留まっていた。
「うまく書けました。これが最初のページです」
目の前に突きつけられたそのページには、燃えている棍棒を振り下ろす人間が描かれていた。




