第十話 戦意
甲冑の男は、鋭い眼光という言葉をそのまま表したような眼でこちらを見据える。
なんという威圧。指先一つ動かしただけで攻撃されそうだ。
「ど、どちら様ですか……?」
かろうじて俺は声を発した。しかし返事はない。男は無言のまま近付いてくる。
甲冑はところどころ砕けていて、本来の防御力の半分もなさそうだ。腕や足が露出している部分もあり、右腕には包帯が巻かれている。左腕に装着している奇妙な手甲だけが真新しく見える。
「お前がイッチだな。横にいる女がマーブル。間違いないな」
男は淡々と声を発する。生気の褪せた顔色で、眉間には深い皺が刻まれている。
不穏な空気もなんのその、マーブルは一歩前に出て片手を上げた。
「はい。私はマーブルです。あなたは誰ですか?」
「ちょ――」
ちょっと待って。それだけの簡単な一言は一瞬で打ち消された。
突如、腹部に強い衝撃を受け、俺は胃の中のものを吐き出していた。
「男は殺し、女は捕らえる。そういう依頼を受けている」
殴られた。
信じられない。
防御する間もなかった。一瞬にして距離を詰められ、あっと思った瞬間には殴られていた。
「イッチさま」
マーブルが俺の背中に触れる。
「大丈夫ですか」
俺はマーブルの前に手を出した。
「だい、だいじょぶ……。それより、逃げて……」
その言葉を絞り出すのが精一杯だった。
殴られて吐くなんて、そんな漫画みたいな体験したことが……。
いや。あった。
そうだ、この痛みは経験している。
「いきなりなにをするんですか」
マーブルが俺の前に立ちはだかって抗議する。気持ちは嬉しいけど、そんな真っ当な手段が通用する相手とは思えない。
「だめだ、逃げて!」
俺はなんとか立ち上がる。腹の奥が鈍く痛む。
「逃げません。私はイッチさまを助けます」
マーブルの大きな瞳は揺らぐことなく俺を捉えている。
「捕まったら殺されちゃうだろ。俺がなんとか、その、時間を稼ぐから」
そう言ったものの、少しも自信はなかった。相手は十秒もあれば俺を完全にKOできるだろう。喧嘩したことのない人間でもわかる。戦力差は子どもと大人以上だ。
あ、とマーブルが声を上げる。
「まだお礼を言っていなかったです。ありがとうございました」
マーブルはそう言うと深々とお辞儀した。ぱっと顔を上げる。無表情だが、心なしか晴れやかな顔色に見えた。
「イッチさまは私の本泥棒に協力してくれました。私はイッチさまを助けます」
マーブルは手にしていた空白の本のページを開いた。
俺の意思とは無関係に発動する神隠し。その行先は、俺にとってもっとも望ましくない場所だった。不本意ながらマーブルの本泥棒に付き合うことになったけど、結果的には協力できて良かったと思う。俺はマーブルの手を離さないと決めたんだ。
マーブルはポケットから短い筆ペンを取り出した。空白のページに何かを書き込もうとしている。
「話はおしまいでいいか」
男が音もなくマーブルの背後に立っていた。
危ない、と思った時にはもう遅い。
マーブルは男に口を塞がれ、一瞬にして意識を失った。
「マーブル!」
「呼びかける意味はない。半日は目覚めん」
怒りが込み上げてきた。
「睡眠薬か。マーブルを捕まえてどうするつもりだ」
「他人の心配をする余裕があるのか」
男は一呼吸のうちに距離を詰めてくる。
「あっ」
声を出した瞬間、俺の身体は吹っ飛んだ。宙に浮いた一瞬の感覚の後に尻もちをつく。
男は大きな舌打ちをした。
「やはりただのガキだな。修行の足しにもならん」
腹の奥に再び重い衝撃を感じた。殴られたのか、蹴られたのかさえわからなかった。
「立とうとするなよ。そのまま寝てろ。お前はもういい。肝要なのはこの女の方だ。こいつと荷物さえ持ち帰れば連中もそこまでうるさくはないだろう」
男はマーブルの方を向いた。
「……おい、待て」
俺は立ち上がった。身体の奥からずんずんと鈍い痛みが響く。でも、今は痛みに構っている場合じゃない。
「マーブルは連れて行かせないぞ」
「大人しく寝ていれば殺したことにしておいてやると、そういうつもりで言ったんだがな」
男はこちらの方を向かないまま喋った。
自分が無性に情けなくなる。相手が背中を向けているのに、俺は襲いかかるどころか足が震えて動けない。
俺は両膝を手で無理やり押さえつけた。
「マーブルをどうする気だ」
「知らん。気になるなら自分で聞くんだな」
男はこちらを振り返ることもせず、寝ているマーブルの首根っこを掴もうとした。
「やめろ、その子に触るな!」
俺は恐怖を振り払うように男の方へ駆け寄った。男の腕を掴もうとしたが、瞬きの間に男の姿は消えた。
「邪魔をするな」
低い声が頭の後ろで聞こえた。一瞬のうちに背後に回ったのだ、と気付いた時には、俺は地面に倒されていた。
「がっ!う、ううっ!」
後頭部を片手で押さえつけられている。ものすごい力だ!
