由縁
1
緑川は皮肉な笑みを浮かべ、席を立つと楔に「酷い見世物だったろう?」と云った。
楔は首を横に振り、「いや」と云うと、労う様に緑川の肩を叩き
「いい試合だった。昔のお前を思い出したよ」と感慨深く云った。
緑川はそれを憎らしげに振り払うと、何時もに冷静さを失ったようにいきり立って
「気に入らないな!そうやってお前は何時も高いところから見下してる!」と叫んだ。
楔は無言で緑川を見つめる。
「…あの時もそうだった!君がオセロットを去るときだ!お前は僕を蔑んだ
!あのユン使いから逃げたと無言で非難してた!僕は闘ったぞ!」
と云って画面に映し出されているユンを憎憎しげに指差した。
「笑いたければ笑えよ。僕は負けた。…オセロットに泥を塗った」
そう言って緑川は掌で額を押さえた。
「でも、僕は逃げなかった。いや、いつだって逃げるつもりは無かった!
あの時の英雄狩りの時も!僕は闘えたんだ。…でも僕はやらなかった…。
皆、君に期待したからだ…。僕はオセロットを好きだった…でも、オセロットは僕を選ばなかった」
周囲の嘲笑の中、楔は黙って緑川の言葉を聴いている。
「上代がユン使いに負けた時、僕は内心ほくそえんだ。
邪魔者が一人消えたとね。そして君がオセロットを去るとき、僕は狂喜したよ。
僕の元にオセロットを取り戻せるってね…」
白水と中条も神妙な面持ちで、緑川の言葉を聞いていた。
ただ高梨だけが不愉快な薄笑いを浮かべていた。
緑川は周りの事など気にもせず話し続ける。
「…でも、矢張り僕はこの程度だったんだ。僕はオセガミにはなれなかった。
君がアースガルドの『選定者』を倒したようにはなれなかった」
そう言うと緑川は俯き、拳を握り締めた。
楔は「馬鹿野郎」と言うとテンガロンハットを脱ぎ緑川に被せた。
「詰まらん事云うなよ緑川。そんな事考えてちゃ面白くないだろ。
強い奴と対戦できたら負けても楽しい。そう考える方が楽しめる。
それを忘れてたんだよ。俺もお前も、オセロットもな」と言うと楔はハットを力任せに緑川の頭に押さえつけた。
「悔しくて泣く。お前も思い出した様だな」
緑川は肩を震わせていた。
がその顔は目深に被ったハットで見えなかった。
楔はコインを握り締めると、黙ってモニターを見つめた。
辺りのザワメキは何時の間にか静寂に変っていた。
楔は笑みを浮かべると、静かに筐体に向い腰を下ろし、コインを投入した。
乾いた電子音が静寂の中に木霊した。
2
静寂の中。楔は思った。目の前のユン使いの事を。
下沢、上代、白水、緑川がこの一人のユン使いによって破れた。
オセロットの傲慢を打ち砕いた目の前のユン使い。しかも更なる傲慢によって。
全てをあざ笑うかのような、完璧な強さと、無邪気さと、傲慢さ。
「俺が負ければ、オセロットは5立てか」楔は呟く。
これが斗激ならば、最早後が無い状況だ。
「まあ、精精楽しむとするか」そう言うと楔はスタートボタンを押した。
『NOW,FIGHT A NEW RIVAL!』の文字が画面に踊る。
楔はアレックスにカーソルを合わせると弱Kボタンを押した。
スーパーアーツはブーメランレイドを選択する。
ユンは引き続き幻影陣を選択した。
浅黒い肌の弱Kカラーアレックスに対して赤い胴着の強Kカラーのユンが互いに対峙する。
画して闘いは始まる。
ラウンド開始直後、ユンはノーゲージの状態から雷撃蹴でアレックスを攻め立てる。
アレックスはバックダッシュで距離をとると雷撃蹴の間合いを外しながら、自分のペースを維持するように立ち回る。
更に雷撃蹴で攻める。アレックスはガードする。
