ヴァナヘイム
1
同じ時間、同じ頃。
氷室氷河は、とある古びたゲームセンターにいた。
そのゲームセンターは、ほとんど人がおらず、ただテーブル筐体のゲームが寂しくデモを流し続けていた。
氷河はその中を、何か失った大切なものを探すかのようにゆっくりと歩いていた。
しかしそこに探しているものは何もないことを自分自身がよく知っていた。
あの時と何も変わっていない。と氷河は思う。
ここには何もない。そんなことは最初から分かっていた筈だ。
それなのに何かが見つかるという淡い期待を追い求めていた。
ゲームセンターの名前は「ヴァナヘイム」。氷河のかつてのホームのゲームセンター。
皆が居た場所。そして今はもう誰もいない場所…
「何もないのね。ここにはもう何も…」氷河は悲しげに呟く。
解っていたはずだった。既にここは奪い尽くされていた。アースガルドに、久遠零に。全ては3年前のあの時に。
それなのになぜここに来たのだろうと考えた。
「…私達がどんな思いで次の斗激に挑むか…どんな決意でアースガルドに挑むか…相馬は忘れてしまった」
私はそれを思い出すために、自分を戒めるためにここに来たのだ。
アースガルドの「英雄狩り」によりすべてを奪われ、滅んでしまったヴァナヘイム。
懐かしいはずのこのゲームセンターを見ても氷河は何も感じなかった。
自分を戒めるための決意も、ホームを奪われた怒りも、アースガルドに対する恨みも何もかも
氷河の心に沸き起こることはなかった。
僅かにえも言われぬ懐かしさと、虚しさだけが心に残った。
「…私が間違っているの?みんなの仇を取りたいと思っている私が…?」
仇と口に出してみたものの、ただその言葉だけが虚しく響いただけで、
もはや仇が誰の事なのか氷河にはわからなかった。
「久遠零…それとも…凍河兄さん…?」
ヴァナヘイムを奪った者達の名を呟くが、氷河には憎しみも恨みも蘇らなかった。
既に自分も知らない間にとっくにホームに対する郷愁は失われたのだろうか。
そう思うと氷河は微かに怖くなった。思い出に対する無感動と己の冷徹さに。
アースガルドに奪われたヴァナヘイムはとうの昔に氷河にとりどうでも良い存在になっていたのだ。
既にここは氷河にとっては縋り付くような思い出の場所では無かったのだ。
「私は…何のためにサードをやってきたんだろう…。誰よりも強くなろうと思っていた。
そしたらこの場所が取り戻せると…でも、もうとっくに私はどうでも良くなっていたのね…ここが…」
ここには何もない。分かっていたのに何故来たのだろう…その理由を氷河は悟った。
…既にここには何もない。そして私の心には何もない。と確信するために来たのだ。
ヴァナヘイムは失われていた。
ここにはもう二度と来ることはないだろう。氷河はそう思うとヴァナヘイムを後にしようとしたその時、最奥の壁にふと目に入るものがあり、思わず駆け寄った。
近付いてみると、それは色あせた手書きのトーナメント表だった。
そしてそのトーナメント表の一番上には、拙い字でこう書かれていた「第16回サード大会」と。
そこには嘗てのヴァナヘイムのプレイヤー達の名前が蕩蕩と書き連ねてあった。
その中には相馬香湖の名前もある。そして氷室氷河の名前も。
氷河は思わず手のひらで、その色あせたトーナメント表を撫でた。
まるで探していた大切な宝物を見つけた子供の様に。
その大会の日付は3年前の4月。ヴァナヘイムで行われた最後のサード大会の日であった。
ヴァナヘイムは変わっていなかった。全てが失われた時のまま、刻を止めて待っていたのだ。