俺は手足をばたつかせるが、まったく無意味だ。逆にどんどん顔面が土にめり込んでいく。
「お前はただの放浪人だろう。元いた世界に帰れ。俺が手加減しているうちにな」
頭を押さえつける手を掴み、なんとか引き剝がそうとする。
「マーブルに……近付くなっ」
「弱者の言い分に耳を貸す敵がいるか」
髪を掴まれたまま身体を起こされ、背中に蹴りを入れられた。それも二発。
勢いよく土にダイブする。
「そのまま寝ていろ。次はないぞ」
寝ていられるわけがない。俺は三度立ち上がった。
「ふざけるなよ」
そう言ったのは俺の方だ。冷静な男の表情がかすかに強張る。
「手加減だの、殺したことにしておいてやるだの、なめてるのか。お前なんて、刺客失格だ!」
「……あ?」
「……いや、違うぞ。今のは別にシカクとシッカクをかけたわけじゃ――ぐえ!」
みぞおちに蹴りが――ぐおお、痛い!!
「雑魚が。これ以上、お前に割いてやる時間はない」
俺は奴の蹴り足を掴んだ。
「お前……そんなに死にたいか」
「死にたいわけないだろ。だから足掻いてんだ」
「馬鹿が、見逃してやると何度言えばわかる」
「そりゃありがたい。マーブルも一緒ならな!」
掴んでいた足を力一杯横にそらした。体勢を崩した隙にお見舞いしようとしたパンチは、呆気なく止められた。止められたパンチを引っ張られ、逆に体勢を崩した俺に容赦なく蹴りが放たれる。膝、太もも、腹、胸、頬……下半身から上半身へ、五発の蹴りを喰らった俺は、魂が抜けたかのようにその場に崩れ落ちた。
鋭い舌打ちが聞こえる。男は何か苛立っている様子だ。
ムカついているのはこっちも同じだ。俺は立ち上がる、何度でも。
「どうやらお前はただの人間じゃないようだな」
「俺もそう思う」
神隠しに三度も遭う人間なんていないだろ、普通。
そういう意味で同意したが、男の言いたいことは違う意味だった。
「並の耐久力ではない。しかも立ち上がりが早くなっている。なんだお前は」
激しく咳き込んだ。その度、身体の内側からハンマーで叩かれるような痛みに襲われる。
「いでででで……くそっ」
折れているんじゃないだろうな、これ。
「次はもっと強くいくぞ」
「ええ!?鬼かよ!もうわかったでしょ、俺は弱いって!こんな弱い奴相手に本気ぶつけてどうするんだよ」
自分で言ってて悲しくなった。でもそれが事実だ。
「本気の手前だ。構えろ」
「いやいやいや!俺、戦闘キャラじゃないし!」
どん、と地面を蹴った音だろうか。
男の身体が勢いよく飛び込んでくる。目の前に急接近してきたのは、男の膝だ。膝蹴りが顎にヒットする。ガチン!と勢いよく歯がぶつかる音。すぐに口の中に鉄の味が充満した。
「まだだ」
間髪入れず、顔面に強い衝撃。拳や脚が四方八方から飛んでくる。
俺は両腕で頭をガードするような体制でうずくまった。しかし、膝が地面に着くよりも前に、一段と強い衝撃が顎から脳天を突き抜けた。
仰向けで倒れる寸前、男の拳が見えた。
アッパーカットかよ……。
全身が痺れるような感覚。あちこちに激しい痛み。
顔が熱い。
口の中が鉄臭くて気持ち悪い。よだれと血が混ざったものが垂れ流し状態だ。
頭がぐわんぐわんする。景色が右へ左へと揺れている。
どうすればいい?
マーブルを抱えて逃げ切れるような相手じゃない。ていうかもう立っているのがやっとの状態で、ぴゅうと風が吹いただけで倒れてしまいそうだ。
どうすればいい?