そこからユンはバックジャンプして再び間合いを離すが、アレックスは一度だけ前ダッシュをして画面端を嫌うように位置を中央に戻す。
再びラウンド開始時直後の立ち位置に近い状況になったが、一つだけ違う事がある。
ゲージの量である。ユンのゲージは既に1/3程溜まっていた。
ユン側が速い展開で攻めたのは、攻撃をガードさせゲージを溜める為である。
ユンが深追いはせず、楔のガードが固いと見るとバックジャンプで間合いを取ったのは
攻撃が本線ではなく飽くまでもゲージ溜めにあることの証左である。
楔はそこで深追いはせず、中間距離で攻めるタイミングを見計らって前後に動く。
ユンはそんなことは気にする素振りも無くしゃがみ中Pを振りゲージを溜めている。
「…なるほど。セオリーどうりの動きだ」楔は呟くと、歩いて間合いを詰める。
そうする事によって、ユン側が攻撃を空振りしてゲージを溜めにくくなるからである。
ユンは更にバックダッシュして再びしゃがみ中Pを二度三度振ると垂直ジャンプ雷撃蹴からアレックスに強襲をかけた。
楔はガードするとユンはそこから再び前に跳ぶとめくり気味に再び雷撃集を繰り出す。
そして背中側に落ちたユンは其のまま画面中央に再びバックジャンプしてゲージを溜め始める。
逃げ回るユンを捕まえる事は、アレックスにはなかなか困難である。しかも那由他のユンは巧みに画面端を背負わないように立ち回っている。
ユンのゲージはもう少しでマックスになる。
「…勝つための行動を徹底しているな。…そう来なくちゃ面白くない」
楔は愉快そうに呟く。
1Pの楔側の後ろで見ていた亜弓は、香湖に「…あのユン逃げ回ってばっかりだね。何か」と面白くなさげに云った。
しかし香湖は同意せずに「あのアレックス使いは、ユンにプレッシャーを掛けている。前に出ることでな。
お前も蓮華との対戦で分かったはずだろう。前に出られることのプレッシャーを?」と云う。
亜弓は頷くと「焦るよね。焦って攻めたくなるよ」と真面目な顔で答える。
香湖は軽く頷くと「しかしあのユンはそれを平然といなしながらゲージを溜めている。攻めと待ちと逃げを使い分けながらな」
「…あの赤いユンはそういう戦いにも慣れてるんだね。…」との亜弓の問いに香湖は無言で頷く。
「と言うかまだあのユン使い誰だか見てなかったよ」と云った亜弓に香湖は
「那由他だ。ここに来た時からずっと勝ち続けている」と平然と云った。
亜弓は少し驚き、確認のために2p側を覗くと「ホントだ。あの人強いんだね」と楽しげに云うと
「でもさっきのレミー使いの人には全く使わなかったのに、極端だね」
「あのアレックス使いの強さを察したか、或いは…」そう言うと香湖は厳しく画面を見つめた。
「あ、あの黒いアレックスの人。もしかして(もぐもぐ)」と行き成り何処からともなく現れた百合夏は何か饅頭のようなものをパクつきながら云った。
亜弓は驚くと「さっきから見かけないと思ったら行き成り驚かせないでよ!百合夏!…どこ行ってたんだよ?」
百合夏は笑顔でぱく付いていた饅頭を全て頬張ると飲み込み、暫くして落ち着くと「ちょっとお腹が減ってたから、一階のフードコートでお饅頭を」
といって手に持っていた袋から魚の形をした饅頭を取り出して見せた。
「むっちゃん饅頭て云うんだって。桜に教えてもらって買ってきたの。むつごろうの形をしたお饅頭」
亜弓は呆れたように溜息をつくと「百合夏、氷河がいたら怒るよ。
『レベルの高いプレイヤー同士の試合は見ているだけで勉強になる(キリッ)』ていつも言ってるじゃない!」と氷河の物まねをしながら云う。
百合夏はくすくすと笑うと「アハハ。似てる似てる。ところで亜弓は何味がいい?