そして今再びときが動き出すのを感じた。
氷河は微笑を浮かべ呟いた「ただいま…」と。
その時突然後ろから「氷河ちゃん?」と声をかけられて氷河は驚いて思わず振り向いた。
2
後ろに立っていた男は氷河にとって懐かしい顔だった。
嘗てのヴァナヘイムの常連で、氷河ともよく対戦していたプレイヤーであった。
「鳴庭さん…?」氷河は懐かしさ半分、戸惑い半分といった感じに訪ねた。
鳴庭は屈託ない笑顔を見せると「やっぱり氷河ちゃんか!久しぶりだね!」と心底懐かしそうに云うと
「3年ぶりくらいかな?君をここで見かけるのは?」と聞いた。
氷河は頷くと「鳴庭さんは今でもここに来てるの?」と尋ねる。
鳴庭は寂しげな表情を浮かべ首を横に振る。
「いや。俺もあの時以来ほとんどここには来ていないよ」と云うと氷河の後方に目を向けた。
氷河は鳴庭の視線を追うように後ろを振り向くと、視線の先にはあのトーナメント表があった。
「覚えてるかい?氷河ちゃん。ちょうどこの大会があっている時だったよね」
氷河は頷いた。覚えている。忘れられるはずがない。
「ここももう昔の面影は無くなったね。あの時を堺に…ここは死んだんだな。別に今更無くなった所でなんの感慨もない…」
氷河の心臓が波打つ。
「ヴァナヘイムが無くなる?」氷河は努めて冷静に鳴庭に尋ねる。
鳴庭は意外そうな表情を浮かべ「え?知らなかったの?俺はココが無くなるのを知ったから来たんだと思ってた。懐かしむために」と云った。
「ここに私が来たのはただの偶然。でも…」何かの予感はあったのかもしれない。
「…そうか。ヴァナヘイムも氷河ちゃんに別れを告げたかったのかもしれないな」と言うと、鳴場は古びたトーナメント表に目を向け、「氷河ちゃんはまだサード続けてるの?」と聞いた。
氷河は頷くと鳴庭は微笑を浮かべ「そうか…。凍河も続けてるのかい?」
氷河は少し表情を曇らせたが、努めて無感情に「続けている。と思うわ…」と答える。
「そうだろうな。アイツだけは何があってもサードをやめないだろうな」
そう言うと鳴庭は再び懐かしむようにトーナメント表を見つめた。
「懐かしいな。このトーナメント。最後のサードの大会。
3年前のをまだ貼ってあるなんてここの店長も呑気なもんだな」
鳴庭の言葉を聞きながら、氷河は漠然とこれは剥がし忘れられたものではないと思った。
そのトーナメントは未だに決勝が行われておらず、優勝者の名前が書かれていなかった。
絶対に行われないであろう決着の時を、それでも頑固に待つように静かにそこに存在していた。
「潰れるまで貼っておく必要もないだろう。こんなものさっさと剥がしちまおう。全く嫌な思い出が蘇ってくるよ」そう言うと鳴庭は壁から引っ張り剥がそうとトーナメント表に手をかけた。
「待って」思わず声がでた。
剥がさないで欲しい。と氷河は思った。
ファイナリストの名前には氷室凍河と言う名前がか書かれている。そしてもう一人は氷室氷河と書かれていた。
「…まだ。この大会は終わってない…」氷河は小さな声で呟いた。
誰もが忘れているであろう小さなゲームセンターで行われた、取るに足りない小さな大会。
だが氷河にとっては大きな喜びと、感動があった。
氷河が初めて決勝まで進んだサードの大会。
しかし決勝戦は行われなかった。何故ならばその時、アースガルドの英雄狩りが現れて、すべてを奪ったからだ。
しかしたとえ誰が忘れていようと、誰が望んでいまいと、氷河は、氷河だけは未だに決勝戦を待ち焦がれていた。
「…私は、ずっと…待ち望んでいた…」
