第十一話 打法
きっかけはわからない。
でも、ある時わかってしまったんだ。自分は意気地なしだって。
気が小さいんだ。どうしようもなく。
誰かが怒鳴っただけでビクッとするし、馬鹿にされたり嫌がらせをされたりしても本気では怒れない。少し笑いながら抗議をしてみるだけ、それも相手の反応を窺いながら。
自分のことだけならまだいい。他人のためだとしても俺は動けない。
誰かが困っているのに、狼狽えるばかりですぐに手を差し伸ばすことができない。
誰かが傷つけられそうになっているのに、きっと俺は咄嗟には動けない。それがたとえ自分にとって大切な人だとしても。そう考えると、自己嫌悪で消えてなくなりたくなる。
『ここで自分が助けようとしたら事態が悪化するかも』
『余計なことはしない方がいい』
『自分がやらなくても誰かがやる』
もっともらしい言い訳ばかり並びたてて、結局何もできやしない。
いや、できないんじゃない。しようとしないだけだ。
できないってことでさえも俺は学んでいないんだ。
そんな自分が、子どもの頃から嫌だった。持って生まれた自分の性質を呪った。
だからかもしれない。過酷な訓練にも何とか喰らいついていくことができた。教えられるがまま、腕がちぎれるほど棍棒を振るった。
強くなりたかったから。
いざという時に誰かを助けられるような強さが、自信が欲しかった。
強くなりたい。もっと。
あの頃の俺は、確かにそう思ったはずだ。
イヌブサが振り下ろす枝木を腕で受ける。
しっかり体重を乗せた棒撃だ。力任せの闇雲な一撃ならば、この受けで枝木は折れていただろう。明らかに鍛錬を積んだ者の攻撃だ。
なぜ最初から応戦しなかったのか疑問に感じたが、今はいい。
枝木をいなし、蹴りを放つ。命中するが、先ほどまでとは手応えが違う。打撃が身体の芯に響いていない。
「いてて……」
痛がる素振りをしているが、瞳に宿した闘志は一層燃え上がるようだった。
イヌブサイツシ。気味の悪い男だ。先ほどとはまるで別人だ。
戦闘中になんらかのコツを掴んで成長する敵とは時折遭遇する。しかし、それは敵がある程度の実力を有している場合に限り偶発的に発生する現象だ。
この男は明らかに素人だった。戦闘能力は皆無と判断できる存在のはずだった。まだ強敵と見なせるほどではないが、これほど豹変する者との戦闘は初めてだ。
「あーあ。ひっさしぶりの実戦だってのに、相手がきつ過ぎるな」
イヌブサはにやけ面で呟いた。ますます気味が悪い。
一陣の風が吹く。
奇妙な感覚だ。風の音だけが聴こえている。実際には葉の舞う音、昆虫の鳴き声、獣の気配といった多くの情報量があるはずだ。無意識のうちに、それらの情報を拾わないよう自身に制限をかけている。
なぜか。この男と対峙しているせいだというのか。それほど集中力をもって対処しなければならない相手だというのか。
馬鹿な。
こんな奴が俺の相手か?
確かに異様ではある。俺の攻撃は強くなっていく一方だというのに、こいつは痛がりながらも何度でも立ち上がってくる。しかも立ち上がりがどんどん早くなっていく。
ダメージがないならまだわかる。特殊な薬で痛覚を打ち消す輩とも一戦交えたことがある。しかし、この男は違う。出血や腫れ、呼吸や脈拍の乱れから確実にダメージは蓄積している。それだけに不気味だ。
イヌブサは再び棒撃を繰り出す。俺は回避すると同時に回し蹴りを放ったが、俺の蹴りを予知していたのか、イヌブサは片腕で頭をガードする。蹴りの勢いが想定よりも強かったせいか、イヌブサは踏ん張りが効かず体制を崩す。
――もらった。
即座に飛び膝蹴りをイヌブサの顔面に見舞うが、その打撃も芯に当たっていない。自分から身を引いて直撃を避けたのだ。
しかし回避できたわけではない。イヌブサは鼻血に塗れた顔を袖で拭った。
「いてて……へへ」
なぜ笑う。なぜ立ち向かってくる。
内臓も損傷しているはずだが、骨折がないのも気になる。骨密度が異常に高くなっているのか?
好き好んで人を殺したくはないが、やむを得ない。こんな奴に時間をかけている場合じゃない。
俺は一刻も早く国境を越え、力を手に入れる必要がある。
そうしなけば、あいつらはもっと大勢の人間を殺すだろう。
「必殺技を習った時のことを思い出した」
イヌブサは唐突に喋り出した。
「何の話をしている」
油断を誘おうとしているのか?