えーとハムエッグにバーガーに黒餡白餡、ウインナーにコーンシチューにカスタード」
と亜弓の言葉を全く意に介せずに聞くが、亜弓もそのことは忘れたかのように
「え?私のぶんも買ってきたの?さすがだね!そうだね。カスタード」と言って手を差し出す亜弓に百合夏はむっちゃん饅頭を渡す。
亜弓はありがとうと嬉しそうに云うと被りついた。
そんな亜弓を横目に百合夏は、厳しい表情で画面を注視している香湖に向って「こーこは?」と聞いた。
香湖は一言「白」と云った。
百合夏は「はい白餡」と云って渡すと、
カウンターの方で一人佇む桜を見つけ「おーい。桜。こっちにおいでよ。お饅頭があるよ!」と手招きした。
桜はその声で我に返ったようにハッとすると、不安げな表情を振り払い百合夏たちの方に歩いてきた。
「桜、どうしたのそんな顔して?はいお饅頭」と云って袋から一つ取り出した。
桜は受け取ると「あ、ありがとう、百合夏さん」とたどたどしくお礼を言う。
「百合夏でいいよ。桜」といって百合夏は笑った。
桜も微笑み、照れくさそうに一口むっちゃん饅頭に噛付いた。
そこで周りからは驚嘆の声が響いた。
第一ラウンドはまだ続いていた。
亜弓たちは試合を途中から見ていなかったので、驚嘆の理由か分からなかった。
「何?まだ何も動いてないけど試合?(もぐもぐ)」と亜弓はずっと試合を見ている香湖に聞いた。
「あのアレックスが二度幻影陣を凌いだ」と無表情だが何処となしか感心しているような口調で言った。
百合夏は感心すると「やっぱり。あの人多分オセガミって人だよ」と何時もの明るい声で言った。
那由他と楔の戦いは、未だ続いていた。
楔凶平は、常々考えていた。キャラクター対策を。
そして認識していた。キャラクター対策は突き詰めても、詰まるところ、差を埋める事にはならない。
突き詰めれば突き詰めるほど、彼我のキャラクターの差を認識する事になるだけだ。
しかし同時にそうでなければ、勝てぬと云う事も知っている。
相手と自分の差を知ること、絶望的な差があってもそこから眼を背けない。それがキャラ対策の更に上の理論。
それは根性とか、精神論と云ってもいい。
メンドクサイ知識を詰めこむだけ詰め込む。しかる後そんなものはわきに追いやる。
見えないものは見えない。ただ、見えるようになった気になっただけ。
幻影陣を凌いだ理由など、楔に言わせればその程度である。
その知識の裏づけは、ある。それが根性論だけに陥らない楔の強さであった。
幻影モードのユンの崩す基本的な行動として、発生3Fの小足を連続でガードさせ固める。
と言う物がある。そこで相手が暴れれば其のまま空中に浮かせ、コンボを決める。
固まっているようなら、そこからコマンド投げ(前方転身)を使いガードを崩す。
これを同時に返す行動を楔は知っている。アレックスのエアスタンピートである。(註コマンド↓溜め↑K)
だから楔は、相手の幻影陣に対して、じっとしゃがみガードする事が出来る。
相手に知識があればあるほど、それを警戒していることが分かるからである。
そしてユンのもう一つの選択肢、中段技の旋風脚に対しては、一点読みのブーメランレイド。
アレックスが喰らっても、ユン側が2F不利であり、その瞬間ブーメランレイドが確定する。
勿論間合いによる不確定要素は存在するが、ユン側も気軽には旋風脚を振る事は出来ない。
その知識があったから凌げた。訳ではない。
楔がその知識を知っていて、楔がその知識を生かすような立ち回りを常々考え、そして常々闘ってきたからである。
何度も何度も負けを重ね、勝ちを重ね、絶対に負けてはならぬこの日に生かせるのである。
(…ユン使い、那由他も勝ちたいのだ。
大胆で無邪気な天才に見える目の前のユン使いが、繊細で手堅い行動をしている。
目の前のユン使いは、只の天才ではなく、知識に裏打ちされた真の強者だと楔は確信する。
「…如何にお前でも、多少の疲労度は溜まっただろう…?」と二度目の幻影陣を凌いだ楔は、不適に呟いた。