しかしそれは果たされない。ヴァナヘイムはもう時期なくなる。すべての思い出を飲み込んだまま。
氷河はあの刻のことを昨日のことのように思い出していた。
3年前の4月の某日。ヴァナヘイムはサードの大会に、にわかに活気づいていた。
たかだか小さなゲームセンターの、しかも殆どがホームのプレイヤー数十人だけが集まる、謂わば身内だけの大会だったが、確かに活気があった。
皆、楽しげにプレイしていたし、勝っても負けてもわきあいあいとしていた。
ただ一人だけ、この大会を終始侮蔑と冷笑をもって見ている目があった。しかしその人物にはヴァナヘイムの誰も気がついてはいなかった。
大会の熱気はそんな悪意あるものの存在を完全に隠し、消し去っていたのだ。
現在既に大会も半ば終わっており、後は決勝を含む数試合が行われるのみとなっていた。
そして氷河は一足先に決勝戦まで駒を進めており、決勝の相手が決まる目の前で行われている試合を厳しい眼差しを向け見ていた。
まだあどけなさの残る氷河の眼差しはしかし、今と変わらない確固たる強い意志の感じられる怜悧な強い煌きがあった。
対戦しているのは氷河の兄、氷室凍河と、今より大分幼い感じのする相馬香湖だ。
モニタでは凍河の操る赤いダッドリーと香湖の豪鬼が戦っていた。
既にダッドリーが一ラウンド目を制しており、現在の2ラウンド目も体力的にダッドリーが優勢で試合は運ばれていた。
厳しい表情の香湖に比べリードしているとうがの表情は涼しげだった。
最も、凍河はいつもどんな試合の時でも涼しげで余裕の表情をしていた。実際には負け試合は極めて少なかったのではあったが。
「強くなったなー香湖。この前まではよちよち歩きだったくせに」と凍河はモニターの向こうの香湖に嫌味なく言った。
しかし香湖は何も言わなかった。今の劣勢を翻そうと必死でその声は聞こえていなさそうだった。
実際豪鬼の試合運びは苦しそうで、どんな攻めもダッドリーに返されていた。この時は完全に凍河のダッドリーが一枚上手であった。
結局試合はストレートでダッドリーが制し、凍河が決勝まで駒を進めた。
香湖は試合後小さく息を吐くと試合中の厳しい表情とは打って変わって穏やかになり短く「流石だ…」と呟いた。
凍河は当然といった笑みを浮かべ立ち上がると「まあ、まだお前に負けてやるわけには行かないなあ香湖」と余裕を含む声で言った。
試合を見ていた氷河は香湖のそばにいくと「いい試合だったわ香湖。兄さんはああ言ってるけど、結構余裕なさそうな立ち回りだった」と労うと香湖は首を横に振り
「いや、完敗だ。凍河は強い」と全く香湖らしい率直さで云った。
それを傍らで聞いた凍河は「嬉しいねえ香湖。いつもながら可愛らしい事言いってくれて」と飄々と云った。
氷河はと眉根を寄せると「そういう軽い所なくした方がいいわ」と凍河に冷たく言った。
氷河は本当に常常そう思っていた。兄のそういう軽々しいところがあまり好きではなかったのだ。
「なんだ氷河?嫉妬かい?お前も可愛いところあるじゃないか」凍河は相変わらず飄々と云う。
「余計なお世話!」氷河は語気を強めて言うと「兄さんは卑怯よ!そんなこと言って私を怒らせて、集中力を見出そうとしてる!」
凍河は「まさか」と言う風に肩をすくめ「お前を怒らせるなんて馬鹿な真似はしないよ」と言った口ぶりは満更嘘でもなさそうだった。
二人の言い合いを見ていた鳴庭が愉快そうに
「さあさあ!折角の兄妹での決勝戦だ。兄妹喧嘩なら、サードでやろうじゃないかお二人さん」と二人の肩を抱き筐体の方に促す。