俺が泣いて謝り、見逃してもらえても、マーブルが解放されなければ意味がない。
逃走手段を考えた時に真っ先に思いつくのは神隠しだけど、神隠しは俺だけではなく周囲の人間も巻き込むと証明されたばかりだ。この男と一緒に消えてもなんの意味もない。大体、起こし方のわからない奇跡に頼るわけにもいかない。
……じゃあ、もう戦うしか……。
『戦え』
「――!!え!?」
閉じかけた目がばちっと開き、飛びかけた意識がぐっと引き戻される。
頭の中で声が響いた。その声に叩き起こされた。
そうだ。俺には戦う術を授けてくれた師匠がいたんだ。
ほう、と男は感心そうに呟いた。
「今度は倒れもしない。立ったまま気絶したかと思ったが、どうやら意識は正常だな」
「……ちょっと待って」
「なに?」
「ちょっと待てよ」
俺は記憶喪失だったのかと思うほどの強烈なフラッシュバック。
鮮烈に蘇る十年前の記憶、そのほんの一ページ。
そうだ。そうだよ。
俺は戦える!
十年前にさんざん鍛えられたじゃないか!
自分の身は自分で守れと。最低限の力は身につけろと。そう教えられたじゃないか。
「はは……」
日常に帰還した俺は平和ボケのあまりこんなことも忘れていたらしい。
泣こうが喚こうが、逃れられない暴力が存在する。
死にたくないなら抗うしかない。抗うためには力がいる。
力がなければ何も守れない。
そんなの、当たり前なのに。
「不気味な野郎だ。気でも触れたのか」
「武器を使ってもいいか?」
俺の質問に、男はかすかに眉を動かした。
「なんだと」
「いや、だから武器だよ、ブーキ」
口の中に溜まっていた血を吐き出した。少しすっきりした。
「俺はあんたに素手じゃ勝てない。だからさ、このままやり合っても、あんたからすれば弱い者いじめになっちゃうんだけど、それはあんたのプライドが許すのかなと思って。殺し屋じゃないんだろ?あんた」
頭が冷静になると口が回る。
よし、いい感じだ。
「気に喰わんな。武器を持てば俺に勝てると言っているように聞こえる」
「そこまでは言ってないけど……まあ、いい勝負にはなるかもね」
思わず笑みが零れた。どういう意味の笑顔なのか、自分でもよくわからなかった。十年前の思い出が蘇ったせいなのかもしれない。
時間にして五秒ほど、お互いに一言も発さなかった。
先に口を開いたのは、相手の方だった。
「上等だ」
心なしか、口元が少しだけ綻んでいるように見えた。
「そもそも俺の許可を得る必要はない。問答無用で仕掛けてきたのは俺の方だ。武器でもなんでも好きに使えばいい」
「サンキュー。そう言ってくれるような気がしてた」
俺の素直な感想に男は怪訝そうな顔をした。
「三、九……?」
「あ、悪い。こっちの言葉でありがとうって意味だ。武器を調達するから、ちょっと待っててくれ」
こいつ、思ったより悪い奴じゃないな。フェアな戦士だ。
俺はいくつかの木を見比べ、ちょうどいい太さの枝を探した。
「お。あれならいけるかな……」
めぼしい木の側まで行き、軽く助走をつけてから幹を蹴り、飛んだ。手を伸ばして目当ての枝にぶら下がり、懸垂の要領で体重をかけて枝を折った。そのまま地面に着地する。
折った枝には葉っぱや木の実がついている。
「ごめんな」
一応、木に謝ると、俺は枝をフルスイングした。
枝についていた葉っぱや木の実のほとんどがあちこちに散らばった。木の実は後でマーブルに食べさせようかな。
「ふむ。少し長いかな」
足元に枝の先端を叩きつけ、折った。
こうして、バットよりも少し長いくらいの『いい感じの木の枝』が完成した。太さも申し分ない。
「お待たせしました。さて、やろうか」
男は長い息を吐いた。
「名乗っておいてやる。俺の名はシバ・羅閃。羅漢の戦士だ」
「俺は犬房一志。通称イッチ。よろしく」
それ以上交わす言葉はなかった。
お互いに戦いの構えに入る。
羅閃という男の目には、最初ほどの冷たさはもうなかった。あるのは、純粋な闘志。
それはたぶん、俺の方もだ。
一陣の風が吹き、木の葉が舞う。
俺と羅閃は、同時に仕掛けた。