絶対的優位な状況で、相手に凌がれた場合、例え自分はダメージを負っていなくても、精神的な疲労に襲われる。
いやな予感。崩せない不安。攻守が入れ替わる不安。実力の差を感じる不安。
それらが疲労感となって現れ、攻めが雑になり、自ら崩れ、敗れる。
楔は、アレックスで何度もそうやって勝ってきた。崩し能力が必要か否か。
そんな事を問題に思ったことは無い。立ち回りが強ければ、相手はおのずから崩れる。
ゲージの無いユンを見つめ楔はレバーを握る手に力を込め云った。
「次は俺の番で良いか?」
その声は勝ちを確信した自信に満ちていた。
楔の確信は、概ね間違いではなかった。
ただ一つ誤算があるとすれば…。
5
ユンの動きに動揺は無かった。
以前と同じように平然と楔の動きをいなしつつゲージをため、そして3度目の幻影陣を発動した。
それを目の当たりにした楔は、己の考えの甘さに苦笑した。
目の前のユン使いは、幻影陣を凌がれる事など、当に慣れているのだ。
恐らくは自分の崩しの選択肢の多彩さを知っている。
全てを凌げるわけではない、ただ偶々此方の攻めと向こうの凌ぎが噛み合っただけ。そう思っているのだ。
楔はガードに徹する。しかし今度は凌げなかった。
ユンは戸惑う事無く前方転身でアレックスのガードを崩し、二翔脚。そこから空中コンボにもって行く。
守っていた体力が一瞬で消し飛ぶ。
更に画面端を背負いダウンするアレックスに間髪入れずにユンは起き攻めを慣行する。
フェイントから投げ。更に投げ。そして投げ返したところに、小足小足絶招歩法がヒットした。
そこでアレックスは倒れる。
結局のところ、危なげなくユンが一ラウンドを先取した。
周りで見ていたもの達からは、既に嘲笑も、野次も消えていた。
ただここに来て漸く、見慣れぬ赤いユン使いが只者ではないと言う事を認識し始めた。
店内は静謐な雰囲気に包まれていた。
そしてそんな中、第二ラウンドが始まった。
6
2ラウンド目が始まると再び最初のラウンドと同じような展開が起こる。
ユンは中間距離でゲージを溜めつつ安全な距離を保つ。
アレックスは、再び歩いてプレッシャーを掛けつつ、牽制する。
それを見ていた亜弓は訝しげに「百合夏。ホントにあの人がオセガミって人なの?何かあっさり一ラウンド取られたけど」と饅頭を食べながら亜弓は尋ねる。
百合夏は頷くと「間違いないよ。前に氷河とオセロットに行った時に見たことあるから。その時も黒いアレックス使ってたよ」と確信を持って答える。
「それだけ那由他さんが強いということなんだ?…
私としてはオセガミって人に勝ってもらいたい気はするけど」という亜弓の言葉に香湖は首を横に振る。
「…必ずしも那由他が上回っているとは限らない。しかしこの対戦は噛み合わせが悪いな」
と画面を注視したまま香湖は云った。
「噛み合わせ?キャラクターの相性って事?」と首を捻る亜弓に香湖は一言「プレイヤーのスタイルと言うべきだな」と答えた。
「どういうこと?」と亜弓は聞く。
「例えば阿野寺で云えば、百合夏は私や氷河には勝率がいいが、お前には勝率が極端に悪いということだ」
それに亜弓は「まあね。何時の間にか私は百合夏を超えたところあるよね」と得意げに言った。
「だって亜弓何してくるか分からないんだもの。屈中キックキャンセル強カイホウから転身穿弓腿なんて未来を見すぎよ」
「全部読めていたんだよ」と嘯く亜弓の表情からは只のコマンドミスという色が見て取れた。
香湖はやれやれという感じで溜息をつくと再び画面に集中した。
そこに映っている楔のアレックスの動きは明らかに精彩を欠いていた。
一ラウンド目の動揺を引きずっているのがありありと見える。
ユンの雷撃蹴からターゲットコンボを喰らい、其のまま幻影陣を発動される。
アレックスの体力は見る見る内に奪われていく。
楔の立ち回りはけして悪くは無かった。ただナユタは楔の想像の上を行っていただけだ。
ユンは再び幻影陣を発動した。