氷河は促されるままに筐体に脚を運ぶ。このヴァナハイムのサード大会で初めての決勝。氷河は何だかんだで、それが嬉しかった。
しかも相手が兄の凍河。相手にとっても不足はなかった。
「兄さん、手加減は無しよ」
「当たり前だ」
二人は筐体に着いた。ヴァナヘイムは一番の熱気に包まれた。
喧騒の中、不意に「こんなレベルの低い大会で喜べるなんて羨ましい」と云う声が響いた。
その嘲りの声にヴァナヘイムの熱気は急速に引いていった。
やがて辺りは静まり返った。
氷河は、立ち上がると声のした方を振り返った。そこに立つ男の顔を氷河は見たことはなかった。
氷河は嫌な気持ちがした。どこの誰かは解らないが、妙な野次を入れて、折角の決勝戦を台無しにしないで欲しいと思った。
皆一応に男を睨んでいる。しかし男は意に介す素振りも見せず薄笑いを浮かべて凍河を見ている。
殺伐とした雰囲気の中凍河だけは楽しげな笑みを浮かべ男を見返していた。
「ふーん。いきなり面白い奴が来たな。誰?」凍河は男を睨めつけながら言った。
男は相変わらず薄らわらいを浮かべながら「アースガルドの高梨って言うもんだけど。どうもここは期待はずれみたいだね」と嫌味を帯びた声で言った。
アースガルドという言葉を聞くと、辺からざわめきが起こった。みんな知っているのだ。
アースガルドが地元で一番のサードの聖地で最もレベルが高いゲームセンターであることを。
しかし凍河は相変わらず飄々として「へえ、アースガルド?嬉しいねえ、こんなところにも現れるなんて」と言った。
しかし氷河はアースガルドを聞いて、真っ先に噂になっている「英雄狩り」の事が頭によぎった。
「英雄狩り」とはアースガルドの「久遠」と言うトッププレイヤーが行っている、
各地のゲームセンターに居る名うてのサードプレイヤー達のアースガルドへの引き抜きに対する蔑称である。
噂ではアースガルドでは各地のトッププレイヤーを一堂に集めて、サードを賭けの対象として行っているということらしい。
アースガルドで、トップになればそのプレイヤーのも大金が入るので行きたい者は後を絶たないらしい。
そして何にしてもそうやって引き抜かれたプレイヤー達がいなくなったゲームセンターの多くは寂れ消えていった。
消えていったゲームセンターに残されたプレイヤーたちは恐れと憎しみを込めてこれを「アースガルドの英雄刈り」と呼んだ。
それが事実であるかどうかは解らないが、氷河もその噂だけは聞いたことがあった。
氷河はそのアースガルドの英雄刈りが目の前にいる事が嬉しかった。
このヴァナヘイムにも現れたということは、それなりに名の通ったゲームセンターになった証拠だと思えたからだ。
勿論この男の言ったレベルが低いと言う言葉には納得できなかったが、しかしすぐに撤回させてやる自信は氷河にはあった。
「ここで一番強い人誰?」高梨と名乗った男は不躾な態度であたりを睨めつけながら言うと、視線を氷河に向けた。
氷河は身構えたが、英雄刈りの目にとまって内心悪い気持ちはしなかった。
しかし高梨と目が逢った瞬間、その目には侮蔑の色が見えた。
氷河を見下すように嘲笑を目元に浮かべると歯牙にも掛けないと言う風に無視をして、高梨は視線を傍らの凍河に向けた。
「まあ、ここではあんたが1番マシみたいだな。ダッドリー使い」高梨は横柄な態度で凍河に言った。
氷河は高梨の視界には完全に入っていなかった。それは氷河にとって何よりの屈辱だった。
「嬉しいねえ。アースガルドの方にお褒めに預かり光栄の至りだが。悪いが消えてくれないかい?」