いや、そんな搦め手が通用しないことくらい予想はつくだろう。
「いちいち技の名前を言いながら戦う奴がいるかよって思ってたけど、馬鹿にできないもんだよな。威力が全然違う。技の効果を理解して、ここぞという時に使うから、それは必殺技なんだ」
言いたいことはわかる。俺も同様に学んだ。
しかし、意図は不明だ。それが何だというのか。
「ちょっと恥ずかしいけど、使うよ。必殺技」
意味は考えない。
そんな宣言には何の意味もないからだ。
本気だろうとブラフだろうと、見てから対応すればいい。俺とこの男の実力差ならそれは容易い。正面から打ち砕いてやる。
「やってみろ」
気付けば口に出していた。
焦れているのか。早くお前の力をぶつけてみろ、と。
こんな奴に俺は期待を感じているのか。
「行くぞ」
「来い」
イヌブサは枝木を下段に構え、こちらに駆け寄る。
徹底した指導の下で修得した技術であることは大前提だが、刀剣の場合は有効な戦法といえる。最小限の動作で足への攻撃が可能だからだ。速度で劣る者にとって相手の機動力を奪うことは定石だ。そうすることで大きなアドバンテージを得ることができる。しかし、この男の得物はただの枝木だ。刺突の威力などたかが知れている。
枝木の先端がこちらに届くであろう攻撃範囲にイヌブサが入った瞬間、枝木を持つ手が更に力んだ。俺にはその気配がわかった。こちらの左腰から右肩へ、逆袈裟斬りの軌道で枝木の一打が見舞われることも。
数秒後に繰り出されるであろう動作よりも先に正拳突きを放つ。が、典型的なカウンターとなるはずの突きは回避される。
その動きには備えがあった。反射ではなく、予測による回避行動だ。
しかし、こちらは戦闘のプロだ。初撃を躱された程度でみすみす攻撃をもらうような素人ではない。第二撃の蹴りを放つ。瞬間、奴は素早い動きで蹴り足をかいくぐり、こちらとの距離をぐんと縮めるように近付いた。
思わず強めの舌打ちが出た。これは当てられる。
「一本打法・旋棍撃」
イヌブサは枝木を片手に持ち替え、俺の腹部に真一文字の棒撃を浴びせた。
ずん、と重い衝撃が臓腑に響く。
リーチの長い枝木をトンファーのように持ち替え、近距離で相手にぶつける技か。
地味な技だがなかなかの威力だ。
ただし、羅漢の戦士が膝を折るほどの威力には値しない。不意をつかれたのならまだしも、当てられる準備のできた一打など。
即座に突きを放つ。
「うわっと!」
腕でガードされた。
反応できている。今のは予測した動きではない。見てから動いたのだ。
「くそ、大して効いてないな。一本じゃ無理か」
イヌブサはぶつぶつ呟きながら、棒撃を繰り出す。
連撃か。
それらを片手で受け流し、反撃に転じるが、イヌブサはかろうじて直撃を避けている。
命中こそしているが、やはり芯を捉えていない。効果的なダメージを与え切れていない。
苛立ちと高揚を同時に感じた。
力と速度を全開に近付ける。
「うおっ!……ぐっ、ぬ、ぬぬ……」
犬房は枝木を両手で構え必死に受けているが、もはや時間の問題だ。
「おお!」
力を込めた上段蹴りを放つ。枝木を折るつもりだった。
しかし、俺の蹴りは奴の側頭部に命中した。
枝木は――。
両手で振りかぶっている。
唯一の武器が折られることを察知したのか。
武器で身を護るのではなく、攻撃するために防御を捨てた。
だが俺の蹴りをまともに受けたんだ、これでは反撃どころでは――。
「強振打法・渾身撃!」
イヌブサが叫んだ次の瞬間、強い衝撃が頭蓋を叩いた。
脳天から踵に至るまで電流が駆け抜けると、急速に膝から力が抜けていく――。
びりびりと腕に伝わる衝撃は、相手に与えたダメージの大きさを物語る。
懐かしい感覚だ。
どうして、ずっと忘れていたんだろう。
こんな棒切れでも、自分の力を最大限に伝えることができれば、相手は倒れる。
相手が人間である以上、どれほどケンカが強くても、渾身の一撃を脳天に直撃させれば意識は強制的にシャットアウトする。
そういう技を、俺は十年前にいくつか教わった。
この羅閃という男も同じだ。素手では到底勝ち目はなかっただろう。映画に出てくるような拳法の達人だ。力も速さも技術も、俺は完全に負けていた。もう一、二発殴られていたら、アウトだったかもしれない。
一体、何が起きたのだろうか。これほど強い男の甲冑はあちこちひび割れていて、覗いている部分はことごとく包帯で埋め尽くされていた。
いくら強いからといって、こんな重傷者を追っ手に任命するだろうか、普通。確かに負傷者とは思えない強さだったけど。
倒れている姿を見て、ようやく気付いた。ぼさぼさの長髪かと思ったら、襟足は三つ編みにまとめられている。ベンパツってやつか?
甲冑以外にもこんな目立つ特徴があるのに、俺は気付かなかった。いかに相手が見えていなかったか、よくわかる。
相手を見ていない人間は必ず足を掬われる。そんなことを師匠から教わったことがあったっけ。俺は武器を掴んだ時、ようやく羅閃の姿を、全体像を捉えることができた。後ろ髪には気付かなかったけど。
羅閃に油断や慢心はなかった。始終、冷静に俺を見ていた。
ただ、俺の根性が、奴の想像をギリギリ上回った。
蹴りをもらった直後、すっと魂が抜けかけた。本当に、ギリギリだった。
今も、立っているだけで実はけっこう辛い。
俺は薄れゆく意識を必死に留め、気絶させられたマーブルのところへ近付いた。
追っ手が一人とは限らない。これ以上、こんな奴に来られたらひとたまりもない。急いでここを離れなきゃ。
そう思った時だった。
「どこに行くつもりだ」
ぎくりとして振り返ると、羅閃が立っていた。
マジかよ。
「まだ終わっていないぞ。悪かったな、お前の力を見誤っていた」
ぼと、ぼと、と頭から血が滴り落ちている。そんなことは意にも介さず、羅閃は覚束ない足取りで近付いてくる。
「おい、待てよ。もう止めよう。これ以上はもう」
「こんなところで……躓いている場合か」
羅閃は俺の言葉を遮った。俺の方を向いているのに、別の何かに対して言っているような口調だった。
……なんだろう。背筋が寒くなってきた。
俺は棒切れを握り締めた。今まで以上の闘志を込めて。