噛み合わせ。正にプレイヤー同士の噛み合わせが悪かった。
楔のプレイスタイルは丁寧で堅実であった。一方の那由他の方は軽やかで変幻自在であった。
詰まり楔はガードがちなソリットな立ち回り、那由他は臨機応変なリキッドな立ち回りと言い換えることが出来る。
楔は堅実である、それゆえに様子見を多用する傾向にある。だから常に那由他の後手に廻る事になる。
ユンに対して後手に廻る事は得策ではない。云うまでも無く防御困難な幻影陣があるからである。
…有象無象のユンにならその戦法も通じるだろうが、
那由他は相当の手だれであった。二度三度幻影陣を凌げても常に向こうにイニシアチブを取られる。
雷撃蹴、ターゲットコンボ、そして幻影陣発動後、その何処かで博打をする必要がある。
それが相手に恐怖を与える。楔ほどの男がそれを知らなかったはずは無い。
しかしそれをなそうと思った時、アレックスの体力は残り僅かであった。
場は僅かに弛緩していた。既に勝負あったと誰もが思っていたからだ。
「つまんない」と那由他は呟いた。その声はしかし無邪気で残酷な響きがあった。
幻影陣のゲージはまだ二割ほどしか溜まっていなかった。アレックスの体力は既に1割にも満たない。
最早何をしても那由他の勝ちは揺るぎそうに無い。しかし那由他は更に慎重に立ち回った。
手負いのアレックスを確実に倒す為か更に間合いを取って屈中Pでゲージを溜め始めた。
誰もがそんな事をする必要は無いと思っただろう。其のまま攻めても勝負は決する。
それほどに圧倒的な体力差であった。
那由他にとってそれは深い思いなど無かった。ただ自分が楽しむ為に相手をいたぶっている。
それだけの事だ。
やがてゲージがマックスになり幻影陣を発動した。
そして。
7
5秒。
僅か5秒である。
幻影陣の発動持続時間。
それは僅かに5秒弱しかない。
しかしそれは楔にとっては永劫にも近しい5秒である。
誰もが諦めているその中で、楔は唯一つの事しか考えていなかった。
凌ぐ!
楔はただそれだけを考えていた。
諦めも、絶望も、不可能も、敗北も無く、ただ凌ぐ事だけを考えていた。
読みも経験も、奇跡も、知識も信じず、ただ凌ぐ事だけを考えていた。
勝利も、栄光も、誇りも、無く ただ凌ぐ事だけを考えていた。
1秒が経過した。
2秒が経過した。
3秒が経過した。
4秒が経過した。
5秒が経過した。
…アレックスは立っている。
幻影陣を凌いでいる。
それは奇跡ではない、偶然でもない。必然でもない、不可能でもない。
ただ、精神が折れなかっただけだ。
ただ、精神が諦めなかっただけだ。
ただ精神が強靭だっただけだ。
そしてその強靭さこそがオセガミと呼ばれる由縁であった。
「…次は俺の番で良いか?」楔は低く強く、呟いた。
その言葉に脅えたかの様に画面端を背負い固まるユン。
幻影陣の鎧が剥ぎ取られたユンに生じた動揺を楔は見逃さなかった。
アレックスのラッシュを凌げないまま、一気に体力を奪われたユンは勝利目前の2ラウンド目を落とした。
そして決着はファイナルラウンドに持ち越された。
8
那由他はファイナルラウンドの表示を見ながら「へえ、やるじゃん」
と余裕気に呟くと再びアレックスから間合いを離し様子を見ながらしゃがみ中Pを振りゲージを溜める。
それは恰も前の2ラウンドを再現するかのような立ち上がりでユンの動作は淀みなく、
那由他には前のラウンドを落とした動揺は全くなかった。
偶々凌げただけだ。目の前のアレックスは偶然勝てたに過ぎない。
那由他はそう思っていた。
「もう遊んであげないよ。一気に決着をつけてやる」那由他は無邪気な笑みを浮かべそう呟きながらゲージを溜める。
中間距離のアレックスが間合いを詰める。
ユンは更にバックステップすると再びゲージを溜める為にしゃがみ中Pを振ったが、
そこにアレックスのEXスラッシュエルボーが刺さった。
ダウンするユンはクイックスタンディング(以下CS)する。そこに間髪入れずに飛び込むアレックス。
(調子に乗って!)