凍河は笑顔で言った。しかしその笑顔の裏には、抑えきれない怒りが滲み出いていたのが氷河には分かった。
高梨はしかし平然と嘲笑を浮かべていた。凍河は多少の怒りを顔ににじませながらしかし努めて平静を装いながら言った。
「今は大会中でね。お前の相手は決勝戦の後でいくらでもやってやるよ」
「はあ。その可愛いおチビちゃんとのかい?…ククク、良いよ。でもさっさと終わらせてくれよ。無駄に待つのは嫌いなんだよ」
高梨は再び侮蔑の視線を氷河に向けながら言った。まるで決勝戦は時間の無駄だと言わんばかりだった。
最早、氷河は我慢できなかった。氷河は怒りに任せ高梨に勝負を挑もうと思った矢先に、凍河は氷河の肩に手を掛ける。
そして耳元で小声で「気にするなよ氷河。コイツからは何も感じない、お前の方が強い。そんなに怖い顔するな、可愛い顔が台無しだぜ」と優しく、しかし力強く言うと
行き成り高梨の襟首をグイと掴んで凄んだ。
「おいお前。待つのが嫌なら先にお前と戦ってやる。
お前たちはいつも戦う前にこう言うらしいな?『我々が勝ったら、我々のために戦え』と?じゃあ俺はお前にこう言うよ。
俺が勝ったら何も言わずにここから出て行け。そして二度と顔を見せるな」そう言うと掴んでいる襟首を離した。
高梨はなおも余裕を崩さず薄笑いを浮かべると「意外に短気なんだな。イイよ、俺が負けたら二度と顔を見せないよ」と言った。
凍河は不愉快に眉根を寄せると「氷河すまないな、先にこいつと戦う。コイツの口ぶりはどうにも許せないんでな」
と言うと何時もの飄々とした笑みを浮かべ「まあ少しお前との戦いが遅れるだけだ」と肩目をつぶった。
氷河は何も言わず黙ってい頷いた。兄の気持ちが分かって何も言えなかったのだ。
「さあ席に付け。俺も無駄な時間は早く終わらせたいんでね」凍河が言うと高梨は薄らわらいを浮かべゆっくりと筐体に着いた。
何もかもを見下したような馬鹿にした態度だった。
ヴァナヘイムの人々は皆凍河に絶大な信頼を寄せ、黙って見守る中戦いは始まる。
凍河はダッドリーを選ぶ、そして高梨はユリアンを選んだ。
この組み合わせはややユリアンに分があると感じ、氷河の手に思わず力がこもった。
立ち回りはの安定性はユリアン側に、そして起き攻めの爆発力はダッドリー側にあった。
数試合を行う長期戦ならばダッドリーの不利は否めないが、一試合だけの短期戦ならば、ダッドリーの爆発力は十分に生かせるだろう。
「嫌な奴は嫌なキャラ選ぶぜ」と凍河は笑みを浮かべいった。
SAは凍河はコークスクリューブロー、高梨はエイジスリフレクターを選択した。
そして試合が始まった。
ユリアンの長い脚は常にダッドリーの間合い外から牽制力を示し、立ち回りのイニシアティブを握る。
それを嫌がり、潰そうと立ち大Pを振ると出際をチャリオットタックルで潰される。
チャリオットタックル事態も厄介で、
ブロッキング以外で反確が取りにくくダッドリーの主力の置き技の大Kを潰される。
そうやって立ち回りで負け始めたダッドリーは、技を振れず、
対応一辺倒になりゲージを貯めたユリアンにジリジリと画面端に追い詰められてエイジスリフレクターで二択を迫られる。
果たしてこの試合もそのような様相を呈して来るように思われた。
高梨のユリアンは牽制に秀でており、タックルは必要最低限に抑え、
しゃがみ中kを多用し、リスクを抑えながら嫌らしくゲージを貯めていった。
凍河は差し技を最小限に抑え、ユリアンの牽制をガードしている。ゲージはお構いなしに貯めさせているようだった。