前BLを入力する那由他に対してアレックスは空かし投げを敢行する。
グラップデフェンス(以下GD)が発生する。
そこから画面端を嫌った那由他はハイジャンプでアレックスの頭上を越えようとしたが
アレックスはラリアット(前大P)で叩き落す。
(何でだよ!)
着地したユンにダッシュで迫るアレックス。
(行き成りガン攻めするなよ!)
那由他は思わず投げを入れる。
近距離中キックを喰らうユン。そして其のままEXのフラッシュチョップを喰らうと画面は暗転した。
スーパーキャンセル、ブーメランレイド!
再びダウンを喫するユンはガードを固めた。
(俺が勝ってたのに!)
アレックスは躊躇なく大Pを打ち下ろす。
しゃがみで喰らったユンはスタンした。
何のけれんも無く、アレックスは止めを刺した。
僅か10数秒の出来事であった。
那由他は楔に敗れた。
9
静寂の中、楔はゆっくりと席を立つ。そこに「オセガミ!」と叫び声が上がった。
楔が振り返ると既に出口付近にいた緑川が楔に向ってハットを投げた。
楔はそれを受け取ると其のまま浅めに被る。
それを見ながら緑川は楔に向い叫ぶ。
「僕は先にオセロットに戻る!忘れ物を届けにね!」
そう言うと踝を返した。
その後ろを白水と中条が追いかけて行く。
白水は楔を振り返り「…流石だな…」と一言声を掛けると返事も待たず緑川に付いて行く。
緑川は去る間際戸惑うように立ち止まり、楔にこう叫んだ。
「オセガミ!君が戻ってきた時、オセロットは変っている!
オセガミの名を名乗るのに恥ずかしくない場所にね!!」
そう言うと決意するような笑みを口元に浮かべ、やがてどきどきランドを去った。
楔は静かに「楽しみにしている」と言うと帽子を目深に被りなおした。
そして那由他の方に足を進めた。
那由他は負けたことなど微塵も気にしていないかのごとく、笑みを浮かべ楔に云った。
「あんた強かったよ。俺、最後は少しびびってた」その表情は屈託がなく、楔は拍子抜けした。
「いや。お前が手を抜かなかったら俺のほうが負けていた」楔は躊躇いがちに云った。
楔は2ラウンド目の事を言っていた。那由他が止めを刺さずゲージを溜めたときの事を。
那由他は愉快そうに笑うと「はは、あれ手を抜いたわけじゃないよ。だってその前からガード固かったから怖かったんだ。
だから安全に勝つためにゲージを溜めたんだ。だってあんた守りは強いけど攻めは怖くなかったから」
それを聞いた楔は苦笑いを浮かべた。それは図星を付かれた笑いだった。
「でもその後幻影陣凌がれた時は、びっくりしてたんだ。…完勝を目指したつもりだったけど逆に俺はしり込みした。
そしてあんたは勢いに乗った。…幻影陣を発動させなかったらこうはならなかったかもって思ったら悔しくなって」
と那由他は笑顔から一点表情を悲しげに曇らせた。
「あんた凄いよ。最後の幻影陣全部見えてたの?」と再び興味津々と言った笑顔で聞いてきた那由他に楔は不適に笑い
「あれはまぐれだ」ときっぱりと言った。
「嘘だー一試合に3回も無傷で幻影陣凌げるなんて見えてるとしか思えないって!」と那由他は口を尖らせた。
楔は「ふっふっふ」と思わせぶりに笑った。
「あ!ひっでー。ホントは見えてたんだな?」そう言うと那由他は後ろにいる刹那を振り返った。
そして那由他の表情はそこで凍りついた。
刹那の目は冷ややかに那由他を見下していた。
10
那由他は今までの飄々とした気ままさが嘘のように動揺したように恐る恐る「刹那?」と声をあげた。
しかし刹那は冷ややかな瞳を向けたまま何も答えようとしなかった。
「そんな顔しないでよ刹那。俺真面目にやったよ。でもこの人強かったんだ」
そう言って那由他は楔を指差した。楔はエッヘンというような感じで胸を張った。
刹那は小さく溜息をつくと呆れるように首を横に振りお前が弱いんだ。那由他」と抑揚のない声で言い放つ。
胸を張っていた楔は少しよろけた。
「舐めプレイもいい、幻影陣を使わないのも、槍雷を選ぶのも文句はない。勝つのならな。
しかし負ければそれは弱さだ。この遠征で俺はお前のことがよく分かった」
静かだが凄みのある言葉に那由他は何もいえないのか俯いたまま無言で聞いている。
「お前はとことん真剣勝負が出来ない。例えお前が天才的なセンスを持っていようが
それではここ一番の時に力は発揮できない。精精こんな野試合の乱痴気騒ぎでそこそこ連勝するのが関の山だ」
「酷いよ。そんな事云うなんて…俺、いっぱい勝ってるじゃん…」刹那は悲しげに反論する。
刹那は「こんな、何でもない格下のアレックスを崩せず、動揺しあまつさえ敗北する」といって側らの楔を
まるで路傍の石のように見下しながら云った。
「晃はお前のその、ここ一番の弱さを教える為にこの遠征にお前を選んだんだ。
だがお前はその期待に答えられなかった。残念だな」
そしてフロアにいる周りのプレイヤー達を見回しながら
「お前はその程度だった。お前はここにいるその他大勢のプレイヤーと大差は無い。
俺は晃にそう報告する。そして茶番は終わりだ。帰るぞ」
それを聞いた那由他は体を震わせじっと耐えていた。今までの天真爛漫さがまるで嘘のように。
刹那は俯く那由他の横を通り行き去ろうとする。
侮辱された多くのプレイヤーはしかし黙って道を明けた。
皆、ナユタの強さを知った。そのナユタを恐れさせる刹那に対して歯向かうような者は居なかった。
刹那はそんな周りのものの心を見透かしたように「…ふん」と無表情にはなじらむと、出口に向った。
その去りゆく刹那の背中に向い楔は「待て」と静かな怒りを込めて云った。
しかし刹那はその声に立ち止まりもせず、出口へ向う。
楔は構わず云う。「逃げるのかい?俺たちをそれだけ虚仮にして?」
刹那は楔を振り向かず、まるで相手にしていないかのように肩を竦めただけだった。
「あまり舐めるなよ?」怒りを露にする楔に刹那は面倒くさそうに溜息をつくと
「…三ヵ月後、俺達は又ここに来る。俺が間違っていたらその時に謝ろう。
斗激の予選で、お前と闘える事を期待しているよ」と無感情に云った。
その背中を無言で睨む楔。
刹那は返事を待たず再び歩き出すと、その前に行く手を阻むように一人の少女が立ちふさがった。
11
その少女、桜は静かに刹那の前に立っている。
周りの者達は、遠巻きに何事かと、桜と刹那を傍観している。
そんな中、刹那は鬱陶しそうに、桜の顔を見ると
「何だ?ここを教えてもらった礼なら済んだはずだ」と冷ややかに言った。
桜はそんな事はどうでもいいと言う風に首を小さく横に振ると恐る恐る云った。
「勝つことがそんなに大事なんですか…?」
その言葉に、周りからは失笑が漏れた。
しかし、その言葉に驚くものも僅かに居た。