技を出さず固まるダッドリーに対して、ユリアンはダッシュ投げを仕掛ける。しかし投げは通らない。
ジリジリした試合展開である。高梨がリスクを抑えた戦いをしているので、凍河もそれに合わせている。
後ろで見ている氷河の額にも汗がにじむ。高梨が口先だけの男ではないことがわかる。
高梨の立ち回りは決して凍河を過小に評価していなかった。そして絶対に勝つという信念で動いていることが解る。
しかし、と氷河は思った。凍河に慎重に立ち回るということは、必ずしも有利には働かない。
高梨のユリアンは有利な技をガンガン押し付けてプレッシャーをかけて行くべきだった。
何故ならば凍河は慎重に戦う相手を得意としていたからだ。
不思議なことに格闘ゲームプレイヤーは、対戦相手のプレイスタイルによる噛み合いの得手不得手が必ずと言っていいほどある。
慎重なプレイスタイル、攻めるプレイスタイル、ガードが硬い相手、ブロッキングが多い相手、起き攻めの様子見の多寡。
知識無視の野生のプレイスタイル、理論重視の手堅い戦法。そのほか数多のプレイスタイル。
その戦い方の強くてでどの戦い方が弱いか、そんな事は永遠に出ない結論である。
高梨の戦い方は決して間違ってはいなかった。偶々、高梨のプレイスタイルが、凍河の得意とするプレイスタイルだっただけだ。
高梨は凍河のダッドリーを崩せなかった。追い詰めるのだが、最後のひと押しが決まらない。
そのひと押しを決めるためには、リスクを追わなければならない。高梨にはソレが出来なかったのだ。
ダッドリーはゲージが貯まると、逆にリスクを恐れず、ガンガンとユリアンを押して行った。
ユリアンは防戦一方になった。そうなるとダッドリーの勢いを止めることはできない。
画面端を背負うユリアン。二択、二択、二択。
「…馬鹿な…なんで俺がこんなやつに…」
高梨は叫んだ。試合は終わった。
ヴァナヘイムは未だかつてない歓声に包まれた。凍河の完勝だった。
氷河も嬉しくて思わず拳を握り締め、小さくガッツポーズすると凍河に駆け寄ると
「兄さん、ちょっと危なかったんじゃない?」と冷たく言った。
「そうかい?」と言った凍河は満更でもなさそうな笑みを見せた。
「アースガルドと言っても俺たちとそれほどレベルは変わらない。氷河、アイツよりお前の方が強かった。
あいつは慎重で丁寧だったが、お前の方が余程面倒くさい相手だ」
氷河はその言葉が嬉しかったが、努めて厳しく表情を作ると
「それじゃあ早速相手になってあげるから。決勝戦を始めましょう」と言った。
しかし意外にも凍河は表情を曇らせ、氷河の後方に視線を向けた。
氷河も凍河に釣られ後ろを振り向いた。
そこには3人の見慣れない者達が佇んでいた。
そしてそれを見た瞬間、氷河は戦慄を感じ、凍河が高梨に勝利した喜び等は束の間のものだと悟った。
「まさか!あんたが来るなんて!」
高梨は、その3人に気が付くと恐れるように立ち上がって叫んだ。
3人組の一人、ジャケットを着た長身の男は冷たい視線を高梨に向けただけで何も言わなかった。
その替りに隣の革ジャンを着た背の高い女が嬉しそうに「ふーん、あのダッドリー使い強そうだね。あたしも来た甲斐があった」
と粗野な口ぶりでいうと、凍河に視線を向けた。
その3人の中で一際目を引く者が居た。それは明らかにまだ幼い少女だった。
少女は美しい瞳を細め嬉しそうに「零。あの人で最後」と凍河を指差して言った。
零と呼ばれた長身の男は小さく「そうか」と呟いた。
その後でサクヤと少女の名前を呼んだのが氷河の耳に印象深く響いた。