俯いていた那由他は思わず桜を振り向く。怒りを抑える楔も桜に注目した。
亜弓は桜に同意するように頷く。その側らの香湖も意味深長な瞳を桜に向けた。
百合夏は多少心配げに桜に歩み寄った。
桜は百合夏に大丈夫と目配せすると、勇気を振り絞るように刹那に向き直って云った。
「…私はまだあんまりサードってゲームがよく分からない。でも、二人の試合は凄いと思った。
本当に二人が闘ってる。そう錯覚するほど凄いとおもった。
見ていて楽しかった。二人とも、凄く速くて、力強くて、激しくて、でも時々凄く静かで…」
黙って聞いていた刹那は心底辟易した様に首を横に振ると桜の言葉を遮るように云った。
「詰まらんな、お前が感動したからどうだと言うんだ?」
桜は拳に力を込めると
「…一生懸命闘った人たちを貶すような事は云わないでください…」と悲しげに云った。
その言葉を聴いた刹那は右手の掌で自分の表情を隠すように覆うと肩を揺らして小さく笑った。
「一生懸命闘った?…高がこの程度の野試合でか?…
お前が那由他やあのアレックス使いに何を感じたかは知らんが、そんな感情を押し付けられても困るな。
俺にとってはあんな試合は『上級者が事故で負けた』程度のものでしかない」
桜は何かを言い返そうとしたが刹那は言葉を続けて遮る。
「勝つことが大事と聞いたな?馬鹿な事だ。そんなことは問題じゃない。
己を乗り越える事が大事なんだ。そして那由他にはそれが無かった。ただそれだけの事だ」
桜は何も云わず俯いて、ただ左手の指に巻かれていた赤いリボンを見つめていた。
刹那は桜をはなじらむようにねめつけると横を通り過ぎる。
桜は俯いたまま、去り際の刹那に振り向きもせず小さく悲しげな声で「…何で…」と呟いた。
そんな桜の肩を宥めるように百合夏が優しく触れ、振り返る桜に微笑むと慰めるように「桜、怖い顔」と優しく言った。
亜弓も桜に抱きつくと「桜は何も間違ってないよ」と元気に言う。
香湖は亜弓に同意するように静かに頷く。
悲しげに俯いていた那由他は微笑を桜に向け「桜、ありがとう」と悲しげに云った。
「那由他さんは強いよ!ヤン使いの私が云うんだから間違いないよ!刹那さんはちょっと酷い!」と亜弓が云った。
那由他は微笑むと「ありがとう亜弓。でも違うんだよ。
刹那はああ云ってるけど、俺の為って事分かってるから…。
ほらその証拠に俺を置いて帰ろうとしているけど、
少し待つくらいゆっくり歩いてる」と明るく微笑むと去り際の刹那を追いかけていく。
桜は那由他のその笑みが悲しげに見えた。
那由他は再び桜たちのほうを振り返り香湖や亜弓、百合夏を見回しながら大きな声で
「皆サードやってるんだろ?じゃあ直ぐに又逢えるね。俺たち又来るから!」と叫んだ。
そして最後に楔の方を見ると「アレックス使いの人!次は俺が勝つよ!」と言って手を振った。
楔はハットを脱ぎ無言の微笑で答えた。
那由他は振り返る事なくすたすたと歩いている刹那を追いかけるように慌しくどきどきランドを去って行った。
そしてそれとすれ違うように、長身の粗野な女がどきどきランドに現れた。
「何だい?今日は何でこんなに人がいっぱい居るんだ?」と自分の為に集まっているとは夢にも思っていなかっただろう、
粗野な女は能天気に呟いた。
どきどきランドは遂に今日の主役を迎えた。
泉田案山子の登場である。




